2000年5月掲載

シュリーヴィジャヤ

 シュリーヴィジャヤー王国の中心地の一つとして栄えたチャイヤーにある国立博物館で、プラボロマタートチャイヤー寺の境内にある。チャイヤーは、タイ南部スラータニーの町から北約50kmにあり、マレー半島東海岸のバンドン湾周辺で重要な町であった。当地は先史の石器時代から人類の居住地であり、中国とインド、更に西アジア、地中海世界との交易が始まるにつれ、外部世界とつながり、経済的恩恵のみならず大乗仏教とヒンドゥー信仰がもたらされた。中国とインド間の交易ルートとしては、古くからマラッカ海上経由と、マレー半島の陸路横断の2つのルートがあった。

 チャイヤーはバンドン湾を擁し、少なくとも4~5世紀からは都市国家を形成していた模様だ。5~7世紀にかけ、中国南朝の歴代王朝に入貢していた「盤盤」という国が、チャイヤーからマレー半島西海岸のタクアパ(現パガン県タクアパ郡)に至る東西交易路を支配していたものと推定されている。

 マラッカ海峡の支配権を握り7世紀以降、栄華を極めたシュリービジャヤ王国の足跡は、マレー半島の南タイに色濃く残されており、このチャイヤーにシュリービジャヤ王国の都があったとする説があるほどだ。(但し、有力説はスマトラ島のバレンバン)

 
 こうした歴史のある町にあるチャイヤー国立博物館は、プラボロマタートチャイヤー寺内にあり、2つの建物から成っている。一つ目の建物には、バラモン教のヴィシュヌ神像や大乗仏教の観音菩薩像が必見だ。もう一つの建物には、先史時代からの遺跡出土品が展示され、入り口には、チャイヤーとサムイ島でそれぞれ発見されたという先史時代の銅鼓が置かれている。

 この博物館は、当初、プラボロマタートチャイヤー寺により整備された。まずソーポンチェートシカーラーム師僧が、1935年に遺跡出土品の収集・整備を開始。1950年インタパンチャーン師僧が、博物館の一つ目の建物の建設を開始し、この建物は1952年に完成。続いてタイ芸術局が予算をつけ、博物館の2番目の建物の建設が1956年に始まり翌年完成した。 1981年には最初の建物の拡張・改修が為され、同年9月4日正式に開所式を挙行した。

 ちなみに、この博物館があるプラボロマタートチャイヤー寺は、チャイヤー郡の町から約1km東の方向にあり、シュリーヴィジャヤー王国繁栄時に、大乗仏教の寺として建立された南タイの3大仏教聖地の一つである(残り2ヶ所はナコンシタマラート県とヤラ県にある)。この博物館の周辺にもシュリーヴィジャヤーの同時代に建立されたと推定されるゲーオ寺やロン寺などがあり、さらに約10キロほど東に向かうと、絹織物で有名であったチャイヤー郡プムリアン区を通ってレームポーの海岸に出るので、博物館に寄られた折は是非足を伸ばしたい。レームポーの砂浜からは陶磁器・古銭などの考古品が多数出土し、今も陶磁器破片などが見つけられる。  

●シュリーヴィジャヤー
 7世紀から11世紀にかけて栄えた王国で、スマトラ島の東南部に拠り、都はバレンバンとされる。

 その建国年代は明らかでないが、7世紀後半にわかに勃興し、スマトラの対岸ケダーをも服属させ、国勢大いに発展した。8世紀にはリゴールにまで勢力を及ぼし、インド文化が大いに栄えた。

 中国では唐代、この国を室利仏逝など、宋代では、三仏斉であらわした。9世紀半ばになり、ジャワのシャイレンドラ王家がシュリーヴィジャヤーを支配することになったが、この後ジャワの領地を失ったシャイレンドラ王家のもと、シュリーヴィジャヤーは最盛期を現出した。

 11世紀以降この国はチョーラやジャワの侵略を受け国勢は次第に衰えた。その後15世紀前半に至り、ジャワのマジャパヒト朝によりシュリーヴィジャヤは完全に滅亡した。

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