メコン圏を舞台とする小説 第45回「新・古着屋総兵衛 第1巻 血に非ず」(佐伯泰英 著)

メコン圏を舞台とする小説 第45回「新・古着屋総兵衛 第1巻 血に非ず」(佐伯泰英 著)


「新・古着屋総兵衛  第1巻 血に非ず」(佐伯泰英 著、新潮文庫<新潮社>、2011年2月発行)

<著者紹介> 佐伯泰英(さえき・やすひで) <本書著者紹介より、本書掲載当時>
1942(昭和17)年、北九州市出身。日大芸術学部卒。映画・テレビCMの撮影助手を経て、1975年より、カメラマン、ノンフィクションライターとして活躍。1976年『闘牛』を発表。1981年『闘牛士エル・コルドベス 一九六九年の叛乱』でドキュメント・ファイル大賞を受賞。1987年、初の小説『殺戮の夏コンドルは翔ぶ』を発表。以降、多数の国際謀略小説、ミステリ小説を執筆。1999年(平成11)年、初の時代小説『密命』を発表。以降、「夏目影二郎始末旅」「鎌倉河岸捕物控」「吉原裏同心」「古着屋総兵衛影始末」「居眠り磐音 江戸双紙」「酔いどれ小籐次」「交代寄合伊那衆異聞」等の人気シリーズを立ち上げる。人間味溢れる人物造形、豊かな物語性、迫力ある剣戟描写等いずれも高く評価され、広範な読者の熱狂的な支持を得ている。また、エッセイ集として『惜櫟荘だより』がある。 

『新・古着屋総兵衛』は、佐伯泰英による時代小説シリーズで、新潮文庫から書下ろしで全18巻(2011年1月~2019年5月)で刊行。徳間文庫から刊行された『古着屋総兵衛影始末』全11巻シリーズ(2000年7月~2004年12月)の続編となり、本書「血に非ず」はその新シリーズの1作目。前作『古着屋総兵衛影始末』シリーズは、徳川家康から江戸の古着商を束ねる権利を与えられる代わりに徳川家の隠れ旗本として影働きする密約を成した鳶沢一族の当主で6代目の古着問屋大黒屋総兵衛勝頼が主人公。6代目大黒屋総兵衛勝頼は、海外との交易によって大きく雄飛し大黒屋の中興の祖として一族から敬われていたが、この続編の『新・古着屋総兵衛』シリーズは、それから約100年の時を経た享和年間(1801~1804)が舞台となる。

『新・古着屋総兵衛』シリーズの本書第1巻は、享和2年(1802年)晩夏、江戸富沢町の古着問屋大黒屋の九代目当主総兵衛勝典が36歳の働き盛りの年齢ながら、労咳を患い、余命幾ばくもない身となっていた場面からスタートする。嫡男・幸之輔を11歳で流行り病で失い、若いころに大黒屋に女中として奉公していたお香との間にできた子供・勝豊も鳶沢一族を率いる器でないことが明らかとなり、鳶沢一族は当主の嫡流が途絶えるという、かつてない危機を迎えようとしていた。後継者問題に頭を悩ませる大黒屋幹部たちに、死の病に冒された勝典は、第1巻のタイトルになっている「血に非ず」との言葉をつぶやく。

この言葉の真意を確かめることができずにいるうちに、大黒屋九代目当主総兵衛勝典の病は進行し、ついに享和2年(1802年)秋には10代目後継者が定まらないまま没することとなる。鳶沢一族による密葬のあと、後継者を定めるための会議を続ける大黒屋一番番頭の信一郎と鳶沢一族三長老たちのもとに、大黒屋九代目当主総兵衛勝典が亡くなった6日後(影七日)の朝、今坂勝臣という若者が江戸富沢町の大黒屋の店を訪れたことが伝えられる。その若者は、かつて6代目当主総兵衛勝頼が交趾(現在のベトナム)で、安南政庁の総兵使であったグェン・ヴァン・ファン(今坂理右衛門)の孫娘ソヒとの間になした子・今坂理総の孫グェン・ヴァン・キであった。

それが真実であることを確かめた信一郎と長老たちは、その器を見極めたうえで鳶沢一族の新頭領として迎え入れることを決める。安南の政変で故郷を追われて日本に辿り着いた今坂勝臣(グェン・ヴァン・キ)もまた、その提案を受け入れることを決意する。ここに大黒屋10代目・鳶沢総兵衛勝臣が誕生し、ベトナムから大きな帆船イマサカ号で慌てて海に逃げてきた今坂一族百五十数人を加え、新たな大黒屋が生まれることとなる。

初代の大黒屋総兵衛成元は、徳川家康との約定により古着商を束ねる権利を与えられ、鳶沢一族として存続を許される代わりに徳川家の隠れ旗本として影働きする密約をなした鳶沢一族の功労者で、6代目の大黒屋総兵衛勝頼は、古着を江戸府内に止まらず諸国に流通させる広域な船商いを完成させ、さらに京、大阪など上方ばかりか琉球にも店を出し、仕入れ先を多彩にして商売の規模を広げ、その商いを自前で行うために大海原を乗り切る大船を建造し、異国の交趾(現在のベトナム)などにまで交易の拠点を広げた人物。6代目勝頼は、初代に劣らぬ大商人で、勝頼の海外雄飛は、当然幕府の海外渡航や交流を禁じた定法に抵触したが、勝頼は強力な指揮力と行動力と戦闘力で幕府の弾圧を跳ね返してきたが、その勝頼が享保17年(1732)に亡くなった後は、大黒屋に幕府の手がしばしば入るようになっていく。

この六代目総兵衛は、大黒丸という大船を江戸で建造し、新航路の開拓と称して、一旦北に向かい、津軽海峡を抜けて、金沢と京の荷を積み込み、琉球を経由して高砂、呂宋(ルソン)、安南(アンナン)、暹羅(シャム)へと南下する異国交易の航海中、琉球に着く前に、イスパニア船の待ち伏せを受けて交戦し、遭難し、寛永(1624~1644)以前に多くの和人が渡航し、日本人町も形成されていたという交趾に辿り着く。この遭難は、宝永4年(1707)のことで、交趾のツロンで、グエン・ヴァン・ファン(日本名は今坂理右右衛門)という安南政庁の総兵使の職に就く名家に世話になるが、このグェン家の先祖は、日本の西国の大名に仕えた今坂一族の血筋。この六代目総兵衛と交趾との関わりは、前作シリーズ『古着屋総兵衛影始末』では第10巻「交趾!」に登場する。

本書では、鳶沢一族の新頭領として推挙され第10代の大黒屋総兵衛となる今坂勝臣(グェン・ヴァン・キ)が、政変で生まれ故郷の交趾を追われ、今坂一族とともに日本に辿り着き、本書の舞台は、江戸を中心に日本が物語の舞台となっているが、新シリーズの『新・古着屋総兵衛』でも、ストーリーが展開していくに連れ、第8巻「安南からの刺客」と、ベトナムが絡んでくるだけでなく、第15巻「故郷はなきや」ではベトナムが物語の舞台としても登場してくる。今坂勝臣(グェン・ヴァン・キ)の一族グェン家は、1年前、安南の政変で長年務めた高官職を追われ、流浪の身になったという設定。

本書で今坂勝臣(グェン・ヴァン・キ)が政変でベトナムの故地を追われたのが1801年、日本で9代目の大黒屋総兵衛が亡くなり10代目の大黒屋総兵衛が誕生するのが享和2年(1802年)で、現実のベトナムの歴史でみると、ベトナムでは16世紀から北部は鄭氏政権(1545~1787)、中南部は阮氏の広南国(1558~1777)の長い南北分断時代(鄭阮紛争)の後に起こった西山党の乱から西山朝(1778-1802)と1802年のグエン・フック・アイン(阮福英)による南北統一王朝の阮朝成立の激動の混乱期。6代目の大黒屋総兵衛勝頼が遭難でベトナムで一時期、暮らすことになるのは1707年からで、これは、南北分断時代(鄭阮紛争)の中南部の阮氏広南国(1558~1777)の時代。

尚、今坂一族が最初にベトナムに住みつき始めたのは、この物語の時代から200年ほど前という設定なので、こちらは日本の鎖国前の17世紀初に南北分断時代(鄭阮紛争)の中南部の阮氏広南国(1558~1777)の時代のはず。ベトナム中部のホイアンは、16世紀後半に国際貿易港として発展し、日本とより密接な関係が保たれるようになったのは1601年。当時、中南部を実質的に支配していた阮氏広南国が正式な国交を求め、これを機に江戸幕府との取引が加速し、江戸幕府からも朱印船を送り、多くの日本人がホイアンに移り住みホイアンには日本人街が作られ、とても賑わったが、この朱印船貿易は約30年続いた後、日本で鎖国が始まり往来が無くなってしまう。

現在の東京都中央区にある日本橋富沢町は、江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである鳶沢甚内という人物がいたことから、「鳶沢町」と呼ばれるようになり、そこから、後に「富沢町」と呼ばれるようになったことも初めて本書がきっかけで知ったが、著者の佐伯泰英氏が、富沢町の古着屋を「武」と「商」に生きる鳶沢一族として描くこの物語の着想は、三田村鳶魚の『江戸語彙』にある「鳶沢某なる夜盗が家康に許されて鳶沢町を造ることを許され、古着商いの権利を得た」という記述からだったとのこと。江戸の古着の流通市場の話もとても興味深いし、また古着問屋大黒屋の鳶沢一族が単なる古着商人でなく、一族が武芸に長けた、多彩な人物が集まり、また、その富沢町の館の秘密の構造だけでなく、江戸湾口浦郷村深浦湾(現・神奈川県浦郷町)に大きな船の船隠しの拠点も、冒険活劇の要素をより面白くしてくれている。また、「かげま」という男娼の江戸時代の風俗の話も本書で初めて知ることができた。

目次
第1章 跡継ぎ
第2章 総兵衛の死
第3章 南からの訪問者
第4章 三檣帆船
第5章 影様の正体
あとがき

ストーリーの主な展開時代
・1802年(享和2年)
ストーリーの主な展開場所
・江戸 ・江戸湾口浦郷村深浦湾(現・神奈川県浦郷町)・大島 ・駿府久能山 ・琉球首里

ストーリーの主な登場人物
・鳶沢総兵衛勝頼(6代目大黒屋総兵衛、享保17年(1732)逝去)
・鳶沢総兵衛勝典(富沢町の古着問屋大黒屋の9代目当主)
・グェン・ヴァン・キ(今坂勝臣)(6代目総兵衛勝頼の曾孫)
・グェン・ヴァン・ファン(今坂理右衛門。安南政庁の総兵使)
・ソヒ(グェン・ヴァン・ファンの孫娘。グェン・ヴァン・キの曾祖母)
・今坂理総(6代目当主鳶沢総兵衛勝頼とソヒの子)
・光蔵(大黒屋大番頭。鳶沢一族三長老の一人。60歳)
・信一郎(大黒屋一番番頭。琉球生まれ。祖伝夢想流・琉球武術の達人)
・安左衛門(鳶沢一族三長老の一人。駿府鳶沢村を拠点にする分家の長。77歳)
・仲蔵(鳶沢一族三長老の一人。大黒屋琉球支店の総支配人。信一郎の実父。55歳)
・おりん(大黒屋の奥向きを仕切る25歳の鳶沢一族の女性。鳶沢村の村長の姪)
・参次郎(大黒屋二番番頭)
・雄三郎(大黒屋三番番頭)
・重吉(大黒屋四番番頭)
・田之助(大黒屋手代。異名「早走り」
・華吉(大黒屋手代。含み針を使う)
・九輔(大黒屋手代。通称「猫の九輔」)
・権造(大黒屋荷運び頭。通称「坊主の権造」)
・天松(大黒屋小僧。背が高く、通称「ひょろ松」)
・銀次(大黒屋小僧)
・市蔵(大黒屋見習番頭)
・美吉(鳶沢村の若い衆)
・達次(鳶沢村の若い衆)
・桂川甫周国瑞(蘭医。将軍家の奥医師、桂川家4代目)
・桂川甫周国瑞の薬箱持ちの見習い医師
・幸地達高(第三大黒丸の副船頭兼舵方)
・金武陣七(第三大黒丸の主船頭)
・グェン・ヴァン・チ(イマサカ号の航海方の若者。今坂勝臣の従兄弟)
・壱臓(深浦の船隠しの浜の長。片足が不自由)
・池城具高(琉球に住む一族、池城(いけぐすく)一族の長)
・お由(グェン・ヴァン・キの大叔母)
・鳶沢勝幸(グェン・ヴァン・キの弟の新しい日本名)
・鳶沢おふく(グェン・ヴァン・キの妹の新しい日本名)
・お香(1781年に15歳で大黒屋に奉公の元大黒屋女中。女郎屋「角一楼」の女将)
・伊神の龍太(深川の岡場所の一つ、通称櫓下の女郎屋「角一楼」の男衆)
・勝豊(総兵衛勝典とお香との子で17歳)
・安房屋宣蔵(荷揚げ人足の口入屋)
・義助(安房屋宣蔵の番頭)
・梅沢嘉助(安房屋宣蔵の用心棒)
・雲州浪人猪狩新左衛門(安房屋宣蔵の用心棒)
・北村(安房屋宣蔵の番頭・義助の用心棒)
・浅見(安房屋宣蔵の番頭・義助の用心棒)
・猪谷(安房屋宣蔵の番頭・義助の用心棒)
・おその(吉原の七軒茶屋の引手茶屋の山口巴屋の女将)
・初蔵(吉原の西院楼の番頭)
・幸之輔(大黒屋9代目当主・鳶沢総兵衛勝典の嫡男、11歳で流行り病で亡くなる)
・由紀乃(大黒屋9代目当主・鳶沢総兵衛勝典の内儀、幸之輔の死後、精神を患い実家に戻る)
・やえ(9代目当主・鳶沢総兵衛勝典が若い頃、馴染みになった琉球女)
・華栄(9代目当主・鳶沢総兵衛勝典が若い頃、馴染みになった琉球女)
・美雪(6代目当主・鳶沢総兵衛勝頼の内儀)
・公儀お庭番衆(将軍家直属の忍び集団)
・新吉(古着の荷担ぎ)
・三井八郎右衛門高清(三井越後の当代)
・万屋松右衛門(江戸の古着商の代表たる年寄の一人)
・本庄義親(大目付職の首席、道中奉行を兼帯)
・小田切直年(北町奉行)
・根岸鎮衛(南町奉行)
・ちゅう吉(湯島天神の床下に住んでいる少年)
・中村歌児(芳町の子供屋の抱え、中村座の15歳の舞台子9
・湯島天神下のかげま茶屋花伊勢の女将
・本郷丹後守康秀(七千石取りの直参旗本。将軍家斉の信任厚い御側衆)
・鶴間元兵衛(本郷丹後守康秀の用人)
・牧野備前守忠精(越後長岡藩の9代目藩主。京都所司代から老中となる)
・鳶沢総兵衛成元(初代大黒屋総兵衛)
・徳川家康
・本多正純(初代影様)
・鳶沢総兵衛勝成(7代目大黒屋総兵衛)
・鳶沢総兵衛勝雄(8代目大黒屋総兵衛)

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