メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第32回「遥かなる日本人」(今村 昌平 著)

メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第32回「遥かなる日本人」(今村 昌平 著)

「遥かなる日本人」(今村 昌平 著、岩波書店<同時代ライブラリー259>、1996年3月発行)

<著者紹介>
今村 昌平(いまむら・ しょうへい)(1926年~2006年*)<発行掲載時、本書紹介より>
1926年 東京に生れる。1951年 早大文学部卒業。映画監督。松竹大船撮影所を経て、日活に移り、1958年 第1回監督作品『盗まれた欲情』を発表。代表作品に、『果しなき欲望』『にあんちゃん』『豚と軍隊』『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』『神々の深き欲望』『復讐するは我にあり』『黒い雨』など。<*2006年5月30日、東京都内の病院で死去。79歳没>

本書の著者・今村昌平 氏(1926年~2006年)は、1926年(大正13年)東京・大塚の開業医の家に生まれ、18歳で終戦を迎えた今村は、生活のため闇市で稼ぐ一方、早稲田大学に入学、演劇部の活動にのめり込み、闇市を舞台にした黒澤明監督の「酔いどれ天使」に感動し映画界に飛び込む。1951年松竹大船撮影所に入社するものの、1954年に日活に移籍。助監督として川島雄三監督作品などに携わり、1958年に『盗まれた欲情』で監督デビュー。その後、『果てしなき欲望』(1958年)、『にあんちゃん』(1959年)、『豚と軍艦』(1961年)、『にっぽん昆虫記』(1963)、『赤い殺意』(1964年)、『エロ事師たちより 人類学入門』(1966)、『人間蒸発』(1967)、『神々の深き欲望』(1968)などの作品を話題作を立て続けに発表し、国際的にも評価の高い日本映画の旗手となる。1966年には独立プロの今村プロダクション設立。『楢山節考』(1983)、『うなぎ』(1997)で2度のカンヌ国際映画祭のパルムドール受賞の快挙を成し遂げる。その他、『復讐するは我にあり』(1979年)、『ええじゃないか』(1981年)、『女衒 ZEGEN』(1987)、『黒い雨』(1989)、『赤い橋の下のぬるい水』(2001)を発表。また、1975年には横浜放送映画専門学校(現:日本映画学校)を佐藤忠男らと開校し校長を務め後進を育てた。2006年に逝去。

本書は、2度のカンヌ国際映画祭グランプリを獲得し世界的にも高く評価された日本映画界の巨匠・今村昌平 氏(1926年~2006年)によるエッセイ集で、今村昌平 氏が、いろんなところに書いてきた文章を、岩波書店の同時代ライブラリーのために新たに編集し1996年3月に刊行されたもの。本書は、「わが青春」「人生的な人たち」「棄民たち」「熱中映画づくり」と、大きく4章分けになっているが、東南アジアの話としての「棄民たち」の章が、本書324頁のうち、約170頁と、半分以上の分量を占めている。この「棄民たち」の章は、「からゆきさん」と「未帰還兵を追って」の文章から成り、「からゆきさん」については、掲載初出が『季刊芸能東西』1-7(1975~76年、新しい芸能研究室発行)、「未帰還兵を追って」については、掲載初出が『講座 日本映画 6』(1987年、岩波書店刊)。本書は、今村昌平 氏のエッセイ集と紹介はされているが、特に、この「棄民たち」の章は、テレビ・ドキュメンタリー番組を作る上での東南アジアのからゆきさん、未帰還兵さがしのノンフィクション・ルポルタージュとして興味深い内容になっている。

「未帰還兵を追って」の文章の書き出しは、劇映画『神々の深き欲望』(1968年)を発表後、2千万円の借金を抱えたまま仕事がない時に、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「金曜スペシャル」でのドキュメンタリー作品を手掛ける経緯から始まっているが、今村昌平 氏は、劇映画『神々の深き欲望』(1968年)を発表後の10年間の1970年代は、主にテレビドキュメンタリー作品を製作している。棄民シリーズ第1弾となる「未帰還兵を追って マレー編」(1971年)に始まり、「未帰還兵を追って タイ編」(1971年)、フィリピンの海賊を取材した「ブブアンの海賊」(1972年)、タイの未帰還兵の一人の一時帰国を取材した「無法松 故郷に帰る」(1973年)、娼婦として日本から東南アジアに売られていった女性を取材した「からゆきさん」(1973年)、「続・未帰還兵を追って」(1975年)などで、これらのテレビドキュメンタリー作品は、DVD「今村昌平傑作選」第1巻~第3巻(発売・販売 東北新社)に収録されている。

「からゆきさん」の文章の冒頭に、「はじめに」として、”棄民 ー 捨てられた民、あるいは民を捨てる。国語辞典にこんな言葉があるかどうかは知らないが、日本国がこの百年、息せき切って近代化を急いで来たその跡に、権力の側が思わずか敢えてか取り残して来た一群の人々を、私はかりにそう呼ぶ。”と書きだし、1970年代の今村昌平氏のテレビ・ドキュメンタリー作品のテーマを、”棄民シリーズ”の未帰還兵とからゆきさんに選び、本書では、これらのテレビ・ドキュメンタリー作品の企画構想段階の話から、取材対象を探し出し、取材を重ねていく過程などが記されている。今村昌平 氏は、1972年、未帰還兵を追ってマレー半島を縦断し、山にかくれた元日本兵たちが、マレー各地に今も元気で暮らしている日本の老婦人たち ー いわゆる「からゆきさん」たちと何等かの交渉を持っているのではないかという推測から、その時10人を越えるマレー各地在住の日本の老婦人たちに会い、その推測は外れたが、彼女らについてのさまざまな想念はずっしりとした重みで今村昌平 氏の心に残ったとのことで、「からゆきさん」をテーマにテレビ・ドキュメンタリー作品を撮るために、1973年、再度、シンガポール・マレーシアに向かう。そして大正のはじめ、日本から騙されてシンガポールに連れてこられ、マレーシアの港町クランの娼館に売られ、クアラルンプール近くの町で肩身狭く家事手伝の居候で住んでいた、元からゆきさんの善道キクヨさんに出会い、彼女を主人公に、だまされてシンガポール、マレーシアに連れてこられた時からの足跡をたどりながら、身の上話を聞きだす長編ドキュメンタリー「からゆきさん」(1973年)が生まれる。

善道キクヨさん(1899年~1976年)は、1899年(明治32年),当時の広島県豊田郡椹梨村(現・広島県三原市大和町)に5男3女の8人兄弟の末っ子として生まれ、幼少の時に父、母を相次いで亡くし、兄が行商で家族を養う苦しい生活のなかで10歳のときに姉の働いていた岡山のござ工場へ働きに行き、17歳で、神戸の宿屋の女中奉公ならもっとお金が稼げると、言われるままに汽車に乗り神戸に向かうと、船に乗せられ、だまされてシンガポール、更にマレーシアへ連れて行かれる。英領マレーの港町クランの娼館に売られ、からゆきさんとしての生活を余儀なくされ、その後もマレー半島に残留し、シンガポールやマレーシアで数奇な運命をたどって来た女性。取材を続ける中で,キクヨさんの言葉から出身地の地名を突き止め,当時の大和町役場へ照会の手紙を出したことがきっかけで、帰国運動が起るが、被差別部落出身で貧困と差別に苦しんできたことから、出身地のことも長らく口を閉ざしてきた事情も分かるが、1973年5月に56年ぶりの帰国が実現。1976年5月、肺がんで広島県三原市の病院で逝去。享年77歳。差別部落に生まれ、からゆきさんとしてマレーシアへ渡り、インド人と結婚など、数奇な運命をたどった善道キクヨさんの誕生から死までを、綿密な調査をもとに綴った『からゆきさん おキクの生涯』(大場 昇 著、明石書店、2001年12月)が刊行されている。

「未帰還兵を追って」については、1971年にテレビ・ドキュメンタリー作品「未帰還兵を追って マレー編・タイ編」が制作されているが、本書の文章は、このドキュメンタリー作品についての事前準備、取材対象者探しなどの話から記されている。当時、「タイには数人の元日本兵がいますが、マライ、シンガポールには、もう一人も居りません。在外公館と当復員局でとっくに調査済みです」という厚生省の話に反発し、シンガポール、マライ半島で、未帰還兵探しをしようと、1971年秋にシンガポールからマレー半島を北上する。シンガポールで大正初から商売に携っていた福田蔵八さんを皮切りに、元日本兵でマレーの共産軍にゲリラ参加経験がある旅行業者に会ったり、中国人になりきっているという元日本兵を探しに華僑ネットワークの力を借りたり、戦時中のことを知る現地の華僑や台湾人医師などから話を聞いたりする。1920年に看護婦としてシンガポールに来て、その後マラッカに住んでいる山村鶴枝さんが、土着化していた元日本兵を知っているはずとの情報でマラッカに向かうが、モハメド・アリと名乗る、元日本兵の矢野シゲル氏は最終的にペナンの日系工場で働いていて取材に応じている。更に北マレーから南タイにかけて、土着化した未帰還兵情報を探しに、単独でマレー半島東海岸のコタバルを訪問。現地の材木の貿易商で働く3人の日本人からいろいろと話を聞いている。この話のやり取りも面白いが、肝心の未帰還兵については「無理でしょう。ここいらでは元日本兵の噂もありませんよ。南タイならあるいは未だ残存しているかもしれませんが」との返事で、更に国境を越え南タイに入ることになる。

南タイに入ってからは、タイ南部のナラティワットで情報通の華僑、ハジャイの日本人の老医師と、人伝手に辿っていくが、そこで、昭和40年代初めに、ハジャイの西北25kmの錫鉱山の大きな倉庫の管理長が一人の現地雇用の日本人で、時折、南部タイの反政府ゲリラ集団が食糧を求めに接触があったが、そのゲリラ集団の中に日本人がいたと話していたことを聞きつける。その日本人のゲリラを何とか探そうとするが、なかなか難しく、同時に、その日本人の倉庫長だった人は、広瀬信次という男性で、バンコクのタイ・日野モーターズに勤務していることが分かり、バンコクで会って話を聞くことになる。広瀬信次 氏は、東京・深川出身で、戦争中、軍属として特務機関に所属し、ビルマの反英地下活動を援助するためにタイ・ビルマ国境にいて、戦後いったん、夫人の実家のある京都へ引き揚げたが、タイが忘れれらずに戻ったという人物。今村昌平 氏は、「マライには未帰還兵はいない。タイには数人残存しているが、インドネシアのいわゆるジャピンドのように、独立戦争に参加し、ほぼ完全に社会復帰し、互いに連絡を取り合っているのとは違うし、数も極く少ない。タイの日本大使館は、公式非公式非公式の調査によって、7,8名の元日本兵の名前住所を掴んでいる。バンコクに数名、アユタヤ附近に2人、チェンマイ附近に1人居る。バンコク以外に住む3人は、日本人とのつき合いがない」と、東京で厚生省の担当官から言われていて、独自に、マライやタイの未帰還兵を探し出したいと思っていたが、なかなか難しいようであれば、日本人とのつき合いのないタイ残留の元日本兵たちのドキュメンタリーを撮ろうと決めていた。

1971年の今村昌平 氏によるテレビ・ドキュメンタリー作品「未帰還兵を追って タイ編」(1971年)では、日本人とつき合いのないタイ残留のバンコク以外に住む元日本兵3名に、今村昌平 氏が会い、日本や戦争について、いろいろと尋ねているが、この3名の未帰還兵が、アユタヤ郊外に住む大阪出身の利田銀三郎 氏と茨城出身の中山波男 氏に、チェンマイ郊外に住む長崎出身の藤田松吉 氏の3名。テレビ・ドキュメンタリー作品では、主な撮影舞台は、アユタヤ近郊に住む利田銀三郎 氏の家だが、本書の「未帰還兵を追って」のタイ編での文章では、その3人の未帰還兵に会い、映像を撮ったことだけが書かれていて、そこに至るまでのh経緯が文章で主に紹介されていて、3人のタイの未帰還兵の名前も紹介はされていない。今村昌平 氏はバンコクから飛行機で単身チェンマイに飛び、藤田松吉 氏と待ち合わせをし、2人は夜行列車に乗りバンコクに戻り、船でアユタヤまで向かっている。その後、『<日本への遠い道・第一部>望郷  皇軍兵士いまだ帰還せず』(三留理男 著、東京書籍、1988年)で一部のタイの未帰還兵として、「メナムの赤ヒゲ」と三留氏から呼ばれた大阪出身の元上等兵・利田銀太郎 氏(1918年~2004年12月26日)と、長崎出身の元二等兵・藤田松吉 氏(1918年~2009年1月25日 )は、詳しく取り上げられている。特に、藤田松吉 氏は、本作品で強烈な存在感を放ち、藤田松吉 氏が、その後、一時帰国を果たし、兄妹や戦友たちと再会していく様子を、今村昌平 氏はドキュメンタリー作品に撮っており、「無法松 故郷に帰る」(1973年)が出来上がっている。

他の章の話は、東南アジアとは関係のない文章ではあるが、いずれも非常に面白い。今村昌平自身の家系の話、青春時代の話も面白いし、映画作りに関わる、いろんなエピソードも面白く、今村昌平 氏の魅力が伝わる文章が並ぶが、今村昌平 氏を取り巻く周囲の人たちのエピソードの話もなかなか強烈。「幕末太陽伝」を代表作で映画監督の師匠である奇才・川島雄三(1918年~1963年)や、映画監督の愛弟子・浦山桐郎(1930年~1985年)、演劇仲間の俳優・小沢昭一(1929年~2012年)や北村和夫(1927年~2007年)など、多士済々の人物のエピソードが紹介されている。また、今村昌平 氏は作家・井伏鱒二 (1898年~1993年)の作品を愛読し、井伏鱒二 氏の小説「黒い雨」も映画化し、映画監督の師匠・川島雄二が生前よく口ずさんだ「花に嵐のたとえもあるさ サヨナラだけが人生だ」は漢詩「勧酒」の井伏鱒二訳であり、今村昌平による川島雄三の追悼本は、「サヨナラだけが人生だ ー映画監督 川島雄三の一生」(今村昌平 著、ノーベル書房、1969年)というタイトルになっているが、井伏鱒二 までも登場する。

目次
わが青春
安吾と私と青春/ 回想の「アルバジル」/ 両国橋にて ー わが青春の犯罪/  ある助監督の埋もれた青春
人生的な人たち
雑司谷鬼子母神にて/ 下北半島に建つ先輩監督川島雄三の碑/ 突っ張り老撮影所長/ ある出稼ぎ人との再会/ 正木ひろし弁護士の現場検証/ 小沢家の母子/ 北村和夫と私と東京女子師範附属小学校/ 浦山桐郎/ 井伏さんと『黒い雨』映画化
棄民たち
からゆきさん/未帰還兵を追って
熱中映画づくり
本郷菊坂下赤提灯/ 磐梯山麓農村実習記/ スカート切り演技指導体当たり教育/ 夏休み宿題シナリオ検討会/ 凄い母親役の老女優を求めて/ 熱中人間の身体をつき抜けるクランクアップの感傷/ TV映画『飢餓海峡』出演の記/ 「顔探し」苦心談/ 葛飾小合溜に架ける橋/ 痛む奥歯による性格診断/ 若者の再発見/ 水・川・黒い雨

あとがき

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