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コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第22話 「バラモン僧正」
- 2001/11/10
- コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」, 企画特集
8世紀、タミル人の仏僧ボーディセーナが、林邑国の仏哲という僧とともに来日し、後に僧正に任命される
コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第22話 「バラモン僧正」
6世紀にベンガル地方に興った真言密教は、南インドのパッラヴァ王国にも広がり、8世紀にはナラシムハポータヴァルマン王がヴァジラボーディに就いて密教に帰依するほどになりました。また東南アジアではシュリーヴィジャヤが7世紀にはすでに密教の中心となり、そこから真臘や林邑に伝えられます。ヴァジラボーディはナーガボーディに密教を教わり、インドはもとよりスリランカ、スマトラ(シュリーヴィジャヤ)、さらには中国まで足を伸ばしています。スリランカでは今では小乗仏教の本山のようになっていますが、それでもヴァジラボーディは大乗の密教を伝えた仏僧として仏教史に名を留めています。
林邑国の仏哲という僧は、パッラヴァ王国に修行に赴いて、ボーディセーナという仏僧について仏教の勉強をします。ボーディセーナは呪法を行なうと評された人で密教の僧だったようです。またパッラヴァ王国の仏教は、先のボーディダルマの仏教に見られるような斬新かつ本質的なものとして、林邑国の若い修行僧をひきつけたのかも知れません。ボーディセーナは先のヴァジラボーディの渡唐よりほどなく仏哲を連れて中国に行きました。
このボーディセーナと仏哲と中国僧が、遣唐使の帰国船に乗って日本に来たのが736年。行基上人に迎えられます。ところでタミルと日本の関係は、6世紀にタミル人クドゥクルが百済使としてしばしば日本に来ており、タミル人とおぼしき楽団も日本に来ています。7世紀になると『日本書紀』に、筑紫の海で百済使が崑崙使を海に投げこんだという事件が662年のこととして見えます。「崑崙」は崑崙船という言葉にもなっており、僕はズバリ、タミル人のことではないかと考えています。7世紀中期は扶南が滅んだころで、もしかするとパッラヴァ王国の使節が筑紫の海まで来たのかもしれません。
そして8世紀にいたり、タミル人の仏僧ボーディセーナが日本に上陸したのです。ヒンドゥーのブラフマン階級の子に生まれたといわれるボーディセーナは、日本の仏教界でたちまち「バラモン僧正」の渾名を頂戴してしまいますが、ボーディダルマに始まる禅宗の仏教が、バガヴァット・ギーターの精神を色濃く宿していたり、またボーディセーナのようにブラフマン階級の者が仏教僧になるという、パッラヴァ王国の仏教はかなり闊達なものだったようです。このボーディセーナが行基の後を継いで、日本の仏教界最高位の僧正に任命されたのは751年のことでした。
翌年、東大寺の大仏開眼供養が営まれ、導師をつとめるボーディセーナは筆をとって大仏の目にひとみを入れ、筆から延ばされた長い絹のヒモには、聖武上皇をはじめ皇太后、天皇と日本の超VIPたちの手がつらなったのです。タイの仏教のセレモニーや、ヒンドゥー式の土地神の安置祭などで、白い糸を伸ばして参会者の手に握らせますが、ははあこういう感じのものなのだな、と類推することができます。ところで東大寺の大仏は釈迦牟尼仏陀ではなく、ヴァイローチャナ仏陀で密教の本尊です。密教僧でしかもブラフマン階級の出であるボーディセーナの存在がいかに大きかったのか、それとも日本の仏教界もまた密教を珍重する東南アジアの風潮をおくればせながら追っていたのか、ともあれボーディセーナによって日本の仏教は、東南アジアさらにパッラヴァ王国の仏教と同じ足並みで動いていたと言えるかもしれません。
林邑僧の仏哲は、雅楽として今に伝わる林邑楽をもたらしました。特異な装束を用い奇怪な仮面をかぶって跳舞する、と言われる林邑楽は、すべてインド起源の音楽で、一部に西域楽が入ると言われています。林邑楽の名は仏哲の出身地の林邑国にちなんでつけられたといわれていますが、僕は仏哲が自ら名づけたのではないかと考えています。8世紀の中頃、林邑国ににわかに異変が起こり、王都が今のベトナム中部から南部に移り転々とした後,、758年に至って中国人は林邑という国名を廃して「環王」という名前に変えています。これは742年にシュリーヴィジャヤが中国に使節を送った後、約150年間通交が絶えるのとあいまって、ジャワのシャイレンドラ王朝の勢力が及んだものと考えられますが、日本に在って林邑国の衰微・消失を知った仏哲が、林邑楽の名にその国名を永久に残そうと考えたのかも知れません(875年、チャム族の新王朝が成立しましたが、中国人はこれを占城と呼んで、林邑の名はついに復活しませんでした)。