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メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第22回「ちび象ランディと星になった少年」(坂本小百合 著)
- 2004/8/10
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メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第22回「ちび象ランディと星になった少年」(坂本小百合 著)
「ちび象ランディと星になった少年」(坂本小百合 著、文春ネスコ、2004年3月発行)
〈著者発行〉坂本 小百合(さかもと・さゆり)
昭和24年(1949)12月4日生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜雙葉学園高校卒業後、明石リタの芸名でファッション・モデルとしてデビュー。モデル引退後、動物プロダクション経営に転身。平成8年(1996)、私設の動物園「市原ぞうの国」をオープンし園長に就任。(本書紹介文より。本書発刊当時)
本書は、日本で初めての少年ゾウ使いになったものの、交通事故で20年という短い生涯を終えた息子と、彼がわが子のようにかわいがった象ランディとの物語を、母親が綴った手記。母親である著者は、ファッション・モデルだったアメリカ人の父を持つハーフの売れっ子ファッションモデルとして活躍後、「ゾウのいる、わたしの動物園を作りたい」と、子供時代からの夢を実現するための第1歩として動物プロダクション経営に転じ、1996年には私設の動物園「市原ぞうの国」をオープンさせ園長を務めている坂本小百合さんだ。
坂本小百合さんの息子・坂本哲夢さんは、1972年6月生まれ、子供の頃から大の動物好きで、動物たちの世話だけでなく、動物たちとじかに肌をぶつけ合いながら遊んでいた。そしてタイで生まれたアジアゾウのメス象「ミッキー」が坂本さんの経営する動物プロダクションの飼育場にやってきて、哲夢さんの象との出会いが始まる。当時幼かった哲夢さんは、象ミッキーとふれあう中で、ゾウという動物に対する好奇心をどんどんふくらませていった。本書表題についている「ちび象ランディ」とは、哲夢さんが終生わが子のようにかわいがった象であるが、ランディは、左記にあるように映画「子象物語 地上に降りた天使」に出演した象ライティが亡くなった後に見つけていた仔ゾウだ。ランディがきてからというもの、哲夢さんは小学校から帰ると玄関にランドセルを放り投げ、一目散にゾウ舎に向かうのが日課となる。
たまたま12歳の小学校6年の時、日本人の少年がタイにあるゾウの調教学校に留学してゾウ使いの訓練をするというドキュメンタリー番組を考えていたある民放テレビ局からの話で、約3週間ばかりではあるが、チェンダーオの象訓練センターで象使いの修行をすることになる。そして、小学校を卒業した哲夢さんは日本の中学への進学を選ばずに「チェンダーオゾウ訓練センター」での本格的なゾウ使い修行を決意しタイへ再留学する。この「チェンダーオゾウ訓練センター」は、チェンマイから国道107号線を60キロほど北上したところにあり、チェンマイ県のメーテーン郡とチェンダーオ郡にまたがった場所にあった。哲夢さんは、「チェンダーオゾウ訓練センター」開校以来、初めての外国人生徒となった。
本書では、両親の離婚と母親の再婚、両親の不仲、小学校での陰湿ないじめの環境の中から、ゾウと心を通い合わせ、2度のタイでの修行留学、早くに本格的なゾウ使いになる決意を持ち夢をかなえていく、少年のたくましく成長していく様が、綴られている。高校進学と中退、そして女性との恋や母親との親子関係、父親との対立などの話も交えながら、ゾウ使いの仕事、動物トレーナーとして全国各地で活躍していく仕事ぶりが紹介されているが、1992年11月11日、運命の日を迎えることになる。少年の成長や、少年とゾウとの交流だけでなく、母親の息子への思いが全編溢れる母と子の物語でもあろう。
「日本にいるゾウたちは、人間の勝手で連れてこられたのに、それでも一生をかけて人間を慰めてくれているんだよ。それなのにゾウたちは結局、コンクリートの狭いゾウ舎で孤独に死んでいくんだ。そういうゾウたちが、これからどんどん増えていくんだ。今はどうしたらいいのかもわからないけれど、いつか僕はそんなゾウたちに、幸せな余生を送ってもらえる楽園を作りたいんだ」と、哲夢さんは生前、口癖のように語っていた。そして著者は、息子の死をきっかけに、ゾウたちが安心して余生を暮らせる「老ゾウホーム」を作ることが息子の夢を実現することであり、自分の使命と決め、2004年5月、「勝浦ぞうの楽園」のオープン実現にこぎつけている。
本書でも当然ゾウについての記述が少なくなく、アジアゾウが見せる芸は、タイで「ゾウ語」と呼ばれる「ゾウ使い専門」の言葉による命令と、30cmほどの木の柄の先端に金属製のカギがついたL字形の棒である”コー”を使ってゾウの全身に点在するツボを刺激することで行われるが、来日して1年たった時の象ミッキーの場合は、すでに日本語での命令も可能になっていたというほど、ゾウは知能の高い動物だという。ゾウは視力が弱いから、匂いで相手を判断するとか、アジアゾウは重さだけでも約5キロ、人間の4倍もある脳を持ち、高度な知能をそなえた動物だとか、しかも、ゾウは声によるかなり発達したコミュニケーションを行う動物といわれていて、発する声の音域は一説によれば10オクターブ以上で、低くうなるような超低周波から、叫び、悲鳴といった高周波にまでわたるなど、象への興味も尽きない。尚、タイの象については、書籍『タイの象』(桜田育夫 著、めこん、1994年2月発行)に詳しいが、この本には、”日本人の象使い”という項(326頁~330頁)で、坂本哲夢さんや象ランディのことが取り上げられている。
本書の目次
まえがき
第1章 ゾウとの出会い
ミッキー来園 /映画『子象物語』と悲劇の仔 /哲夢とランディとの日々
第2章 留学
決意 /タイ留学/ タイ再留学
第3章 「少年ゾウ使い」の誕生
ゾウ語 /ランディの反抗 /高校中退 /哲夢の恋 /喜びの朝/調教 /ランディとの仕事 /哲夢の葛藤
第4章 別れ
運命の朝 /訃報 /みんなとのお別れ /その後のランディ
最終章 ~あとがきにかえて~
関連事項
■東宝映画『子象物語 地上に降りた天使』
1986年 製作 配給:東宝。太平洋戦争のために軍によって殺されていく動物たちのなかで、辛うじて生き残った子象を守ろうとする人々の姿を描く。映画では、1940年(昭和15年)、東京富士見動物園で、象のサクラがハナ子を産む。監督:木下亮、製作:大西良昌・新坂純一、脚本:山田信夫、キャスト:武田鉄矢(田辺正太 役:動物園の飼育係)、遥くらら(木暮幸子 役:秋元少佐の婚約者)、萩尾みどり(田辺節子 役:田辺正太の妻)、永島敏行(秋元圭司 役)●同映画とのつながり(本文23頁~24頁)
著者(坂本小百合)の動物プロダクションに、東宝の『子象物語 地上に降りた天使』に出演する2頭のゾウを用意してくれという依頼が舞い込んだのだ。わたし(著者)はさっそく主人公ハナ子役の仔ゾウを輸入するためにタイに飛んだ。ゾウの本場だけに、仔ゾウも簡単にみつかるだろうとたかをくくっていたわたし(著者)は、タイのゾウの現実を知って愕然とした。プロデューサーの要求に見合う仔ゾウを見つけるために、いくつものゾウ使いの村を訪ねるうちに、あっという間に3週間が経過してしまった。ようやく条件に見合うかわいい仔ゾウを動物園で見つけたときには、1ヶ月が過ぎていた。しかも、仔ゾウの輸出手続きや現地での調教などに手間どり、仔ゾウが日本に到着するまでには1年の歳月と約1千万円という莫大な費用がかかっていた。推定2歳、わたしが「ライティ」と名づけたメスの仔ゾウが、ようやくタイ人調教師とともに成田空港に到着したのは、映画の製作発表記者会見の前日。わたしにとっては薄氷を踏む思いの連続だった。映画の撮影も順調に終わり、東金の飼育場にきたライティは誰の目にも元気いっぱいに見えていた。しかし、来場から何日かすぎた明け方、ざわめくゾウ舎に異常を感じた飼育係が駆けつけると、ライティはすでに息を引き取っていた。ゾウは知力が高く、環境の変化にも敏感だ。野生のゾウが捕獲されたときには、環境の変化によるストレスで突然死してしまうことすらある。しかし、ライティの場合はそういう外因的なものではなく、先天的な内臓疾患が死因のようだった。
飼育場全体がライティの死によって暗い影に覆われた。しかし、わたしたちが悲しみにくれている暇はなかった。映画の封切りに関連し、日本全国で仔ゾウを主役にしたイベントが予定されていたし、名演技が評判になっていたライティには大量の出演依頼がきていた。「なんとかライティの代役を見つけなければ」
★市原ぞうの国の園長・坂本小百合さんが今年3月に発表した書籍「ちび象ランディと星になった少年」が映画化され東宝配給で2005年夏劇場公開。この映画「星になった少年」の主演は、2004年5月、映画「誰も知らない」でカンヌ国際映画祭史上最年少の最優秀男優賞を受賞した柳楽優弥さん(14)に決定。2004年10月中旬に千葉県内でクランクイン。タイ・チェンマイで長期ロケを行う予定。(2004年7月情報)