メコン圏対象の調査研究書 第30回「雲南と近代中国 ー”周辺”の視点から」(石島 紀之 著)


「雲南と近代中国 ”周辺”の視点から」(石島 紀之 著、青木書店、2004年3月発行)

<著者紹介>(本書紹介文より。2004年発刊当時)
石島 紀之(いしじま・のりゆき)
1941年、東京に生まれる。現在(*発刊当時)フェリス女学院大学国際交流学部教授
著書:『中国抗日戦争史』(青木書店、1984年)、『アジア現代史』第2巻(共著、青木書店、1979年)、『近代日中関係史研究入門』(共著、研文出版、1992年)、『上海史』(共著、東方書店、1995年)など

本書は、雲南近代史の歴史研究書で、「周辺」ゆえに独自な歴史を刻んだ雲南の清末の辛亥革命前夜から、1950年2月の中国人民解放軍の昆明入城・雲南解放までの20世紀前半の中華民国時期(1912年~1949年)の雲南近代史が対象。この時期の雲南を率いた蔡鍔(1882年~1916年)、唐継堯(1883年~1927年)、龍雲(1884年~1962年)、盧漢(1895年~1974年)の4人の軍人の政権時代にあたる。単に地方史ということではなく、雲南が半独立状態にもあり、中央との関係で独自な異彩を放った時代でもあり、民国時期、反袁護国戦争や日中戦争後の反蒋”一二・一”運動、抗日戦争や西南地区の解放など、中国の近代史における雲南の役割は非常に重要。本書の著者・石島紀之(いしじま・のりゆき)氏は、1941年、東京生まれの東京大学文学部東洋史学科卒、同大学院修士課程修了の中国近代史学者でフェリス女学院大学名誉教授。本書執筆時の2004年はフェリス女学院大学国際交流学部教授を務め、2012年定年退職。石島紀之 氏が、中国の西南地域の歴史に関心を持つようになったのは、中国の抗日戦争史を研究する過程で、国民政府の抗戦の基盤の一つだったこの地域の解明が是非とも必要だと考えるようになったからだとのこと。本書は、青木書店によるシリーズ『中国にとっての20世紀』(全7冊)の一冊で、本書の冒頭に、”シリーズ『中国にとっての20世紀』の刊行にあたって”と題し、1960年代に中国研究をはじめた世代という、著者の石島紀之 氏もメンバーとなった20世紀中国研究会会員一同の名で、このシリーズそのものについての紹介案内が記されている。

本書の序章では、まず、これまでの日本における雲南を対象にした研究は、民族学・民俗学・文化人類学からのアプローチによるものが圧倒的比重を歴史学からの研究は少なく、歴史学の角度から書いた日本で初めての雲南近代史の通史であり、これまでの日本における中国近現代史の通史の多くは、北京や上海など沿海部の、政治・経済の中心部の歴史を基軸に叙述されてきたが、本書は地方のなかでも周辺の地域に注目し、中心と周辺との関係を基軸にして、雲南というかつて周辺に位置していた地域の歴史を叙述するものと述べている。さらに、中国近代における周辺諸地域のなかでとくに雲南をとりあげるのは、中華民国時代の雲南は、政治的には周辺であったがゆえに、かえって中国近代史の中で中心的役割を果たしたことがあり、また中国に国民国家が形成されていく過程で政治的忠信との関係が緊密になり、そのことによって逆に中心との緊張が高まった。中国国内の関係だけでなく、近代の雲南は、東南アジアの半島部の多くの地域がイギリスとフランスの植民地にされたことによって、雲南は両国との交流と対立の場になり、さらに抗日戦争の時期には、雲南は日本との戦場になったことが、中央政府と雲南との関係が複雑化する要因にもなっている。本書の序章では、清末の雲南の状況について、イギリスとフランスを中心とする欧米列強の進出から、三海関(蒙自、思茅、騰越)の開設とフランスによる滇越鉄道開通による経済と社会の変化が挙げられている。

本書は内外の研究者の文献、特に中国語文献の引用紹介も豊富で、内容が詳細に密に詰まっている研究書で、巻末にはたくさんの人名や事項索引も用意されている。本書の終章「近代中国における中心と周辺」の中で、中華民国時期の雲南と中国の中心との関係を再整理してくれている。民国期の雲南と中心の関係は、辛亥革命から唐継尭の失脚まで(1911年~1927年)の第1期、龍雲政権の成立から抗日戦争の勃発まで(1927年~1937年)の第2期、抗日戦争時期(1937年~1945年)の第3期、抗日戦争の終結から中華人民共和国の雲南人民政府成立まで(1945年~1950年)の第4期に分けられ、本書の主たる構成も、この4期に分けられている。ここでは、第1期のもっとも重要な特徴は、清末の蒙自など三海関の設置、とりわけ1910年の滇越鉄道の開通によって、雲南が外の世界に向かって大きく開放され。政治的には、辛亥革命において雲南は中国の各省のなかでも顕著な役割を果たし、護国戦争では主導的な役割をになうことになったと説明。また唐継尭は、広東軍政府と深い関わりをもち、ときには北京政府と接触をもちつつ、四川・貴州・広西などへの対外拡張政策を繰り返した。経済的には、雲南の対外貿易は一次産品である特産品の錫を輸出し、綿製品など工業製品を輸入するという形態で世界経済システムに編集されることになり、その貿易は輸出入とも香港を経由してイギリスを中心とする世界市場と結びつき、かつ中国国内においては香港・広州を中心とする華南商業圏のなかに包摂されたとのこと。

第二期の龍雲政権時代は、南京国民政府による統一と建設の時代と重なり、また上海を中心とする全国的商業圏が形成された時代で雲南もその影響を強く受けるようになる。国民政府による統一化の進展とともに龍雲政権が対外拡張政策をとることは困難になり、龍雲政権は蒋介石を支持しつつ、国民政府の雲南への勢力浸透に極力抵抗する姿勢をとりつづけた。そして龍雲が採用したのが「新雲南」をスローガンとする省内部の統一と建設。とくに歴史的意義を有したのは、雲南全省経済委員会を中心とする経済建設の進展で、それを建議し主宰したのが繆嘉銘(1894年~1988年)という昆明出身のテクノクラート。この期は雲南の経済に対する華南経済圏とフランスの影響力は弱まり、他方では綿工業を中心に雲南と上海との経済的関係が強化されることになった。第三期の抗日戦争時期になると、滇越鉄道と新たに建設された滇緬公路によって最大の対外ルートの基地となった雲南は抗戦の根拠地となり、重慶に臨時の首都を移した国民政府にとり、四川省に次ぐ重要地区となる。経済と教育・文化の面で、雲南は中国のもっとも重要な地域の一つに飛躍。政治面では、雲南には重慶という新たな中国政府の中心からの圧力が強力にかかるようになり、その半独立的地位の維持が困難になる。第四期の第二次世界大戦後の時期には、この時期の初めは、蒋介石が龍雲政権を打倒したことによって、雲南は中央政府の支配下に入ったかにみえたが、結局は盧漢を中心とする地方勢力が省政の実験をふたたび掌握。他方、多くの工場や高等教育機関は沿海地域に戻り雲南の経済と文化は著しく衰退する。

本書の研究書が対象とするのが中華民国時代の雲南近代史で、本書は、雲南近代史を、経済や、少数民族や社会史の分野も含めて幅広く詳細に描いているが、雲南地方実力派が組織編制し指揮し、中央から相対的に独立し精鋭な軍隊であった滇軍(雲南軍)の存在が大きく、やはり、まずは、軍人政治家たちの政権の成立や特徴、対立構造と政変、崩壊の推移などは、本書の中でも、なかなか劇的でもあり興味を引きやすい。本書では数多くの研究者の文献も引用されているが、中でも長らく中華民国史研究に関わり、特に民国軍事史、西南軍閥史に造詣が深く、雲南民族大学教授で中国史学会理事、雲南省中国近代史学会顧問を務められた研究者の謝本書 氏の文献引用は多く、民国軍事史、西南軍閥史の内容が充実している。謝本書 氏の著書には、『袁世凱と北洋軍閥』、『西南軍閥史』(共著)、『蒋介石と西南地方実力派』(共著)、『蔡鍔伝』、『龍雲伝』、『唐継堯評伝』、『護国運動史』などがあり、まさに本書にぴったりの研究者。辛亥革命から唐継尭の失脚まで(1911年~1927年)の第1期に対応するのは、本書「第1章 革命の震源地」。ここでは、日本留学生たち、中国同盟会雲南支部、陸軍講武堂、雲南の新軍などがキーワードで、多くの魅力ある革命人物が登場するが、その中でも、この時期の最も魅力的な軍人は、湖南省出身の蔡鍔(1882年~1916年)。1911年10月10日の辛亥武昌起義に触発されて革命派によって秘密裏に準備された昆明起義の臨時総司令に推され、1911年10月30日、辛亥雲南昆明重九起義を起こし、この辛亥昆明起義の成功後、1911年11月1日、雲南軍政府が成立し、蔡鍔が軍政府都督となるが、その後、1915年12月に袁世凱の帝政復活の夢を阻止するために雲南から兵を起こした護国戦争の指導者としての活躍も目を見張る。ただ、蔡鍔自身は治療のために日本に行くも、1916年11月8日に福岡の病院で死去(享年34歳)。

袁世凱(1859年~1916年)死後、中国は地域軍事権力が抗争をくりかえす時代に入るが、袁世凱死後の前から、中央の北京に転出していた蔡鍔の後を受けて雲南を支配したのは、雲南省東北の会澤県の名家出身の唐継堯(1883年~1927年)で、その統治は1913年から1927年の14年に及ぶ。日本に軍事留学し、一時は辛亥革命においても革命派軍人として重要な役割を果たし、貴州の臨時都督に就任後、1913年11月、蔡鍔の入京により雲南都督に就任していて、護国戦争においては、護国の三傑の一人と称されるほどであったが、護国戦争後は、積極的な対外拡張政策の「大雲南主義」をとるようになり、1918年には靖国軍八省聯軍総司令を自称し「西南王」と称される野心的な地域軍事権力者に成っていく。その後、昆明出身の顧品珍(1883年~1922年)が1921年2月、反乱を起こし、一時、唐継堯を駆逐し雲南の統治者となるが、1922年には、香港に逃走した唐継堯は部下の龍雲らの支援を得て雲南に帰還し、顧品珍を倒して復権を果たす。が、1920年代半ばから、中国では、北京の反動的政府を打倒し、民族的統合を実現して国民国家を建設しようという国民革命と呼ばれる大きな政治的・社会的変動が起こり、この大変動は全国各地に波及し、雲南省でも重要な政治上の変化が生じることになる。蒋介石らが指導者となった国民党の北伐への対応をめぐり、国民革命に与しない唐継堯とその配下の軍人たちとの対立が生まれ、1927年2月6日、唐継堯の4人の鎮守使の高級将校、胡若愚(1894年~1949年)、張汝驥(1895年~1930年)、龍雲(1884年~1962年)、李選廷(1881年~1951年)のクーデターに遭い失脚する(「二・六政変」)。

雲南省務委員会の主席に胡若愚が選出されるが、新政権成立の段階から、胡若愚、張汝驥、龍雲の3人の実力者の間では権力闘争が始まり、胡若愚と張汝驥が、1927年6月13日の深夜から14日の払暁にかけて、龍雲の私邸を攻撃し逮捕し、同時に龍雲軍を攻撃する(六・一四政変)。しかし、龍雲の部下・盧漢(1895年~1974年)らは昆明を脱出し龍雲軍も包囲網を破って昆明西北方の元謀県方面に終結し、反攻が準備され昆明に進撃。昆明が戦火に巻き込まれることを恐れた各界の人たちがたちあがり、胡若愚も民心が離れたことを悟り、龍雲を帯同し昆明を離れ、昆明郊外で龍雲を釈放。1927年8月13日、龍雲は雲南省省務委員会の推挙により代理主席に就任し(雲南省政府主席就任は1928年1月)、ここに、1945年10月、蒋介石による龍雲政権倒壊までの以後18年に及ぶ龍雲の雲南統治が始まる。ただ、その後も、龍雲と胡若愚・張汝驥との闘争は続き、1930年1月に3年間に及んだ雲南の内戦は最終的に龍雲の勝利で終わる。龍雲政権の特徴の一つは、龍雲が雲南最大の少数民族であるイ族の出身であり、さらにこれをイ族のエリート集団が支えたこと。そのエリート集団は軍人だけでなく民政面でも力を発揮し、雲南の内戦終結後の統一と建設が進められ、時代が南京国民政府による統一と建設の時代と重なり、また上海を中心とする全国的商業圏が形成された時代で、軍閥割拠の時代の唐継堯統治時代とは、時代環境が全く異なることはあるものの、統治のアプローチや手法が斬新なことには驚かされる。イ族ではなく漢族ではあるが、繆嘉銘(1894年~1988年)という昆明出身のテクノクラートの重用と経済建設は画期的。軍閥政変史だけでなく、経済運営についても、詳細な研究報告が掲載されているのも本書の特色。国民政府の中央政治の複雑な状況と共産党の革命運動に対しどのように対応するかは難しい問題ではありながら、龍雲政権は政治・軍事・経済・社会の各分野において安定した強力な体制を確立。龍雲政権は蒋介石を支持しつつ、国民政府の雲南への勢力浸透に極力抵抗する姿勢をとりつづけ、雲南の「半独立」状態を維持し龍雲の権勢が絶頂に達していたのが、龍雲政権の前半期で、本書の「第3章 龍雲と雲南の新時代」にあたる。

雲南の「半独立」状態を維持できなくなってくるのが、1930年代半ば以降で、国民政府による中国統一の動きが進展し、その勢いが雲南など西南諸省にも及び、また日本による中国侵略が進展し、これに対抗するための国家と民族の統一を求める動きが中国の政治を規定する主要な潮流になりつつあり、1937年7月に始まる日中全面戦争=抗日戦争の8年間は、雲南の近代史における巨大な転換期、この期が龍雲政権の後半期で、本書「第4章 抗日戦争時期の雲南」にあたる。中国の政治・経済・文化の中心だった東部の諸地域が日本軍によって占領され、国民政府の首都が四川省の重慶に移転した結果、西南地区は中国の抗戦体制のもっとも重要な根拠地となり、とくに雲南は国民政府の統治区において四川につぐ第二の重要な省となる。東南アジアと接する雲南が外界との主要な交流ルートになったことや、雲南省の政治状況が安定していて、また資源も豊富で経済建設の基盤が既に一定程度作られていたことが大きい。抗戦期に雲南の経済は工業を中心に大きく成長しているが、西南連合大学などに代表されるように、高等教育機関や知識人の移転によって文化も著しく発展。また、雲南から多数の雲南軍兵士が日中戦争の省外の戦場に赴いているが、雲南省西部では、1942年に日本軍が一部を占領し、1944年まで激しい戦闘が続いた。抗日戦争期の蒋介石と、国民政府による中央化の試みに抵抗する龍雲との関係は非常に興味深いテーマで、特に1938年12月、汪精衛が重慶脱出し昆明に飛び龍雲と会談しているが、龍雲が汪精衛の「和平」運動にどういう態度であったのかということや、また、抗日戦争時期に、龍雲はなぜ共産党に接近し、1944年末、秘密裏に中国民主同盟に加入したのかというのも非常に気になるところだ。

抗日戦争の終結から中華人民共和国の雲南人民政府成立まで(1945年~1950年)の第4期に対応するのは、本書「終章 戦後の雲南」。1945年8月、日本が無条件降伏し、8年間続いた日中全面戦争は終了するが、雲南での最初の大きな動きは、1945年10月3日の龍雲政権の倒壊。倒壊者は、かねてから雲南を中央政府の支配下に入れることを狙っていた蒋介石。終戦後、仏領インドシナの北緯16度線以北に駐屯する日本軍の降伏受理を中国が担当することになり、雲南軍の第一方面軍総司令の盧漢が、雲南軍の主力を率いてベトナムに派遣され、その機会を狙い、蒋介石は雲南省政府主席から龍雲を排除することに成功する。ただ、蒋介石が龍雲の後任にあてようとした国民党長老で雲南出身の李宗黄(1888年~1978年)に対しては省内の激しい反発に遭い、やむを得ず、ハノイから昆明に帰還した龍雲の腹心の部下だったイ族の盧漢(1895年~1974年)が、1945年12月1日に正式に雲南省主席に就任。以後、盧漢は4年間に渡り雲南省を統治。日中戦争終了後は、中国は政治・軍事の面では国民党と共産党との対立が激化し、1946年から国共内戦がはじまり、共産党の勢いが勝り1949年10月に中華人民共和国が成立。その時点ではまだ国民党の支配地であった雲南も、最終的に、1949年12月9日、イ族の盧漢(1895年~1974年)が国民党に対し蜂起し、盧漢は中華人民共和国に帰順することを宣言(昆明起義)。国民党軍の攻撃をしのぎ、1950年2月に中国人民解放軍を迎え入れ、1950年3月に中共和国共和国の雲南人民政府が成立する。盧漢政権は、蒋介石ら国民政府中央と暗闘しながら独自路線を模索し、さらに統治の終盤には、中国共産党や各種民主党派と秘密裏に連携している。この章では、民衆運動が特に注目で、1945年12月1日の反内戦運動の民衆運動に対する国民党・国民政府の弾圧事件(12/1事件)や、翌1946年7月に起こった国民党特務による李公樸(1902年~1946年)と聞一多(1899年~1946年)暗殺事件は非常に衝撃的な事件。

目次

シリーズ『中国にとっての20世紀』の刊行にあたって
凡例
序章 中国近代史と雲南
1. 中心と周辺 ー 本書の課題
2. 雲嶺の南 ー 雲南の風土
地形と気候/山壩構造
3. 漢族と少数民族 ー 雲南に住む人びと
少数民族/漢族の移住と土司制度
4. 清末の雲南
三海関と滇越鉄道/経済のゆるやかな成長

第1章 革命の震源地
1.革命前夜
ナショナリズムの高まり/雲南における新政/中国同盟会雲南支部/武装蜂起
2.辛亥革命の展開
陸軍講武堂/ 雲南の新軍/ 革命蜂起/ 雲南軍都督府/ 都督府が実施した諸改革/ 隣省の革命支援/ 少数民族にとっての辛亥革命
3.  周辺からの反乱 ー 護国運動
中華民国時期の中心と周辺/ 滇越鉄道関連の歴史的意義/ 第二革命と雲南/ 護国運動のはじまり/ 護国戦争の展開
4.  唐継尭の時代
護法運動と雲南/ 顧品珍の反乱と連省自治/ 対外拡張政策の破綻

第2章 民国の時代に生きる
1.農村の生活
土地問題/貧困への対応/三つの村/雇農自営の純農村/農民の暮らし/鉱山の労働/農村の秩序/紳士たち
2.少数民族の世界
民国期の少数民族/ 壩子に住む人びと/ 山地に住む人びと/ 「国境」をこえて生きる人びと/ キリスト教の普及/キリスト教の社会的影響 
3.  都市とそこに住む人びと
雲南の都市/ 昆明市の成立/ 昆明の近代化の進展/ 都市民衆運動の成長/ 新文化運動の成長/ 都市の青年群像

第3章 龍雲と雲南の新時代
1.龍雲の権力掌握
国民革命の波及/二・六政変/六・一四政変/龍雲の台頭/イ族エリート集団の形成
2.雲南の統一と建設
内戦の終結/ 南京国民政府への依拠/ 軍隊の改編/ 財政と金融の整理/ テクノクラート繆嘉銘/アヘンの禁止/ 雲南全省経済委員会と経済建設/ 民政と教育
3.  龍雲と蒋介石
紅軍の長征の衝撃/ 蒋介石の雲南訪問/ 西安事件と龍雲/ 「半独立」状態の雲南

第4章 抗日戦争時期の雲南
1.戦争と雲南
中心への飛躍/雲南軍の参戦/抗日民衆運動の展開/滇緬公路の建設/空襲との戦い/ 雲南西部の戦争/ ハンプ空輸と中国ーインド公路
2.抗戦の根拠地
交通網の整備/ 雲南経済の急速な発展/ 西南連合大学と教育の進展/ 抗戦中国の文化センター/ 昆明の光と影/戦争と民衆/ 少数民族と抗日戦争
3.  中央化への抵抗
汪精衛の重慶脱出事件と龍雲/ 財政・金融をめぐる対立/ 中央軍の雲南進入/ 民主の要塞/ 龍雲の民主同盟への加盟

終章 戦後の雲南
1.蒋介石の雲南支配と民衆運動
龍雲政権の倒壊/中央権力と民衆運動の対立/十二・一運動
2.地方勢力の復権
盧漢政権の成立/ 経済と教育・文化の衰退/ 盧漢政府の経済政策/ 盧漢の昆明蜂起
3.  近代中国における中心と周辺

文献一覧
あとがき

雲南人名 関係者一覧 
・楊振鴻(1874年~1909年:昆明人、「雲南革命三傑」の一人。日本軍事留学。同盟会加入。永昌起義失敗し逃走中に病死)
・李根源(1879年~1965年:騰越人、日本軍事留学、同盟会加入、雲南日本留学生同郷会会長、雲南陸軍講武堂校長、昆明重九起義で蜂起)
・羅佩金(1879年~1922年:玉渓人、日本軍事留学、同盟会加入、革命派軍人、護国軍の将軍の一人として活躍。唐継堯に敗北し処刑)
・唐継堯(1883年~1927年)
・呂志伊(1881年~1940年:思茅人、早大官費留学、中国同盟会雲南支部長、民主革命家、中華民国政治家)
・李鴻祥(1879年~1963年:玉渓人、日本軍事留学、同盟会加入、革命派軍人)
・張開儒(1869年~1935年:曲靖人、日本軍事留学、同盟会加入、革命派軍人)
・顧品珍(1883年~1922年:昆明人、日本軍事留学、同盟会加入、革命派軍人、護国戦争で活躍。一時は唐継堯を駆逐し雲南の統治者となる)
・謝汝翼(1879年~1914年:玉渓人、日本軍事留学、同盟会加入、革命派軍人)
・朱徳(1886年~1976年:*四川省出身、雲南陸軍講武堂入学 中国共産党入党以来軍事部門を指導し、中国人民解放軍の「建軍の父」)
・張汝驥(1895年~1930年:曲靖人、民国期の雲南軍の将校)
蔡鍔(1882年~1916年:*湖南省出身、日本軍事留学、革命派軍人、昆明重九起義の指導者、中華民国の初代雲南都督、護国戦争発動)
・曲同豊(1873年~1929年:*山東省出身、安徽系四天王の1人、安徽系軍人、清末の雲南軍で北洋派)
・劉存厚(1885年~1960年:*四川省出身、日本軍事留学、雲南陸軍講武堂教官、同盟会加入、重九起義参加)
・張文光(1882年~1914年:騰越人、同盟会加入、騰越起義リーダー)
・刀安仁(1868年~1912年:傣族,德宏盈江人,第22代干崖土司,日本法政大学留学、同盟会加入、清末民初革命家)
・熊克武(1885年~1970年:*四川省出身、日本軍事留学、同盟会結成関与、第二革命で反袁蜂起、民国時代の四川軍の指導者の1人)
・陸栄廷(1859年~1918年:*広西省出身、チワン族、民国の初代広西都督、旧桂軍の創始者)
・李烈鈞(1882年~1946年:*江西省出身、日本軍事留学、同盟会加入、雲南陸軍講武堂教官、民国の事実上の初代江西都督、第二革命発動)
・楊春魁
・龍済光(1867年~1925年:蒙自出身、ハニ族土司の家系、民国初期の広東省を支配した軍閥。袁世凱支持)
・龍雲(1884年~1962年:昭通出身、イ族、中華民国時期の滇軍(雲南軍、雲南派)の指導者の1人。国民政府期の雲南省政府主席)
・馮玉祥(1882年~1948年:*直隷省出身、中華民国の軍人、当初は直隷派、後に国民軍を組織しその指導者)
・陳炯明(1878年~1933年:*広東省出身、広東派の指導者)
・胡若愚(1894年~1949年:曲靖人。雲南派(滇軍)の有力軍人である。後に国民革命軍、新広西派に属した)
・李宗仁(1890年~1969年:*広西省出身、新広西派の創始者)
・白崇禧(1893年~1966年:*広西省出身、回族、新広西派の軍人)
・費孝通(1910年~2005年:*江蘇省出身、中国の社会学者・人類学者・民族学者。抗日期は雲南大学、西南連合大学で教鞭)
・艾蕪(1904年~1992年:*四川省出身、1925年から27年にかけて中国西南地方と東南アジアを放浪し、帰国後、作家となる)
・韓軍学(雲南省におけるキリスト教の歴史を研究)
・龔自知(1894年~1967年:昭通出身、北京大学卒業、雑誌「尚志」発刊、雲南省教育庁長)
・楊青田(1897年~1980年:騰越人、雲南省立第一中学の学生時、昆明における五・四運動の指導者。雲南学生愛国会会長)
・楚図南(1899年~1994年:文山人、雲南中学教師、中国人民対外文化協会会長)
・李国柱(1906年~1930年:巧家人、青年努力会結成、共産党党員)
・呉澄(1900年~1930年:昆明出身、雲南で最初の女性共産党党員、李国柱の妻)
・周保中(1902年~1964年:大理出身、白族、国共内戦時に東北人民解放軍の副司令官として活躍)
・艾思奇(1910年~1966年:騰冲出身、マルクス主義哲学者)
・聶耳(1912年~1935年:昆明出身、作曲家、中華人民共和国国歌「義勇軍行進曲」作曲者)
・唐継虞(1890年~没年不明:雲南派の軍人、唐継堯の弟)
・李選廷(1881年~1951年:馬関出身、民国の雲南軍の将軍)
・李伯東・李表東兄弟:箇旧の国民党員
・李鑫(1898年~1929年:龍陵出身:中国共産党雲南省委員会の幹部、雲南省農民協会の主席)
・王徳三(1898年~1930年:祥雲県出身、中国共産党雲南省委員会を組織)
・王復生(1896年~1936年:王徳三の兄、国民党中央特派員の身分で雲南には県されていた共産党員。左派国民党の支部の責任者)
・李培蓮(1900年~1933年:賓川人、龍雲の妻、漢族)
・馬登雲(1910年~1929年:昆明出身、回族、雲南回民の中で最も早い共産党員)
・周鐘獄(1876年~1955年:剣川県出身、白族、早大留学、雲南代理省長、雲南政界の有力者

・江映枢(龍雲と姻戚関係)
・李培天(1895年~1975年:早大留学、教育界。龍雲の妻の兄。李培炎は兄)
・盧漢(1895年~1974年:イ族、滇軍(雲南軍、雲南派)の指導者の1人。国共内戦期に雲南省政府主席を務めた)
・胡瑛(1889年~1961年:臨滄出身、同盟会加入、革命派軍人、雲南派の有力指揮官で龍雲救出)
・魏煥章
・李友勲
・龍雨蒼(龍雲のいとこ、民国期の雲南軍の高級将校)
・安恩溥(1894年~1965年:鎮雄県出身、イ族、民国期の雲南軍の高級将校)
・陸崇仁(1887年~1952年:巧家県出身、イ族、文官、第5軍軍法官、県知事、財政庁長、民政庁長)
・張冲(1899年~1980年:イ族、中華民国の軍人、中華人民共和国の雲南省政府副主席を務めた)
・周西成(1893年~1929年:*貴州省出身、黔軍(貴州軍)の指揮官、貴州省政府主席)
・劉文輝(1895年~1976年:*四川省出身、四川派の有力指揮官、四川省政府主席)
・李宗黄(1888年~1978年:麗江鶴慶出身、中国国民党の元老の1人)
・龍縄武(龍雲の長子)
・朱旭(1890年~1933年:龍陵県出身、雲南陸軍講武堂卒業、国民革命軍の将校)
・張風春(龍雲の雲南軍の4師長の1人)
・秦和平(雲南のアヘン問題の研究者)
・繆嘉銘(1894年~1988年:昆明出身、龍雲政権の経済建設進めたテクノクラート)
・李培炎(1886年ー没年不詳:龍雲の妻の兄、富滇新銀行の初代行長)
・宋子文(1894年~1971年:*広東省出身、政治家・財政家、宋家三姉妹と兄弟)
・翁文灝(1889年~1971年:*浙江省出身、地質学者・政治家、憲政期の中華民国政府で初代行政院長)
・賀龍(1896年~1969年:*湖南省出身、共産党入党、長征に参加、紅軍司令官)
・薛岳(1896年~1998年:*広東省出身、国民革命軍軍人)
・孫渡(1898年~1967年:曲靖人、雲南派・国民革命軍の軍人。雲南省政府委員兼同軍の参謀長)
・王家烈(1893年~1966年:*貴州出身、国民政府時代に貴州省主席兼第25軍軍長)
・呉忠信(1884年~1959年:*安徽省出身、中国同盟会以来の革命派人士。各省政府主席)
・陳布雷(1890年~1948年:*浙江省出身、蒋介石の政治秘書)
・陳済棠(1890年~1954年:*広東省出身、広東政権を樹立)
・何応欽(1890年~1987年:*貴州省出身、日本軍事留学、中華民国の国防部長・行政院長)
・楊虎城(1893年~1949年:*陝西省出身、張学良とともに西安事件を主導)
・孔祥熙(1880年~1967年:*山西省出身、中華民国の財政家、財政部長・行政院長)
・劉湘(1890年~1938年:*四川省出身、国民政府での四川省政治主席、四川軍の有力指導者)
・杜聿明(1904年~1981年:*陝西省出身、蒋介石直系の軍人)
・李群傑(雲南出身のナシ族、共産党党員、中共雲南省工作委員会書記)
・クレア・リー・シェンノート(1893年~1958年:アメリカの退役大佐。フライング・タイガースの指揮官)
・刀京版(1898年~1966年:
盈江人,傣族第23代干崖土司)
・ジョセフ・スティルウェル(1883年~1946年:蒋介石の参謀長兼在中国アメリカ軍司令官)
・宋希濂(1907年~1993年:*湖南省出身、國民革命軍第11集団群総司令兼昆明防守司令)
・銭昌照(1899年~1988年:*江蘇省出身、官僚・政治家、抗日期の
国民政府の資源委員会副秘書長)
・蒋夢麟(1886年~1964年:*浙江省出身、北京大学学長、西南連合大学校務常務委員会常務委員)
・梅貽琦(1889年~1962年:清華大学学長、西南連合大学校務常務委員会常務委員兼主席)
・張伯苓(1876年~1951年:*天津出身、南開大学学長、西南連合大学校務常務委員会常務委員)
・熊慶来(18993年~1969年:弥勒出身、世界的に著名な数学者、清華大学教授、雲南大学学長)
・顧頡剛(1893年~1980年:*江蘇省出身、歴史学者、民俗学者、雲南大学教授など)
・呉唅(1909年~1969年:*浙江省出身、歴史学者、雲南大学教授、西南連合大学教授など)
・施蟄存(1905年~2003年:*浙江省出身、文学者、雲南大学教授など)
・林同済(1906年~1980年:英文学者、雲南大学教授、西南連合大学教授など)
・曹禺(1910年~1996年:*天津出身、劇作家)
・老舎(1899年~1966年:*北京出身、小説家、劇作家)
・田漢(1898年~1968年:*湖南省出身、日本留学、劇作家、作詞家、詩人)
・王旦東(雲南易門出身、1930年代初めに上海で左翼音楽家連盟会員。雲南の民間歌舞劇である花灯劇を抗戦戯曲に改造)
・李公樸(1902年~1946年:*江蘇省出身、著名な民主活動家、中国民主同盟発起人、1946年7月、昆明で暗殺)
・聞一多(1899年~1946年:*湖北省出身、詩人。古典論家、西南連合大学文学部長、1946年7月、昆明で暗殺)
・潘光旦(1899年~1976年:*江蘇省出身、社会学者、優生学者、西南連合大学教務長)
・鄧錫侯(1889年~1964年:*四川省出身、軍人、川軍(四川軍)の指揮官の1人)
・潘文華(1886年~1950年:*四川省出身、軍人、川軍(四川軍)の指揮官の1人)
・影佐禎昭(1893年~1948年:日本の陸軍軍人、汪兆銘政権樹立工作)
・高宗武(1905年~1994年:*浙江省出身、外交官)
・汪精衛(1883年~1944年:*広東省出身、日本留学、南京国民政府主席)
・陳壁君(1891年~1959年:*ペナン生まれ、汪精衛の妻)
・陳春圃(1900年~1966年:*広東省出身、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。陳壁君の甥)
・唐生智(1889年~1970年:*湖南省出身、軍人・政治家、元南京衛戌司令)
・丁兆冠(1881年~1955年:石屏県人、雲南省政府民政庁長)
・張邦翰(1885年~1958年:鎮雄人、雲南省政府建設庁長)
・関麟徴(1905年~1980年:*陝西省出身、中華民国の軍人。黄埔軍官学校第1期卒業生。日中戦争後、雲南警備司令)
・霍揆彰(1901年~1953年:*湖南省出身、ビルマの戦いにおいて中国遠征軍第20集団軍を指揮
・衛立煌(1897年~1960年:*安徽省出身、護法運動以来の南方政府(孫文派)生え抜きの軍人)
・康澤(1904年~1967年:*四川省出身、国民革命軍軍人、軍統局副局長)
・羅隆基(1896年~1965年:*江西省出身、西南連合大学教授、政治学者、民主政団同盟昆明支部の主任委員)
・董必武(1886年~1975年:*湖北省出身、中国共産党創立者メンバーの1人)
・華崗(1903年~1972年:*浙江省出身、歴史家、共産党南方局宣伝部長)
・陳誠(1898年~1965年:*浙江省出身、中華民国の政治家・軍人)
・龍縄祖(龍雲の次男)

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