「シャン州東部(チェントン・モンラー)旅行記」(森 博行さん)第4編「博物館と寺院」

シャン州東部(チェントン・モンラー)旅行記」(森 博行さん)
第4編 博物館と寺院

森 博行:
京都府京都市在住(寄稿時)。ビルマ(現ミャンマー)シャン州を訪れる(2002年4月)。「消え去った世界 ~あるシャン藩王女の個人史」(ネル・アダムス著、森 博行 訳、文芸社、2002年8月発行)訳者

第1編:チェントゥン到着までの途
第2編:チェントゥン到着初日
第3編:チェントゥンの市場
第4編:博物館と寺院
第5編:チェントゥン郊外の山岳民族
第6編:中国国境の町モンラーへの道
第7編:モンラーの町と中国とのかかわり
第8編:モンラーからタチレークを経てタイへ出国

 ティーハウスに寄ったあと、バイクタクシーで湖対岸に見える仏陀立像の丘まで移動。ホテルで読んだ英文案内に、小さな博物館が近くにあるとしてあったが見当たらず、カトリック教会の方向に歩く。対岸から見えた教会は閉まっていて、その後方にカトリックミッションの建物がいくつかある。湖に向かって下ると、1920年頃から90年頃までチェントゥンで活動したイタリア人カトリック修道女が居た修道院がある。湖の対岸に、チェントゥンホテルが見えるから、ソーボワ宮殿があった時には良い形で見えたかと想像する。

ホテルに戻って、博物館の場所を確認すると、仏陀立像からバイクで登って来た方向に一段下がった位置の建物だったと判明、出直す。中に入ると、番人が掃除をしていて、他には誰もいない。この地域の諸族(タイ族には、チェントゥンのタイ・クーン、シプソンパンナー(西双版納)のタイ・ルー、山地で焼畑をするタイ・ロイ、中国文化のタイ・ヌァ、サルウィン河以西のシャンなどがある。山地民はワ、リス、アカ、エン、パラウンなど)のいくつかの衣装と道具の展示がある。入口の小屋に100チャット、5バーツ、1元などの入場料表示があるが、番人の話では町の反対側のホテルに英語で説明できる人間がいるらしい。
写真:タイ・クーンの衣装

写真:ワ族の衣装


ホテルに戻ると昼で、次はどこに行こうか思案する。レセプションの話では、英語を話すローカルガイドが一日US$10で雇えると言う。とにかく試してみることにする。1時過ぎにガイドが来る。24歳のチェントゥンの男の子。国連関係でチェントゥンに滞在したオーストラリア人から英語を習ったと言う。バイクに乗って来たので、午後は彼のバイクで市内を回って話を聞くことにする。昼食を食べていなかったので、まず彼の薦めで中級ホテルの近くの中華料理屋に行く。春巻きが美味いとのことで、確かにまずまずの味。鶏の炒めは昨晩の店のほうが良かった。

写真:ローントゥリー

町外れの一本大きな木が立つ丘に登る。伝説では、チェントゥンの創建者の時代(つまり北タイのチェンライやチェンマイの創建者マンラーイ王かその子供)に植えられたとされ、周辺に同じ木は無いとのこと。伝説では同じ木が3ヶ所に植えられ、ひとつはタイの何処かだと言うが、場所は不明(ストーリーからすればチェンライあたりか?)。傍にチェントゥンを囲む市壁の遺構が在り、土塁状になった壁の外側には数メートル下がって溝が廻らされていたようである。土塁の間には焼きレンガも露出しており、レンガ自体はそう古いとは思えないが(例えば現在のチェンマイの市壁が19世紀初め頃だから、それと同じ頃か?)、土塁自体はもっと遡って存在した可能性がある。

ガイドの彼によれば、チェントゥンの創建説話では、「初めはこの山間盆地は大きな湖で3つの島があったが、北から来た僧が法力で水を退かせると6つの池が残り、町が出来て12の市門を持った」と言う。この地域の伝承では、仏教も含め様々なものが北の方、中国から来たという意識が強い。また、釈迦とその弟子がチェントゥンを訪れたとする説話もある。丘から東方向を見ると、タイ国境に向かう新しい道路がる。
写真:チェントゥンの市街(中ほどに市場の屋根)

町の中心に戻り、ジョムカム寺院とワットイン。どちらも古くて重要な寺院との説明。仏塔の基壇に嵌めこまれた寄進の碑文とかは、クーン文字(チェンマイ文字)で書かれている。ジョムカムは、ソーボワ庇護の寺院であったのか?ワットインは最も歴史が古いとされていて、本堂の仏像の後ろに仏塔があり、堂内に仏塔が取り込まれた形。本尊の頭部を精霊が彫ったとか、仏塔の脇の井戸に水の精霊が居るとか、述べられるから、本来精霊信仰があった地点ではないか?

写真:ジョムカム寺院

ここで聞いた話では、日本人伝説について、「時代はわからないが、数百年前、日本人の武士が100人、船に乗って日本を出帆しタイに着いた。タイの王と諍いになりチェントゥンにやって来たが、人数は69人に減っていた。占星術師がその日本人を置いたら良いと言うので、チャオファーは彼等がチェントゥンに留まることを許し、町の人間と結婚して住み着いた」とのこと。戦時中の話では、日本の将軍が一年ぐらい住んでいた。また、日本軍はビルマ側からやって来て、タイに向かい、その時チャオファーも一緒に逃げた(これは撤退期のことと考えられる)。

いずれの話も、もう少し確認が必要だが、初対面でその場に居合わせた人間の背景や立場が良くわからない状態では、深入りできなかった。ソーボワ関係者について、1997年に死亡した最後のソーボワ、サオ・サイ・ロンの従弟かまた従弟の誰かが未だチェントゥンに存命とのこと。
写真:市中心部

夕食は普通のシャン人が行くという麺屋で。内容、味とも、タイのスープ麺とほぼ同じ。「伝統マッサージがあるか」尋ねると、近くにあると言うので試す。中国人経営で従業員はシャン人。バンコクの場末の店という感じ。客はビルマ語と中国語を話している。マッサージの手法はタイと同様だが、技術はバンコクのほうが良い。値段はバンコクの三分の一ぐらい。月明かりの下をホテルに戻る。

 (C)森 博行 2002 All rights reserved.

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