エッセイ「ラオスからの手紙」(村山明雄さん)第11信 「シービット君の奥さん、いわく」「竜神ロケット」

(2003年7月号掲載)

2003年10月12日
村山明雄 (桜ちゃんのパパ)

こんにちは、桜ちゃんのパパです。

皆さんいかがお過ごしですか。さてわたくし、10月23日でポンサワンを引き払い、ビエンチャンに戻ることになりました。有給休暇の消化が悪いため、任期の繰り延べで、早くビエンチャンに戻れることになりました。また27日より、出稼ぎで日本に帰ります。来年の1月上旬にラオスに戻ってくる予定です。

さて、桜ちゃんのパパという名前ですが、どうしてそのようにいうか?これはドンミアン(寮都)の近所の人は、みんな、私の妻のことを「メー・サクラ」(桜ちゃんのお母さん)と呼ぶので、私も「桜ちゃんのパパ」と自称するわけです。

ある日本の方が、それでは次女の蘭ちゃんが妬けないか?と質問しました。うん、これは困った質問で私はうまく答えられなかったのですが、サクラちゃんが長女なので、やはりお母さんやお父さんは、桜ちゃんのパパ、サクラちゃんのママになるとのこと。これで、近所の人にも認知されているので、蘭ちゃんが後から産まれてきてもこの最初のニックネームは変えないようです。

今回は、「竜神ロケット」 バンファイ・パニャナ―ク についてラオスの雑誌の記事を翻訳したものを載せました。実は先月の28日現場に遊びに行ってきたのです。去年、ビエンチャンの日本人で見に行った人がいたが、車のものすごい混雑でとうとう行き着かなくて帰ってきたとか。というわけで、去年ITVのやらせ事件とかがあったので、今年はもっと混雑したでしょう。わたしは、現場で子供に聞いてみたけれどやっぱりこれは本当だと思います。どういった原因かは、地質に詳しい人がいたら教えてください。

その1 シービット君の奥さんいわく

「アキオ、アイ・シービット ボー ユー」明雄、シービットはいませんよ。これは、シービット君の奥さんと私が最初に会話した時の彼女の言ったことである。

さて、シービット君の話は前回の「桜ちゃんのパパ、ラオスからの手紙」で登場したので新たに詳しく説明することはないだろう。簡単に説明すると、我が家の門番、6月の入安居の前に駆け込み結婚した新婚さんである。新居は私が借りている家の離れの門番小屋。

結婚式の時は、私も出席したが、何せたくさんの人間がくりだすラオスの結婚式、私も彼の奥さんの顔を覚えていないし、向こうもちゃんと私の事知っているのかな。ラオスの新婦は「カオ・ラオ」といって新婦はオールバックで髪を結うので、はっきりいって美人かブスか全然わからない。日本のお相撲さんのちょん髷みたい。これが「カオ・タイ」といってタイ式の結い方になると、おでこのところを垂れながすので、顔の特徴がでてくるのだが。ということで、お互い初対面と言っていいだろう。

さて、桜ちゃんのパパ、来年の1月で45歳。シービット君の奥さんは聞くところによると18歳くらいらしい。つまり、桜ちゃんのパパは結婚が遅かったが、もし20代で結婚しているとすれば、シービット君の奥さんは自分の娘くらいの女性である。

普通、ラオス人同士でこのくらい年齢が違うと、初対面では年下は年上に対してアイ「お兄さん」、ルン「おじさん」といった呼び方をするのが礼儀だが。シービット君の奥さんいきなり「アキオ」と呼び捨てできた。

そして自分の旦那にはちゃんと「アイ」(お兄さん)と敬称をつけているから、言われるこっちも少し気分が悪い。

さてここまで書くと、ラオスにある程度長くいる日本人なら常日頃感じていることだろう。よび方である。ラオス人同士なら、当然こういった敬称にあたる言葉をつけるのに、我々外国人に対しては、呼び捨てがほとんどではないか。

たしかに、ラオス人にとっても初めて会った時に、何と呼ぶかこれは結構難しいようである。まして相手がラオス語の不自由な外人、それだったら呼び捨てでいいか。まして英語はみんなファースト・ネームで呼び合うから、日本もおなじだろう。これでいいのでは、そんな気持ちなのだろう。

だけど、わたしの職場でも、20代の職員は、35歳くらいの自分より年配の職員には、ちゃんと「アイ」をつけている。同席していて一緒に会話していても、20代の若造は、35歳の先輩には「アイ」をつけて、そして私には「アキオ」と呼ぶから、アキオは少しひねくれてくるのだ。アキオの方も年下には、「ノーン」(弟)と呼んで、自分には1人称の「アイ」を使えば、向こうもそれに従うのだろう。しかし、アキオの場合はどうしても日本語が母国語なので、どうしても対等の感じで、私は「コイ」、貴方は「チャオ」を使ってしまうのだ。

さて呼び捨てだが、例えばラオス人で「ケオ」さんが、自分より年下にあたる人から、「ケオ」と呼ばれるより、「ウアイ・ケオ」と呼んでくれたほうが嬉しい。{「ウアイ」はこの場合は「お姉さん」に当たる。}このように言っていたのを覚えている。勿論「ケオ」と呼び捨てにしても普通なのだが。従って、ある日本人が自分は呼び捨てで呼ばれるほうが何か親しみを感じているようで嬉しいと言っていたが、これは誤解だと思う。親しみをもって言うなら、年下なら「ノーン」をつけるだろうし、何もつけないのはやはりそんなに親しくないからだと思う。

さて、このごろ、越南料理屋によく行く。ここのママさんはラオスに着たばかりの越僑でラオス語は下手。しかし私が彼女のラオス語を聞いて気が付いたことがある。自分のことをいう場合、つまり一人称で「弟・妹」にあたる「ノーン」を使っているのである。

普通、ラオス人の普通の食堂ではこのようないかたはしない。私の経験でほとんどない。また貴方にあたるのは、「チャオ」ではなく「アイ」を使っている。これがラオス人の食堂なら「何を食べますか?」でも「チャオ・キン・ニャン?」だからちょっと違う。しかしベトナム人のこの店では「アイ・キン・ニャン?」である。

ママさんのラオス語はおそらく、母国語であるベトナム語の影響なのだろう。ベトナム語のほうが、こういったお互いの立場、身分についてうるさいのではないだろうか。そういった意味でラオスはいいかげん。特に外国人に対してはこういった自分の国のマナー以外の対応をしても許される。またはラオス人自身も、どう呼んでいいか困っているのでは。たしかにこの人は、自分の年上だから「アイ」なのだが、だけど外国人だし。えい、面倒だ「アキオ」にしてやろう。

日本でも同じ例で、外国人に対して以前は呼び捨てが多かった。例えばこれは「楽しくて為になるラオス語」のなかでも書いたが、プロ野球巨人のある選手のヒーロー・インタビュー。(ずいぶん前の選手であるが)(これについては「楽しくて為になるラオス語」のなかでも触れたことであるが。)

「原さん(つい最近、巨人の監督を首になった)が頑張って、ヒットを打ったので、私もつなげようとしました。クロマティーのホームランで楽になりました。」この選手、誰だったか忘れたが、原やクロマティーより確か年下だったと思う。だから日本人のマナーとしてはやはり、自分の年上である原選手やクロマティー選手、両方にきちんと「さん付け」しないといけないのだが、原選手には「原さん」、クロマティーには「クロマティー」と呼び捨てになった。もちろんクロマティー選手は日本語がわからないから、これでも波風が立たないのだが、ラオスに長くいる「アキオ さん」は少しいじけてしまうわけだ。

この点を、ベトナム語の通訳をしている友人に質問した。彼、答えていわく。自分がベトナム人ではなく外国人であろうと、最初からいきなり呼び捨てにされたことはない。たいてい「アン山田」とか言われる。「山田」と言われたのは一度だけで、それは学校をちゃんとでていない人だったとのこと。(ちなみに山田は仮名ですので)

ただし、ベトナム語の「アン」がラオス語の「アイ」にそっくりそのまま当たるかどうか。「アン」は2人称の少し尊敬した言い方らしい。ある意味ではしかしラオス語の「チャオ」の意味に近いのかもしれない。しかし、ラオス語で「チャオ・アキオ」とは言わないし、やはり「アイ・アキオ」である。この辺は読者のなかでベトナム語が上手なかたに教えていただきたい。

この問題についてはベトナム語がアキオはわからないので、ラオス語と比較できない。読んだ人で知っている人がいれば教えてください。

ラオス人に聞いてみると、たとえば建設労働者でラオスに来ているベトナム人たち、彼らは雇い主が年下でも「アイ」をつけるようだ。ラオスの場合はいくら雇い主だろうとも、年下に「アイ」はつけないし、最初は年齢がわからなくて「アイ」で呼んでみても関係がわかれば、変えてくるらしい。しかし彼が雇ったベトナム人は仕事が終わるまで、施主の彼に対しては「アイ」で通したらしい。

ということで、越南料理のママさんは私がお客だから、自分のことを「ノーン」と読んでいるのか。彼女はラオス語の「私」に当たる「コイ」を使ったことは一度もない。ベトナム語の「アン」はラオス語の「コイ」は意味がまったく同じではなく少しニュアンスが違ってくるのだろうか。

というわけで、まだこういったラオス語の使い分けが私はできない。また当然、「アイ」を付けなければいけない関係でもいきなり「アキオ」と呼ばれては、私はまだまだ所詮、この国では外国人だなと思う。そういった意味でこれから後、何年いてもこういった使い分けはまだまだ出来ないな、このように思う。またこれからいくら頑張ってもこういったラオス語はマスターできないのだろうかと、さびしく思えてくる。見えない文化の壁である。

従ってラオス人がお世辞で「ずっと、ラオスにいなさいよ」などと言っても、やはりこういった見えない壁があるように思えてくる。しょせん、我々は違う文化の人間なのだろうか。

さてアキオのラオス語である、呼称に関して、華僑は中国語を使うのでこっちの言い方の方が楽である。また我々夫婦の会話はラオス語で喋っていても2人称は「お父さん」「お母さん」である。これは華僑がラオス語を喋っていてもこういった呼称は依然として中国語を使うのに似ている。淑珍の家族、親戚にはどういった中国語の呼称を使えば良いかはわかるが相手がラオス人であると本当に検討がつかない。

中国人の行商女がポンサワンにいっぱいいる。天秤棒をかついで毎日、雑貨品を売り歩く彼らから将来の大金持ちが生まれるかもしれない。

さて彼女達のラオス語、お客に対して「シオ」という。

「シオ」はラオス語で同年輩の本当の友達の間で用いられる言葉である。したがってお客さんに「シオ」というのはおかしい使い方である。しかし中国人だけではなく、山岳民族でラオス語が上手ではない人たちも、こういった場合「シオ」をよく使う。やはり、ラオス語の一人称・2人称の使い分けはそれだけ難しいのだろう。

ということで、これはラオスにいろんな国の人が住んでいるので、それによってラオス語も変化していくのかもしれない。将来、ラオス語の2人称が「シオ」に変わらないでもないだろう。従って、ラオス人は外国から来た人たちの喋るラオス語を寛容に受け入れないといけないかもしれない。ラオスに来て、ラオス語を喋っているのだから当然、間違いはあるし。

その2 竜神ロケット (バンファイ・パニャナーク)

バンファイ・パニャナ―クは自然現象の1つで国内のラオス人、また外国から来た人をひきつけ興味を持たせるものである。この現象が起こるのは、パーク・グム・ハイ村からメコン下流のボリカムサイ県のターパバード郡ウンタード村にかけて、メコン河の中に起こる現象である。毎年、旧暦11月の満月、つまり出安居の夜、赤みがかかっ緑色の火がメコンの水面から1~5m上がる。この火は上がった後に消えていく。この現象は地元の人にとって毎年、観測されるものでそれが口伝で語り継がれ今日までになっている。特にター・パバード郡の民衆の間では有名である。

バンファイ:ロケット
パニャナ―ク:竜神(メコン河に住んでいると言われる竜の神様)

しかし今まで、誰も詳しくこの現象について説明した人はいない。

ただ昔からの言い伝えで、毎年出安吾の、竜が色々な場所から、この地域の地下に集まって来て、オーグ・パンサーを祝うのである。このお祭りの儀式の時、竜がそれぞれの仮装をするのである。ある場合は雨を降らし、水を溢れさせる。ある竜は蝋燭に火をつけて、ロケットに火をつけて、それを天に飛ばして空の神様に捧げるのである。そしてこの世のすべての物を支配している仏様がそれを御覧になって満足されて、おひらきとなるのである。

これはあくまでも昔からの言い伝えの信仰である。しかし、我々が地質学と言うものを意識して、このパニャナ―クというものが本当に起きるか考えてみると、これは天然ガス、あるいは地下からある物質が噴出してきて、それが酸素と反応してこのような化学現象をおこすのだと想定されうる。

それでは何故、この現象がオーグ・パンサーの時にしかおきないのか?

他の日にはどうして生じないのか?これは宇宙の動きによるものである。地球の自転とそれをとりまく月の動きによりたまたま、つまりオーグ・パンサーの日に、地球が一番月に近づいて、引力が働いて、地殻にある物質が地表に出てきて、このような現象が生じるのではないかということだ。(これはあくまでも筆者の想像であり、調査などにより証明されたものではない)

地球の構造を見てみると、ター・パバーン郡は、地質学者の視点から見ると、MAGNESIUM POTASHのある場所ではないかと期待される地点の1つである。したがって、国内また国外の企業が調査団を派遣している。

中国雲南省の会社が2001年に調査を行なっている。

ターパバート郡地域も、ビエンチャン平野流域に位置する。調査の結果、この地域にはMAGNESIUM POTASHが多量にあることがわかった。地質調査所の資料によると、最大厚で101.1m、平均で38.92m、含有量で、P2Kcl 50.123.818.17トンでMgCL 10.763.623.34トン、平均KCLで16.34% MgCLで22.85% ということである。

1991年に政府は、MONUMENT OIL RESOURCES という会社にラオスの中部37250km2の面積(サニャブリ県、ビエンチャン特別市、ボリカムサイ県、カムアン県)での天然ガスと石油探査の許可を出した。会社は現場での調査を実際におこない、サンプルを分析した。また地質図も作成した。空中からAEROMAGNETIC SURVEYを1127kmおこない、人工衛星の写真解析もおこなった。またGRAVITY SURVEYを、5600km行なった。GRAVITY MAPを作成した。また2 DIMENSIONSで SELSMLC SURVEYを行い、その面積は492kmにおよぶ。

以上の調査の結果から、会社はボリカムサイ県のパバート郡に天然ガスと石油のふ存が期待される地質構造があるという結論がでた。会社はテスト・ボーリングをター・パバート郡のナー村で行なった。掘削深度は2091mに達した、そして花崗岩(火山岩)の層にぶつかった。この層があるということは、極めて石油あるいは天然ガスが出てくる確率が非常に難しいことを意味する。会社は1998年に契約からの撤退を申し出た。

以上紹介したように、現在までにター・パバート地区に石油と天然ガスがあるかないかという、はっきりした結論はでていない。しかし現在、世界では石油掘削において新しい理論が出てきた。それはベトナムの経験であるが、掘削中に花崗岩にぶつかったが、更に掘削を続けて最後に大きな石油層に達した。

こういった理由により、我々も将来またどこかの会社が興味を持ち、更に調査してみたら石油層、あるいは天然ガスの層にあたるかもしれないという希望が持てる。

しかしとにかく、現在ボリカムサイ県民全体、そして特にター・バート郡の住民はこのバンファイ・パニャナ―クという現象に誇りを持っている。したがって我々はこれを保存し、地元の発展のために内外の人に宣伝して、観光客として見に来てくれるように努力したいと思っています。

(C)村山明雄 2002- All rights reserved.

村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著

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