コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第25話 「牛への感謝祭(3)」

五島列島に牛を連れてきた海人集団と、中国南部のプーイー族やコーラオ族に伝わる牛への感謝祭

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第25話 「牛への感謝祭(3)」

日本古代史の安本美典は、数理文献学によって神武天皇が実在したとすればその在位年代を「280~300年ごろ」と考えていますが、僕はこの説をとりたい。というのも「神武東征」のような大規模な軍事行動は、列島内(とりわけ九州・瀬戸内・近畿)の狭い領域から自発したものとは考えられず、280年の三国の呉の滅亡の余波を受けたものではないかと考えられるからです。呉は扶南と通交し朝鮮半島に一万の兵を送るほどの海軍力を持っていたが、晋の軍勢が呉の都に進軍するやたちまち土崩瓦解し、孫皓は降伏しました。このときかなりの海軍が列島に逃れてきたのではなかったでしょうか。また神武の祖父(ヒコホホデミ)は海の彼方の海神の宮殿を訪れていますが、これは呉の海軍の一将領の邸宅だったのではないでしょうか。さらに言えばヒコホホデミはこのとき海神よりタイ系の水族の儀礼で迎えられていますが、水族によって構成される海軍の船隊もあったのではないでしょうか。呉は滅んだ国でありそのことのハンディに加えて、大陸中心の中国の史官の眼からすれば、海上の出来事はほとんど視野の外だったと思われます。この場合、海人に伝わる伝説が下敷きとなったと思われる『古事記』のはじめの部分は、中国の史官には窺い知ることのできない海を通じた世界の消息を伝えているように思われます。いろいろと妄想は尽きませんが、三国の呉とのからみから僕は安本美典の説を取りたい。

 さらに安本美典は崇神天皇を360年ごろの人、神功皇后を400年ごろの人としていますので、その間に入る景行天皇は380年ごろの人となり、「景行天皇のとき」とはこのころを言うものと思われます。このころ五島列島に牛を連れた新たな海人の集団が到着したようです。すでに372年に百済が東晋に使節を送り、南海の航路はひらけていました。

 タイの人たちに牛の正月とか牛の歳取りのような行事はないかと聞いていますが、あると答えた人にはまだ出会っていません。「牛にご馳走をする日ですよ。」というと「ああ、耕牛祭のことですか。」と言います。これは雨季が来る前に行なわれる耕牛の儀式で、ワン・プーツモンコンと呼ばれる日にサナームルアンで王室が行なうものが本格です。カンボジアにもまったく同じ儀式があるといわれます。どちらもヒンドゥーの白衣の導師が式典を仕切ります。ローイエット県出身のイサーン娘のヤーは、18歳のころ、耕牛祭に向う牛の行列を見た。牛はそれぞれ白い布をまとい、祭りの後で牛たちは酒や御飯、豆やイモをふるまわれたと語りました。

 タイ王国に住むインド文明の洗礼を受けテラワーダ仏教を信奉するいわゆるタイ人は、牛に関する行事はクメール伝来のヒンドゥー色の濃い耕牛祭しか知らないようです。しかし中国南部のタイ族の故地にとどまるタイ民族の一派には牛への感謝祭がのこされています。たとえば貴州省の南部と西南部に住むプーイー族の村には、中国人が「牛王節」と呼ぶ祭りがあります。すなわち農暦10月1日に牛王節の祭りを行ない、牛をきれいに飾ってご馳走を食わせるといわれます。この「牛王節」と呼ぶ祭りは貴州省を開拓したと言われるコーラオ族にもあり、同じ農暦10月1日に行なわれます。この日は牛を休ませ、コーラオ族は鶏と酒のご馳走をふるまいます。また上等の糯米を蒸して作った特大のチマキを牛の両方の角に結びつけ、牛を水辺に連れて行ってチマキをつけた晴れ姿を水に映して牛に見せた後、チマキを牛に食わせるのです。

コーラオ族は貴州・雲南・広西省に44万人ほど住んでおり、過去の歴史において中国人からリャオとかクズとか呼ばれたことがあります。クズ(中国式ローマ字でGUZU)などときけば、『古事記』に出てくる吉野の国巣(クズ)が連想されますが、日本の山の民の郷として名高い徳島県の祖谷山では、5月5日の日に作るチマキは牛にも食わせるものだといわれています。

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