メコン圏対象の調査研究書 第22回 「史伝 山田長政」(小和田哲男 著)

メコン圏対象の調査研究書 第22回 「史伝 山田長政」(小和田哲男 著)

「史伝 山田長政」(小和田哲男 著、学習研究社(学研M文庫)、2001年5月発行)(この作品は1987年『山田長政 知られざる実像』のタイトルで講談社から出版された作品を文庫化したもの)

<著者略歴>小和田 哲男(おわだ・てつお)
1944年、静岡県に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科博士課程終了。静岡大学教授・同教育学部長。文学博士。戦国史をテーマに、雑誌・書籍などで幅広い執筆活動や講演活動をしている。主な著書に『後北条氏研究』『戦国武将』『戦国合戦事典』『小和田哲男著作集』など多数ある。(本書紹介文より。本書発刊当時)

本書・文庫版の単行本『山田長政 知られざる実像』(講談社)が刊行された1987年は、日タイ修好百周年記念にあたる年であったが、この年、京都大学の矢野暢教授が、山田長政の非実在説を唱え、さまざまな波紋をよびおこした(詳細は矢野暢氏の文章「山田長政は実在したか」(1987年3月4日付け毎日新聞夕刊掲載)及び1987年3月10日付け朝日新聞夕刊掲載の記事「実在したのか英雄・山田長政」参照)。本書では、日本の国策が南方進出という色を最も鮮明に打ち出していった昭和10年代に強まった「海外へ雄飛した英雄」観からの山田長政の評価を見直しているが、矢野氏の長政非実在説に対しての著者の見解が、最終章の「いま長政はどう評価されるか」で述べられている。

 英雄としての長政観は、戦前の日本の南方進出過程において作り出されてきたことは疑いのないところで、長政伝に虚像の部分がかなり入りこんでいるという矢野氏の指摘には著者も同意見で、本書においても、著者は『暹羅国山田氏興亡記』を、あくまで伝説として扱っている。「日本人は江戸から今日にかけて、なぜ東南アジアとの関わりにおいて『山田長政』を必要としたのか、それこそが問題であろう」という矢野氏の主張にも著者は同感しているが、アユタヤ王朝の日本人部隊傭兵隊長として、また、貿易家として活躍した山田長政は確かに実在したと反論している。

 長政の時代がちょうど日本史における「大航海時代」であり、侵略者長政ではなく、日本とシャムのかけ橋となった貿易家長政を見直そうと著者は主張し、貿易家長政の実像を明らかにしようとしている。長政はシャムの鹿皮や鮫皮、さらに蘇木などを買占め、それを自分の仕立てた船で日本に輸出したり、あるいはオランダ商館に納入した仲買商人としての側面もあった。長政が日本ーシャム間の貿易に積極的にかかわっていったため、それまで日本ーシャム間の貿易をほとんど独占していたオランダは次第に撤退せざるをえなくなり、1629年オランダはアユタヤのオランダ商館を閉鎖し、日本ーシャム貿易から手を引くに至っている。

 山田長政がシャム国王の信頼を得たのは、単に親衛隊長としての軍事面だけでなく、長政が主導する日本ーシャム貿易がアユタヤ王室にもたらした莫大な利益があったのではないかと著者は述べているが、長政は日本だけではなく、バタビヤ(現在のジャカルタ)や交趾(現在のベトナム)その他の地域とも交易している。浅間神社に奉納された長政の戦艦図絵馬についても、古くから戦艦図絵馬とか軍船絵馬といわれてきたため、長政がシャムにおいて戦いに用いた戦艦を描いたものと解されてきたが、長政の仕立てた朱印船を描いたものと考えた方がいいのではないかと新解釈を提示している。

 といって、本書では貿易家としての側面だけの山田長政を論じているわけではなく、その内容は、限られた史料を駆使しながら山田長政の生涯にわたる事蹟に及んでいる。山田長政の出身地についての伊勢説・尾張説・長崎説・駿府説の具体的な検討に始まり、長政が沼津藩主大久保忠佐の駕籠かきだったのはいつからいつまでのことなのか?長政はなぜ海外に出て行ったのか?どこからアユタヤへ向けて出航したのか?いつ長崎を出航して台湾、さらにアユタヤへ向かったのだろうか?など、アユタヤに渡る以前についても取り上げられている。

 日本を脱出してはるかシャム(タイ)に渡り、アユタヤ王朝のオークヤー、最高位の貴族にまで昇りつめ、ついにはリゴール国の王にまでなった山田長政の異国の地での活躍についても、アユタヤ王朝の歴史とともに詳述されているが、リゴール長官ではなくリゴール王として赴任した長政の死の謎についても著者独自の見解が紹介されている。

 エレミヤス・ファン・フリートが記したように、カラホム改めプラサート・トーン王の命令をうけたオークプラ・ナリットが毒薬を塗ったかもしれない。また、オランダ東インド会社が自国とシャムとの貿易を有利にするために邪魔な日本を追い落とす目的で長政を謀殺させたかもしれない。しかし、それらと同じくらい、長政はそのころのナコン・シータマラートの人によって殺された可能性が高かったことを忘れるべきではないと思われる。

 更に気になるのは、長政の死後、長政の長子オークン(日本の文献では「オイン」とよく表現されているが)がリゴール王を継いだ後の展開だ。リゴールからカンボジアに逃れたとする通説には著者は疑問を持っているが、アユタヤ日本人町の焼き討ちと復興、アユタヤ・カンボジアの日本人町に住んでいた日本人たちのその後と、長政の死後についても興味が尽きない。山田長政がいたころの駿府の町の国際的環境、朱印船貿易の制度と交易の実態、長政が行ったシャムと日本との当時の関係、アユタヤの日本人町の様子、当時のアユタヤ王朝を取り巻く内外の状況などと、本書では山田長政を理解する上で必要な背景となる各種テーマについても詳しく解説紹介されている。

本書の目次

はじめに
第1章 織田信長の末裔と称した長政 ー謎だらけの少年時代をさぐる- 
生国に4つの説/ 長政がいたころの駿府/ 沼津藩主の駕籠かき

第2章 海外へ出ていった日本人 ー日本は東南アジアの硝石がほしかった- 
駿府は海外に開かれた窓/ 朱印船貿易盛んになる/ 夢を海外に求めた人びと/ 南方進出のねらい

第3章 駿府豪商の船で密航した長政  ー長政の渡航は慶長17年か-
台湾を経てアユタヤへ/ 浅間神社戦艦図絵馬が語るもの/ 貿易家長政の実像

第4章 アユタヤ日本人町の頭領となる  ー発掘されたアユタヤ日本人町-
王都アユタヤ/ 人口3千を擁した日本人町/ 長政以前の日本人町頭領/ 日本人町頭領となった長政/ ペトロ岐部との出会い

第5章 長政がいたころのアユタヤ王朝  ーアユタヤ王朝は王位簒奪の歴史であった-
アユタヤ王朝のはじまり/  中興の大王ナレスワン/ ソングタム王に重く用いられた長政/ 長政の急速な昇進

第6章 ソングタム王の死とカラホムの暗躍  ー長政の進言によって王位継承方法がかわる-
ソングタム王病気となる/ 擁立されたジェッタ親王/ 王弟シーシンとの争い/ 長政の軍、シーシンを攻める

第7章 王宮で日本人傭兵隊を率いる  ー相つぐ王の死と陰謀渦まく中で-
アユタヤにおける下剋上/ ジェッタ殺されアデットウンが継ぐ/ カラホム、カパインを殺す/アユタヤ王朝22代

第8章 リゴール王となった長政  ー日本人部隊の強さの秘密は「戦国」の経験だった-
カラホムと長政との確執/  ナコン・シータマラートの平定/ 毒殺された長政

第9章 その後のアユタヤ日本人町  ーシャムにおける日本人の光と影-
長子オーククン・セーナピモック継ぐ/ アユタヤ日本人町の焼討ち/ 復興された日本人町/ アユタヤの滅亡

第10章 いま長政はどう評価されるか  –「海外へ雄飛した英雄」観からの脱却-
太平洋戦争と山田長政/  貿易家としての長政を見直す

あとがき
山田長政関係年表    

■本書で引用する史料・文献
エレミヤス・ファン・フリート著『17世紀に於けるタイ国革命史話』(『シャム革命史話』、村上直次郎訳)
岩生成一氏が、オランダのハーグにある国立中央文書館の膨大なオランダ東インド会社関係文書の中からさがし出したもので、17世紀の中ごろ、当時、アユタヤのオランダ商館長であったエレミヤス・ファン・フリートが、直接、間接に見聞したことを書き記したものであり、この本によって、長政の活躍ぶりと、その悲劇的な最後がはじめて浮き彫りになった。

『天竺徳兵衛物語』(『校訂漂流奇談全集』)長政の出身地の伊勢説
天竺徳兵衛という人は、もともと播磨の高砂(兵庫県高砂市)の出身で、京都の豪商角倉氏の船に乗って、寛永3年(1626)10月から同5年(1628)8月までシャムにおり、さらに同7年11月に再び渡航し、同9年8月に帰っており、晩年、若い頃に渡航先のシャムで見聞したことを書き残したもの
「渡天之説」(『改定史籍集覧』)
天竺徳兵衛が大坂上垣町に隠居していたとき、宝永4年(1707)のことであるが、長崎奉行の竹内采女正の質問に答えたときの記録

『采覧異言』新井白石 著
『暹羅国山田氏興亡記』智原五郎八 著
『山田仁左衛門渡唐禄』駿府郊外東押切村(清水市押切)の住人柴山柳陰子が元禄年間(1688~1704)に著述したもの
『長崎記』 長政の出身地の長崎説
『武将感状記』正徳6年(1716)の刊行。肥前平戸藩士熊沢正興 著。長政を駿府の出身とした最初の記事で、しかも駿府郊外の藁科の人としている
『駿河志料』近世、駿河の代表的地誌。新宮高平 著
『駿河国志』 榊原長俊 著
『山田長政本伝』 関口隆生 著
『異国日記』 金地院崇伝 著
・『暹羅国風土軍記』
『バタビヤ城日誌』(村上直次郎 訳)
・オランダの平戸商館関係の報告書(村上直次郎 訳)
・「印度参事会決議録」(村上直次郎 訳)
・1931年6月5日付、バタビヤ総督府のアントニオ・ファン・ディーメンから東印度会社に送られた報告書(岩生成一 訳)
・『徳川幕府家譜』
・『徳川実紀』
・『ドン・ロドリゴ日本見聞録』
・『長崎実録大成』
・「異国御朱印帳」(『異国往復書翰集・増訂異国日記抄』
・『高麗史』
・ルイス・フロイス 『日本史』
・『日本一鑑』(明の鄭舜功が明の嘉靖43年(1564)に著わしたもの)
・ド・ラ・ルーベール著『暹羅王国誌』
『史実山田長政』 江崎惇 著
・江崎惇 「タイ国に山田長政の遺跡を訪ねて」『歴史読本』昭和48年3月号
『山田長政の真の事蹟』
タイ文部省芸術局の嘱託として王室美術院技師となって40年間にもわたってタイに居住し、長政研究の第一人者ともいうべき三木栄氏の著
・小沢親光『雄魂山田長政』
・村本喜代作『山田長政の史的考察』
・陳舜臣「山田長政」(『日本史探訪』第7集)
・NHK歴史ドキュメント「山田長政の謎」昭和62年2月14日放映

・ビルマ大使、のちメキシコ大使になった鈴木孝氏が、ビルマ大使に在任中に、チェントンに住むゴン・シャン族から聞いた話(タイのアユタヤ王国時代に日本の武士62人が先祖の領内に逃げてきたという先祖からの代々の言い伝え)

・岩生成一「16~17世紀のコスモポリタンたち」『呂宋助左衛門の世界』
・岩生成一『朱印船貿易史の研究』
・岩生成一『南洋日本町の研究』
・中田易直『近世対外関係史の研究』
・北島正元『徳川家康』
・西野順次郎『日・タイ四百年史』
・藤野保『新訂幕藩体制史の研究』
・ロン・サヤマナン著『タイの歴史』(二村龍男 訳)
・二木謙一『大坂の陣』
・細田正「山田長政と日本人町」『アユタヤを訪れる日本人のために』
・内田銀蔵 『日本ト泰国トノ関係』
・松永伍一 『ペトロ岐部』
・『シャム』南洋叢書第4巻

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