メコン圏に関する英語書籍 第10回「Moken」(Jacques Ivanoff 著)

メコン圏に関する英語書籍 第10回「Moken」(Jacques Ivanoff 著)


「Moken」Sea-Gypsies of the Andaman Sea Post-war Chromicles (英語書籍)Jacques Ivanoff 著、White Lotus発行(バンコク)、1997年発行

アンダマン海のメルグイ諸島周辺には、船を住まいとし海の上で暮す漂流民、モーケン族(オーストロネシア語族北方系)がいる。東南アジアの”海の漂泊民”と呼ばれた民族は、南ビルマのメルグイ諸島に住むモーケン族だけでなく、アンダマン海の南タイ西岸、マレーシアの西岸、更にシンガポール南方・スマトラ東方、ボルネオとミンダナオ島間の群島などに散らばっていると言われてきたが、中でもモーケン族は近年生活環境・様式が変わりつつあるとはいえ、もっとも海の漂泊ま民としての独自性を守り続けた民族であろう。彼らの暮らしは、独自の家船(kabang: 現在は家船をカバンと呼んでいるが、元々家船で形成する集落をkabangと呼んでいた)を用いた移動を主とする海上生活で、浅瀬でナマコや貝、サンゴを探し、それを売って他の食料等を得ている。

本書は、このモーケン族に関する調査研究書で、英文で1997年にバンコクのWhite Lotus社から刊行されているが、本書の著者Jacques Ivanoff や著者の父親Pierre Ivanoffのフランス語の原文が英訳されまとめられたものである。本書の著者の父親Pierre Ivanoffは、1957年から南ビルマのメルグイ群島にモーケン族の調査を始めていたが、1974年に亡くなり、息子のJacques Ivanoffがモーケン族の調査研究を続けており、書名の副題に「Sea-Gypsies of the Andaman Sea Post-war Chronicles」とあるように親子2代にわたる第2次大戦後の調査研究成果が取り揃えられている。

 本書の構成は4章から成り立っているが、 第1章ではイントロダクションとして著者がモーケン族に関する概説的な文章を掲載している。第2章は、著者の父親によるものであるが、この部分は調査研究報告であるものの、冒険旅行記のような文章になっている。というのは、モーケン族については、イギリス支配時代の資料が非常に少なく、21世紀前半でのモーケン族に関する主要な論述も、宣教師Walter Grainge White (1922年)によるものと、H.Bernatzik(1938年)によるものくらいで、更に太平洋戦争、ビルマ独立後は外国研究者による現地調査などは困難であった。そして著者の父親Pierre Ivanoffによる1957年の調査探検は、情報が非常に少ない中でのタイからの密入国で行われたものであったからだ。他の民族の前に姿を見せないモーケン族と如何に会い、如何に彼らの恐怖心・不信不安感を取り除き、モーケン族とどのように生活を共にし、何を観察していったかなど、大変興味深い。

 更に本書が、他の調査研究書と趣を異にするのは、本書第2章の部分である。ここには本書で初めて対外公表されたという、フランス在住であった著者の父親Pierre Ivanoffと、のF.N.Cholmeley氏(イギリス在住)との12通の往復書簡が掲載されている。Pierre Ivanoffのモーケン族に関する論述文が、Geographical Magazine(1970年6月号)に掲載され、ビルマがイギリスから独立する前の1946年から47年にかけてメルグイ諸島でモーケン族と一緒に仕事をしていたF.N.Cholmeley氏が、出版社編集局経由Pierre Ivanoff氏宛てに1970年9月に最初に手紙を出したのがきっかけで、書簡のやりとりが2人の間にはじまった。

F.N.Cholmeley氏は民族の研究者ではなく、鉱山技師であったが、第2次大戦直後のモーケン族に関する貴重な写真やいろんな見聞が、本書にも披露されている。当時のメルグイ諸島の様子やモーケン族の暮らしの様子はもちろんのこと、第2次大戦中のモーケン族と日本軍の関わりなどの記述も、見逃せない。また国や経歴も異なる2人のやりとり・交流が実にさわやかで感じが良い。

 モーケン族が極度に臆病で神経質な民族として海上での漂泊生活を送っているのは、何世紀もの間、貪欲な中国人貿易商やマライ人の奴隷狩り業者、タイ人の海賊たちの危険から逃げるためだと従来説明されがちであったが、本編著者は、無論この点を否定してはいないが、モーケン族の海上漂泊生活は、イスラム教の浸透に対する拒絶や、通商の発展に対し、高級な漁法への拒絶という内在的な文化アイデンティからの結果でもあると強調している。海産物の採集で生きていて、近隣のビルマ人やマレー人が高級な漁法を使うのを目撃し知っているにもかかわらず、一般的に網や生簀などさえ使わないというモーケン族。しかし上手な泳ぎ手であり舟の漕ぎ手でもあり、またなんといっても釘など一本も使わずに使い勝手の良い舟を作り上げる名人であるモーケン族の暮しぶりが詳細に紹介されている。また中国人やマレー人商人たちとの相互交易関係やその様式なども説明されている。

 本書には、第2次大戦直後にF.N.Cholmeley氏が撮影していた白黒の写真を始め、1950年代から1990年代の最近までIvanoff親子2代が撮影してきたモーケン族の写真が豊富に掲載されており(1894年と古い写真も一部掲載)、巻末にはMoken Bibliographyと題して80本以上のモーケンに関する外国語書籍・論文リストが掲載されており、研究者や深く関心を持たれている方にはなかなか有用な情報であろう。

 最近(2001年5月6日)、テレビ朝日系列の地球の環境問題を取り上げているドキュメンタリー番組「宇宙船地球号」で、「海から見えるアジア~アンダマン海に生きる漂流民」というタイトルでモーケン族が紹介された。モーケン族の暮らしの紹介と共に、近年の生活環境の変化を取り上げていた。同番組によると、ミャンマー政府はモーケン族に陸地での定住をすすめており、また近年ミャンマー本土から多くの漁船がやってきてダイナマイト漁や危険な潜水漁など手荒い漁法を行っているそうだ。この地域には、植生するマングローブが豊富な有機物をもたらし、浅瀬に多くの生物があふれ、モーケン族は自然の恵みを大切にしながら暮らしてきたが、海の生態系が破壊されつつあり、潮の満ち引きにあわせたゆっくりとしたモーケン族の暮らしも変わりつつあるようだ。

本書の目次

Preface
Chapter 1   Introduction: The Virtue of Exotic Ethnology ( Jacques Ivanoff )
Chronicle / Structure versus nomadism / Different names given to the Moken / The rhythm of the islands /The poets of life / Modern accounts /
Chapter 2   Rediscovering the Moken    (Pierre Ivanoff )
Encounter with the last of the Moken, Sea-Gypsies/ Pursuit of the Moken, Sea Gypsies
Chapter 3  Nomad Chronicles   (F.N.Cholmeley and Pierre Ivanoff )
1st letter ~  12th letter
Chapter 4  From Exoticism to Ethnology   ( Jacques Ivanoff )
From Yams to Rice / The Dialectic of the Nomad and the Sedentary/ People among the Moken/  The coastal civilization / From myth to every life /The perils of exchange / References /
Maps
Mergui Archipelago / Moken Subgroups/Distribution of sea nomads in Southeast Asia/ The South-west coast of Thailand
Notes
Glossary of Moken Words
Moken Bibliography
Index

■メルグイとメルグイ諸島
テナセリムデルタにあるメルグイの町は、15~17世紀にかけて、中国、インド、ペルシア湾から商人や冒険家などが行き交い、交易港として栄えた。当時はシナ海とインド洋を結ぶ最短ルート上に位置していたシャム(アユタヤ王国)に属しており、このためこの地をめぐって、16世紀から17世紀にかけて、シャムとビルマとの間でしばしば戦争が起こった。1760年メルグイの町はビルマ支配下になったものの、戦乱の結果荒れ果てた。1826年、メルグイを含むテナセリム地方はイギリス支配下となった。

現在のビルマ南部のアンダマン海西岸に広がるメルグイ諸島は、約200の主要な島を含む800の島々から成り、しかも大部分の島は、定住者がいない。

本書著者の父親pierre Ivanoffがメルグイ諸島にモーケン族を調査し始める1957年の頃も政争や海賊の出現などで、メルグイ諸島はビルマ沿岸部に近いものの、孤立し一般には忘れ去られた地となっていた。pierre Ivanoffがタイ領からビザを取ってメルグイ諸島に向かうことは無理で、密入国でモーケン族を探しに行っている。

Pierre Ivanoffによる調査探検の特徴
1938年にメルグイ諸島を調査したオーストリアの民族学者ベルナツィークによる調査探検との違い
(1)ベルナツィークはマライの商人の執り成しのもと、モーケン族に接触したが、ピエーレ・イヴァノフは、仲介の商人無しでモーケン族と接触した
(2)ベルナツィークがモーケン族を観察したのは、彼らが陸にあがっている雨季の時期で僅か数日だけの接触に対し、ピエーレ・イヴァノフは、モーケン族の本来の活動期である乾季に接触
(3)ベルナツィークはメルグイの町から近いメルグイ群島北部での調査であったのに対し、ピエーレ・イヴァノフの調査は、メルグイ群島の南部

モーケン族についての呼称
ビルマ人は、この民族をセルング(Selung)と呼んでいる(本書でF.N.Cholmeley氏は、Salonesと呼んでいる)。書物などには、Chillones, Seelongs, Salones,  Salons,Silongsと異なった形で表記されてきた。本書著者は、この名前の由来は、プーケット島の古名Chalangにあるのではないかとしている。

タイでは、”海の人たち”という意味のChao Talayの短縮形Chao Layが、モーケン族に対して一般に使われている呼称。以前は”水の人たち”という意味でChao Namという言葉が使われていた。

モーケン族は、インド人をKulaと呼び、後に西洋人を、”白いインド人”という意味でKula Putiakと呼ぶ。自称はモーケン族。英国人はSea Gypsies, Sea Nomadsの語を使ったが、the Calcutta Government Gazette 1826年3月号にSea Nomadsについての最初の記述が見られる。モーケンという語は、1846年にモールメインでthe American Baptist Mission Pressより出版された”A Primer of the Selong Language”で最初に登場する。モーケンの意味については「海中に潜る」「溺れた人々」という意味と解釈されている。moはlemoで水中に沈むの意で、kenはモーケンの神秘的な女王Sibianに裏切られた義理の姉妹の名であると本書著者は説明している。

モーケン族についての著書
・『The Sea Gypsies of Malaya』(Walter Grainge White,1922) 日本語版『漂海民族』(松田銑訳、鎌倉書房、1943年)復刻版(英語)(1997、White Lotus社)
・ベルナツィーク(1938年論文発表)日本語版『黄色い葉の精霊』(大林太良訳、平凡社、1968年)

モーケン語の一部
・kula  ( Indian )
・Kula putiak  ( Westerner)
・taukay  ( Chinese middleman )
・kabang (Moken boat)
・ban (flotilla )
・pyu (sea-slug)
・tchon (cooked rice)
・sibian (mythical queen of the Moken )
・ken (name of the sister-in-law of Sibian )

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