メコン圏現地作家による文学 第2回「メコンに死す」(ピリヤ・パナースワン 著、桜田育夫 訳)

メコン圏現地作家による文学 第2回「メコンに死す」(ピリヤ・パナースワン 著、桜田育夫 訳)

「メコンに死す」(ピリヤ・パナースワン 著、桜田育夫 訳、1987年6月、めこん〈シリーズ・アジアの現代文学 第7巻〉

この小説は1960年から、1975年のラオス革命を経た1977年までの激動するラオスの歴史の歩みの裏面を、左右両派に分れて同族同士が血で血を洗うという悲惨な運命を辿った山岳民族モン族(Hmong)の目を通して描いたもので、ラオス国内にいるモン族の生活と戦い、過去の出来事が時の流れにそって描かれている。本書を通読して、なかなか表にでることのなかった、あるいはインドシナ戦争時、深い関心をもたれることがなかったモン族の暮しの視点に立ったその詳細な描写に、まず驚かされる。原著はタイ人の作家によるものだが、かなり長い間モン族の人たちと付き合いがあり、その文化や歴史を深く知らねば、とても書き上げる事ができないような深い作品である。

 その原著者ピリヤ・パナースワンは、1943年チェンマイ生まれでバンコクのキリスト教系高校を卒業後渡米し、アメリカの大学で作曲を学ぶ。帰国後、1967年からラオス国内にあったモン族難民救援センターに社会福祉官として勤務し、1975年のラオス革命を機に帰国。その後も1975年から79年にかけ、何度もタイのノンカーイ県ルーイ県にあった難民受け入れセンターにモン族難民を訪ねている。本書を書き上げ、1982年、初版が刊行された。本書まえがきで原著者は、「モン族は自分達の国を持ったことがないが、自分たちが住んでいる土地をとても愛し、モン族難民は、インドシナ難民の他の民族とさまざまな点で顕著な違いを見せていた」と語っているが、タイ領内の難民受け入れセンターで、モン族の人たちが第三国に移住したがらず、辛抱強くラオスに帰れる時を待ちつづけるのはなぜなのか、その理由が知りたくて、調べてみようと思い、更にモン族について語りたいという気持ちに駆られて、本書(原書)ができあがったそうだ。

 本書書き出しの前に、「これは、ラオスにすむモン族にまつわる物語であるが、登場人物、日時、場所および出来事は、すべて作者の想像の産物である。もし、登場人物の名前が、生死を問わず現実の人間と合致したところがあったとしても、あるいはまた、出来事が実際にあったことと同じであっても、それはまったく偶然によるものである、ということをご承知いただきたい。」と原著者によることわりがある。それだけ事実や事実にかなり近い内容が反映されているということで、題材の面白さに加えて、それまでのタイ国には見られなかった文学性のある記録小説(ドキュメンタリー・ノベル)の登場と、高い評価をうけた作品である。モン族やラオスの現代史が良く理解できる傑作だが、名の知られている実在の人物や大きなニュースとなる歴史的事件の記録だけでなく、インドシナ戦争時に生きたラオスのモン族の人びとの顔が浮かび息づかいも伝わってくる。

 作品は、1975年5月、中部ラオスのモン族特殊攻撃部隊の山岳要塞基地でありモン族居住の中心都市でもあったローンチェンからモン族が大行列を作って南に向かって逃亡移住を始めざるをえない場面が序章に描かれているが、ストーリーは、この序章の後、第1章で1960年に戻り、ラオス革命後の1977年までの時の流れを、モン族の若者ネーン・リー・トゥーを中心に、展開していく。序章だけでなく、数章にわたって、長い歳月にわたって一つの土地から他の土地へと数え切れないほど逃亡移住を重ねてきたモン族の民族の歴史を著すように、移住の状況場面が登場する。

第1章ではコンレーの中立派の兵力を加えた共産パテート・ラオ軍が、広大なモン族の領域であるシェンクワン解放を目指し軍事行動を始める中、シェンクワンのモン族がシェンクワンの西方約50キロのパードン村に移住する場面、1963年にパードン村からパーカーウ村、パーカーウ村からローンチェンへと移住せざるをえない状況、1975年5月ローンチェンからのモン族の大移住、そして1977年主人公が彼の妻子をタイに移住させるためにタイ・ラオス国境のメコン河ほとりにたどり着く場面といった具合である。

 シェンクワン州の軍司令官ヴァン・パオの下で副司令官補を務めていた父を左派との戦いで早くに亡くすも、右派モン族兵士として成長する主人公を中心に、戦いと苦難の暮らしの中で、彼の家族や同じ右派モン族兵士の上官・親友との絆、モン族の民族としての誇りや彼らの勇敢さなどが生き生きと描かれるが、ミス・ローンチェンに選ばれた美人で、ヴァン・パオ将軍の「ラオス民族連合」ラジオ局でアナウンサー兼歌手として働いているモン族女性マイ・トーとの恋愛も織り込まれている。

 政治・軍事情勢の推移だけでなく、モン族の暮しや習慣も、本書では、余すところなく伝えてくれている。コージェー(壁に穴をあけること)という求愛・愛の確認、子供誕生の時の「アーン・ガイ」(鶏占い)、モン族の家に宿っているとされる「ブア・ダー」「スー・ガン」「ダー・トロン」の3種類の精霊、遺体にはかせる青い布でピンと尖った「トラオ・カオ・ラオ」と呼ばれる靴など、どれもこれも大変興味深いものばかりだ。外国人宣教師によるモン族への布教についても触れている。

 同じモン族でも、共産パテトラオ軍と共に行動し、右派モン族と戦ったモン・リヤ(共産モン族)の動きを忘れる事はできず、主人公ネーン・リー・トゥーと彼の家族の仇敵となるノーンヘート村(ベトナムとの国境近くの村)に住むパク・ジャイ・ワーン一家を中心に、左派モン族の様子が伺える。モン族を、左右の両派に分けたラオス内戦は、当時の国際政治情勢と当然深い関わりを持っており、アメリカ、タイや北ベトナムと左右両派のモン族との関わりを、それぞれの国から送り込まれた具体的な人物を登場させて説明している。

 また、主人公のネーン・リー・トゥーが、士官学校で学ぶために、ヴィエンチャンで生活するのだが、首都ヴィエンチャンの都会ぶりに驚愕する様や、モン族(蔑称:メオ)を口汚く蔑視罵倒するラオス人の様子などは、1975年のラオス革命前のヴィエンチャンの町の様子とともに、大方の日本人の持つラオスの一般的なイメージとは違った別のラオスの様相が見えるはずだ。終章に近い場面でタイ・ラオス国境のメコン河ほとりで主人公に降りかかる運命を含め、あまたのモン族の人々の苦悩・苦しみや流された血が、余りにも他の世界からは軽く扱われていると訴える印象的な終章で結んでいる。

 尚、原題はChao Fa「チャオ・ファー」(空の民)で、主人公の兄が、少年時代の主人公に、モン族が自分達の住んでいるところを守るために最後まで戦わなければならなくなった場合、最後の拠点としてラオス一の高山ビヤ山が最適だと話をする場面で、そこに住めばチャオ・ファーになれると語り、この「チャオ・ファー」という言葉がに登場する。そしてロンチェン陥落後もビヤ山にこもり、1975年12月のラオス革命(人民民主共和国樹立)後も抵抗を続けた右派モン族兵グループをチャオ・ファー隊と呼んでいる。

 著者紹介:ピリヤ・パナースワン  Phiriya Phanasuwan タイ文学界注目の新鋭。1943年チェンマイに生まれる。アメリカで音楽を学び、インドシナ戦争当時はラオス、東北タイでモン族の救援活動に従事。この異色の体験が、タイで初めての本格的ドキュメンタリー・ノベル『メコンに死す』を生んだ。現在バンコクYMCA国際部長。(1987年時の発刊の本訳書より)

 訳者紹介:桜田育夫(さくらだ・いくお) 1930年生まれ。東京外国語大学タイ語科卒業。慶応義塾大学言語文化研究所タイ語講師。訳書『青い空の下で』(シーファー、井村文化事業社、1982年)(1987年時の発刊の本訳書より)

関連テーマ・関連書籍
ラオス:和平協定から人民民主共和国樹立まで (1973年2月~1975年12月)
●モン族の歴史と文化
●ラオス内戦とラオス難民
『モンの悲劇』(竹内正右著、毎日新聞社、1999年)

ストーリー展開時代
1960年~1977年

主なストーリー展開場所
主にラオス国内
・シェンクワン市
・パードン村
・ノーンヘート村(ベトナム国境に近い)
・サラ・プクーン(7号公路と13号公路が交差)
・ヴィエンチャン
・ローンチェン(中部ラオスにあるモン族居住地域の元中心都市)
・ビヤ山(ラオス一の高山で海抜2820m)
・ナムグム・ダム
ベトナム領内 ・ムアン・セーン
タイ領内
・ブンガーン郡(ノンカーイ県)・サンコム郡(ノンカーイ県)・ウドンタニー県 ・ルーイ県
シンガポールの海外宣教師団本部

(本書に登場するラオス地名)
・ボロヴェン高原のパクソーン地方
・サイニャブリー州
・ルアンプラバーン州
・カンムアン州
・ジャール平原
・ホアパン(サムヌーア)州
・ムアン・スイ
・ポンサワン
・パクセー
・ヴィエンサイ
・パクサーン

主な登場人物
・ネーン・リー・トゥー(主人公)
・ダーン・リー(主人公の父)
・ビー・リー(主人公の兄)
・ネーン・リー・トゥーの母親
・ヨーン・ユア・フー(主人公の親友)
・ヨーン・ソーン中佐
・プリヤ・ヤーン
・ムアット・スー(ダーン・リーの親友)
・マイ・トー(主人公の恋人)
・ヴァン・パオ
・ヘンテス将軍(アメリカ人)
・ジム(アメリカ軍事顧問団団長)
・トーン・ゴーン医師(ローンチェン病院の院長)
・リー・トゥー・ホー(陸軍参謀長)
・タオ・ジャイ・ワーン大佐
・セーンパー/セーンケーオ(共にヴィエンチャンのバーの女性)
・ケーオ・ヴィシエン中尉(ラオ人パイロット)
・マー・ワーン(ネーン・リー・トゥーの妻)
・ネーン・リー・トゥーの男の赤ん坊
・パク・ジャイ・ワーン
・トゥー・ワーン(パク・ジャイ・ワーンの息子)
・ファイ・ダーン
・トゥア・ダーン(ファイ・ダーンの息子)
・ヨー・ホー(ノーンヘート村の村落長)
・スー・トー
・グエン・ヴァン・アーン(北ヴィエトナム軍大佐)
・グエン・チャン・ヴァン少将(ラオス駐留ヴィエトナム軍司令官)
・パイロート(タイ人捕虜)
・ヴァン・パオ将軍
・スワナ・プーマ殿下
・コンレー将軍
・スパヌウォン殿下
・プーミ将軍
・カイソーン・ポムゥイハーン
・デーヴィッド・ハミルトン司祭
・国連難民高等弁務官バンコク事務所代表(西洋人)
・東北タイにおける難民救済の任にあたっている国際機関の代表者(西洋人)

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