「歴史舞台としての中国西南部・南部」第7回「長征途上の紅軍とイ族」

中国史と西南部の少数民族(現代史)
1935年5月22日、金沙江を渡り終えた中国紅軍の劉伯承総参謀長が四川南部のイ族の族長・小葉丹と血盟の儀式を交わし、大渡河沿岸の安順場への通行コースを確保

「歴史舞台としての中国西南部・南部」
第7回「長征途上の紅軍とイ族」
紅軍とイ族間の血盟の儀式 1935年5月22日

1934年10月に始まる中国紅軍による壮大なドラマ、長征の本来の目的は、中国共産党と中国労農紅軍の残存勢力を保持し、放棄した旧根拠地に代わる新根拠地を求めて、革命の起死回生を図る事にあった。長征の途上は、空と地上から加えられる国民党軍の攻撃の前に、決して安易平坦なものではなく、1934年10月中央革命根拠地であった江西省の瑞金を放棄し、2西に向かった中国紅軍の主力部隊は、進行コースの変更を度々余儀なくされた。賀竜が指揮する湖南省北部の革命根拠地に合流する当初の計画が変更され(1934年12月の通道会議・黎平会議)、1935年1月開催の遵義会議(貴州省)で毛沢東が主導権を掌握。その後、苦しい戦いやジグザグ行軍を展開しつつ、1935年4月末には、林彪率いる第1軍団の昆明の擬似攻撃を行い、1935年5月1日から9日にかけて、毛沢東・周恩来・朱徳・劉伯承ら中国工農紅軍第一方面軍は、雲南省岸の皎平渡で金沙江を渡って四川省南部に入ることができた。

 1935年5月12日、現在の四川省東南部の会理で、政治局拡大会議が開かれ、部隊の再編成を決定するとともに、更に北上してイ族地区を通って大渡河を渡るという毛沢東の計画が承認された。会理から徳昌・西昌県を経て、瀘沽の北側から冕寧県城にいたり、そこから漢民族と長年対立し漢民族を強く憎んでいたイ族居住地区の拖烏という漢民族にとって大変危険な地域を通って、大渡河沿岸の安順場に到着するという、会理から大渡河までの距離は約500キロのコースであった。

 中国紅軍は少数民族に対し開明的な政策を採って来ており、特段の配慮を払っていた。イ族の地に入る前に、1935年5月20日夜、ひそかに紅軍は冕寧県城に入り、漢イ大衆らによる革命委員会を成立させた。また重い税金や借金に苦しむ漢イ大衆の武装革命軍である抗捐軍も組織され、漢人の大土豪らの財産を没収して、貧苦イ族大衆に分配するなど、彼らの支持を得ようとした。

 一方、北上のため、1935年5月22日、先遣隊は、冕寧から15キロほど漢人とイ族地区の境界にある大橋鎮に到着。総参謀長・劉伯承、第一軍団政治委員・聶栄臻らは、先遣隊として、5月22日出発し、イ族居住地区の拖烏地区にさしかかると、イ族の沽基家の群集がとりかこみ、紅軍を威嚇してきた。紅軍の説得により、イ族の村で、劉伯承がイ族の族長・小葉丹(沽基家の家長)との会見が実現。劉伯承は、小葉丹と血盟による兄弟になりたいと申入れ、また国民党政府を覆した時には紅軍は、イ族がその権利と特権を回復するために協力すると誓約した。こうして一行は、澄んだ湖のほとりに行き、イ族の習慣にしたがって、たがいに兄弟となる約束をし、きれいな水を汲んだ2個の椀にに雄鶏の鮮血を注いだ上で椀を飲み干し、結盟の儀式をとり行った。

 劉伯承は、小葉丹に「中国夷(彝)民紅軍沽鶏(基)支隊」の隊旗をおくり、朱徳総司令も「中国工農紅軍布告」を沿道に貼り出して、紅軍がイ族兄弟を尊重する事を宣言した。彝(イ)族との盟約により、小葉丹らの護送で、紅軍は大凉山山脈の西側のけわしい山岳地帯のイ族地区を北に向かって無事通過し、石棉県安順場に到着できた。尚、小葉丹らは、その後、国民党軍の反撃と戦い、1941年軍閥と結ぶイ族奴隷主に殺されたが、1951年、冕寧県はついに解放された。

主たる参考文献
*『長征ー語られざる真実』(ハリソン・E・ソールズベリー、岡本隆三 監訳 時事通信社、1988年)
『中国大凉山イ族区横断記』 (曽昭掄 著、 八巻佳子 訳、築地書館、1982年)
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■劉伯承(1892年12月4日~1986年10月7日)
四川省開県出身。原名は、孝生。1926年中国共産党に入党。1927年南昌蜂起に参加後、ソ連のフルンゼ軍事学院に留学。1932年紅軍第1方面軍参謀長、1933年中央軍事委総参謀長、長征の進軍を指揮。抗日戦争期は八路軍129師長、”百団大戦”に参加。1945年中国共産党中央委員。国共内戦期は中原野戦軍、第2野戦軍の各司令員。1948年淮海戦役、1949年長江渡河作戦を指揮。建国後は中央人民政府委員、中央人民革命軍事委員に就任。1951~58年は軍事学院長兼政治委員(1957年より高等軍事学院長)、学校を重視して近代的な軍事学校教育体系を整え、ソ連軍の文献を用いて近代的正規軍を運用できる多くの軍人を養成。1954年党中央軍事委員。1955年元帥。1958年にはソ連式の軍近代化路線が批判されたため攻撃を受け、高等軍事学院長兼政治委員を解任。1966年中央軍事委副主席、1969年党中央政治局員。1982年すべての職務を引退。著書に「劉伯承軍事文選」ほか * (『岩波現代中国字典』を主に参照)

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