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論考論文・探求活動記「東南アジアの仏足石」(鈴木 峻さん)第2編「南タイ・スコタイ仏足跡探訪記」第4回
- 2026/2/15
- 「東南アジアの仏足石」(鈴木 峻さん), 手記投稿等, 論考論文・探求活動記
論考論文・探求活動記「東南アジアの仏足石 」(鈴木 峻 さん)
第2編 「南タイ・スコタイ仏足跡探訪記」 第4回
鈴木 峻(すずき・たかし)
1938年8月5日、満州国・牡丹江市生まれ。1962年、東京大学経済学部卒業。住友金属工業、調査部次長、シンガポール事務所次長、海外事業部長。タイスチール・パイプ社長。鹿島製鉄所副所長。(株)日本総研理事・アジア研究センター所長。
1997年、神戸大学大学院経済学研究科兼国際協力研究科教授。2001年、東洋大学経済学部教授。2004年定年退職。その間、東京大学農学部、茨城大学人文学部非常勤講師。立命館大学客員教授。経済学博士(神戸大学、学術)。
2012年9月~2014年6月、タイ・ラオス、カンボジアに数次にわたり仏足石調査旅行。主な著書『東南アジアの経済』(御茶ノ水書房、1996年)、『東南アジアの経歴史歴史』(日本経済評論社、2002年)、『シュリヴィジャヤの歴史』(2010年、めこん)、『THE HISTORY OF SRIVIJAYA under the tributary trade system of China』(英文。2012年、めこん)、『扶南・真臘・チャンパの歴史』(2016年、めこん)、『THE HISTORY OF SRIVIJAYA, ANGKOR and CHAMPA』(英文。2019年、めこん)、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)<注記>本著作分は、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)発刊以前に、著者ホームページで発表掲載されていたものの一部で、ホームページ閉鎖に伴い、著者より転載許可を得て再掲載されているものです。原文初出の主な時期は2010年代です。従来の発表文章などの延長が、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)の発刊に繋がっています。
南タイ&スコタイ仏足跡探訪記(2013年1月)第1回、第2回、第3回、第4回(完)
スコタイ 及び シサッチャナライ
ナコン・シ・タマラートでの国際セミナーを終えて(2013年)1月14~17日にスコタイ地区を訪問した。
1月14日、スコタイに早朝の飛行機で出かける。空港には考古局のピラポン所長がご多忙の中を出迎えてくださる。さっそく事務所にお伺いしてナコン・シ・タマラートの国際会議の様子などお話しする。私の仏足石への関心もご理解いただけたものと思う。ただし、タイでは仏足研究を本格的にやっている人は少ないという話をされた。
Virginia Mckeen Di Crocco さんがSiam Societyから本(Footprints of the Buddhas of this era in Thailand)を出しておられる。原本は読んだが大変な労作である。しかし、総花的な扱いで歴史的な視点が若干かけているようだ。
スコタイのラムカムヘン博物館にさっそく行ってみる。そこにはKhao Phra Bat Noiから移設された仏足跡が置いてある。Mckeen さんの本(p78)では1379年の作だとある。セイロンからもたらされたものであろう。あるいは図面だけ持ってきて当地で加工したものかもしれない。長さ2mx0.8mの大型仏足石である。この仏足石にはまだ「升目はついていない。親指の付け根に法輪ともみえる渦巻き模様がある。通常これは足裏中央部に位置するものが多い。これは Wat Traphang Chang PheuakにあったものだとJaques de Guernyはその著書の中で述べている。



スコタイ王朝は近くに第2の首都ともいうべきシ・サッチャナライ(Sri Sachanalai)を持っていた。スコタイから車で30分ほどのところであり、こちらのほうは規模もはるかに小さいく、古い。仏足跡もWat Sri Ratana Mahathatのものと近くにあるWat Cherng Kiri(1510年?)のものである。後者は寺院としては新しく建て替えられたもののようだが、背後におびただし卒塔婆ががり、歴史の古さを感じさせる。
Wat Mahathat (上)のものは周辺が擦り切れて補修されている。両者の特徴は升目こそないが吉祥文様がきちんと上下左右に置かれていて、あたかも「升目」が存在するかのような作品である。スコタイ王朝の末期の1300年代の終わりごろの物であろう。
この両者がタイにもたらされた升目つき大型仏足石の始まりであろう。原産地はセイロンであると考えられる。スコタイの王位についたマハダマラジャ(Mahadhammaraja)1世が家臣をセイロンに送り、スマナクタ山上(アダム・ピーク)の仏足石を見学させ、108の吉祥紋などを調べ、同様のものを作らせたと1357年の碑文に書かれている。その一つが現在スコタイ歴史公園内にあるWat Traphang Thonglangの仏足跡であり、もともとはKhao Phra Bat Yai(通称スマナクタ山)に置かれていたものである。
それまでは「升目」のついた仏足石はタイには存在しなかったように思える。これから後、15世紀に入りアユタヤ王朝の時代に入ると仏足石ははるかに華麗なものになってくる。言うまでもなくアユタヤ王朝は「上座部仏教(小乗仏教)」を「国教」として採用し、全国各地に仏教寺院を建設し、崇拝の対象として比較的コストの安い仏足跡を導入したものと思われる。
現在は規模の大きい大仏が各地に作られているが「仏足石信仰」は根強く生き残っている。







スコタイ遺跡公園内のWat Traphang Thonglangの仏足跡(下)。
これはKhao Phra Bat Yai山頂にあったものを運んできたという。これには法輪と升目模様が施されている。長さは1.7mである。














