メコン圏対象の調査研究書 第33回「ヴェトナム独立運動家 -潘佩珠(ファン ボイ チャウ)伝 ー日本・中国を駆け抜けた革命家の生涯ー 」(内海三八郎 著、千島英一・櫻井良樹 編)

メコン圏対象の調査研究書 第33回「ヴェトナム独立運動家 -潘佩珠(ファン ボイ チャウ)伝 ー日本・中国を駆け抜けた革命家の生涯ー 」(内海三八郎 著、千島英一・櫻井良樹 編)


「ヴェトナム独立運動家 潘佩珠(ファン ボイ チャウ)伝 ー日本・中国を駆け抜けた革命家の生涯ー 」(内海三八郎 著、千島英一・櫻井良樹 編、芙蓉書房出版、1999年3月発行)

<著者・編者紹介>(本書紹介文より。1999年発刊当時)
<著者紹介>
内海 三八郎(うつみ・さんぱちろう)(1891年~1986年)
東京外国語学校卒業後、ハノイにて貿易業に従事。『南ヴェトナム風土記』(鹿島研究所出版会)の著作もある。詳細は本書解説参照。
<編者紹介>
千島 英一(ちしま・えいいち)
1947年生、麗澤大学教授、専門:中国語学、主要業績:『初めて学ぶ広東語』(株式会社 語研)
櫻井 良樹(さくらい・りょうじゅ)
1957年生、麗澤大学助教授、専門:近代日本政治史、主要業績:『大正政治史の出発』(山川出版社)

潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)(1867年~1940年)は、ベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)を指導し、ベトナム独立運動の中心となって活躍した21世紀初頭ベトナムの民族運動指導者で、本書は、著者の内海三八郎(1891年~1986年)氏による潘佩珠の自伝解説原稿「潘佩珠自判解説」)(本書の「潘佩珠伝記」)の遺稿を中核に、内海三八郎 氏が所蔵していた潘佩珠「自判」の写本(漢文)を翻刻して加え一書にしたもので、麗澤大学図書出版助成金による1999年3月の芙蓉書房出版発行の出版物。編者は本書刊行当時、麗澤大学教授の千島英一氏(専門は中国語学)と同大学助教授の櫻井良樹氏(専門は近代日本政治史)。潘佩珠はベトナム独立運動史上で、ホーチミンと並んで有名な人物で、中部ベトナムのゲアン省出身。幼少時より儒学を学び、郷試に合格。1903年、国内の同士と反仏革命団体を結成(後にベトナム維新会とする)。1905年、日本に渡り、ベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)を指導。1909年以降、中国に拠点を移してベトナム光復会を組織するが、1925年に上海でフランス官憲に捕われてベトナムに送還され、フエで1940年10月に亡くなるまで15年の軟禁生活を送った。この軟禁生活の間に、数多くの文章を執筆するが、幼少から1925年上海で再びフランス官憲に捕らわれるまでの期間の自伝で、「獄中記」に続く2つめの自伝となる漢文での「自判」執筆もその一つ。

著者の内海三八郎(うつみ・さんぱちろう)氏の経歴は、本書巻末の「解説」に詳しいが、1891年、横浜に生まれ。1915年、東京外国語学校仏語本科ならびに英語専修科卒業後、同年4月、フランス語と貿易実習のため旧フランス領インドシナ渡航。1916年9月、神戸内田商事株式会社に入社し、戦前は商社員としてマルセーユ出張所長、在フランス3年勤務。のちに外務省嘱託としてエジプトやフランス領インドシナ出張。戦時中は、軍嘱託で輸出入業に従事。戦後もヴェトナムに残留し新政府の財政顧問として北部に残り、1952年、ハノイに帰還しハイフォンにて輸出入業再開。1953年、サイゴンに移り、1957年にはアメリカ経済援助局に勤め、1961年には鹿島建設ダニムダム建設事務所勤務など、1963年の引き揚げ帰国まで、長らくベトナムに住み戦前期からの日本で数少ないベトナム通の人物で、「南ヴェトナム風土記」(鹿島研究所出版会、1964年)という著書もあり。

本書の「潘佩珠伝記」の”はじめに”では、内海氏が「潘佩珠自判」を探し始めるきっかけについて述べられている。それによると、内海氏が、1956年、ゴー・ディン・ジェム大統領の招待を受けサイゴンを訪れていた文芸評論家・フランス文学者の畏友 小松清(1900年~1962年)から近著「ヴェトナム」(小松清 著、新潮社、1955年)を贈られるが、各論において多くの誤りのあることを発見し、戦前におけるヴェトナム民族運動と日本との関係を書くことを思い立ち、「潘佩珠自判」を探し始めたが、フランス官憲の目を怖れ、長年隠してしまってある本で、そうたやすく見つかるはずは無かったものの、何年か経って、1965年頃、未知の呉成人というフエ在住の人から「潘佩珠自判」の写本上下2巻等、小包が、内海氏の帰国先の長野県御代田町に届く。メコンデルタのオケオ近くで難民の農業指導を手弁当で続けていた広島県人の高橋常雄氏という内海氏と同年生まれの懇意にしていた人に本探しの苦心談をしたことがあったが、呉成人 氏は、高橋常雄氏の知り合いだったようで、こうして、内海氏が、日本人として、おそらく最初に「潘佩珠自判」の漢文の原文を手に入れ、その訳を試みていた人物と言えることになる。本書に翻刻した漢文の「自判」は、内海氏が1965年頃に呉成人から送られたものを底本としている。

呉成人がどういう人か気になるが、「自判」ベトナム語版の翻訳出版となる「ベトナム革命志士 潘佩珠 ファン・ボイ・チャウ自伝 自判 <仏領インドシナ植民地解放闘争史>」(何 祐子 訳・著、2024年7月)に詳しく、 呉成人(ゴ・タイン・ニャン)は、潘佩珠の遺稿出版社だった「英明(アイン・ミン)書館」代表とのこと。本書では、潘佩珠が「自判」を書き残したのは、フエ軟禁中の初期の1926年と書かれているが、「ベトナム革命志士 潘佩珠 ファン・ボイ・チャウ自伝 自判 <仏領インドシナ植民地解放闘争史>」(何 祐子 訳・著、2024年7月)では、潘佩珠の遺稿出版社だった「英明(アイン・ミン)書館」出版挨拶文から掲載されていて、それによると、フエでの軟禁生活の中で、潘佩珠は、1929年頃から自身の自伝書を漢語で書き始めたと書かれ、また、自ら時間を空けずにベトナム国語へ翻訳されたが、潘佩珠の没後、1956年、ベトナム共和国(南ベトナム)において、遺稿を守っていた仲間グループの手によって現代ベトナム国語版が発刊されたとのこと。潘佩珠の遺稿がどういう経緯を辿ることになったかについても、この「英明(アイン・ミン)書館」出版挨拶文は詳しい。

内海氏は、「自判」を1965年頃に手に入れ、解説という形で伝記を書き始め、1970年前後には、麗澤大学の先生たちの協力で、草稿が一応できあがるが、その後10数年の休止期間があり、1983年から84年に清書が為された模様とのことだが、ここから、1999年の本書出版までの経緯についても、本書巻末の編者による「本書発行の経緯について」で紹介されている。編者の千島英一 氏が1997年のある日、乱雑になっていた自分の研究室の整理をしていたところ、「潘佩珠自判」と墨書してある大振りの茶封筒に入っていた原稿が出てきたとのこと。病床にあった恩師の麗澤大学教授の奥平定世氏(1902年~1984年)が、亡くなる直前に「これは内海さんからお預かりした原稿だ。ベトナム史を研究する上で大切な資料となるものだが、未だ出版の目処がたっていない。いずれ君の手でいつか日の目を見させてやって欲しい」と預けられた原稿だったとのこと。本書の帯には、”ベトナム独立運動に生涯を捧げた英雄潘佩珠が書き残した自伝と、それを解説した幻の原稿「潘佩珠自伝解説」(内海三八郎 著)を翻刻 今回発見された内海の草稿は、ベトナム戦争の終末期に執筆されたもので、資料の少ないベトナム独立運動史研究に貴重なもの”と紹介。

冒頭の編者による「本書の成り立ちについて」の文章で、内海三八郎による潘佩珠の自伝解説原稿「潘佩珠自判解説」)(本書の「潘佩珠伝記」)は、潘佩珠の「自判」の記述に多く依拠しているとは言え、単なる翻訳や解説では無く、内海氏独特の解釈や調査を新たに加え、あるいは自らの長いヴェトナム体験に基づき、それ自体が潘の伝記としての体裁を備えている、と述べている。本書の核となる内海氏による潘佩珠の自伝解説原稿「潘佩珠自判解説」)(本書の「潘佩珠伝記」)は全6章から成るが、この文中の章立てや小見出しは、内海氏のものを参考に新たに編者が付けたもの。「第1章 国を出るまで」は、ベトナム中北部のゲアン省で1867年に貧しい儒士の家系に生まれた少年時代に始まり、抗仏運動に乗り出し、皇族クオン・デ(1882年~1951年)の担ぎ出しをし、秘密結社の維新会を結成。そして1905年1月、日本に向け出国する時までの時代。ベトナムの独立を目指して潘佩珠とクオン・デの2人は、1905年、1906年と相次いで日本を目指し密入国をし、潘佩珠が主導し1905年に開始されたベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)の展開は、「第2章 扶桑の国へ」「第3章 東遊運動」で記されるが、1906年から1908年の秋までは、「私の一生涯のうち、最も華やか幸福な時代で、為すことならざるはなく、今から思えば私の人生のうち最も特異な時代であった」と述懐している。

日本に到着してからの活動としては、最初に梁啓超に接触し、その後、犬養毅を紹介され、更に、大隈重信、東亜同文会の幹事長・根津一、幹事・柏原文太郎、陸軍の参謀本部次長・福島安正などの有力者とも接触することができるが、ベトナム人の潘佩珠には漢文能力と儒学の素養があり、漢字という同文による筆談が役立っていることは見逃せない。こうした有力者たちとの話の中で、潘佩珠も、自分たちの活動を、武器の調達という当初の計画から変更して、まず人材の育成に専念することを決断。こうして、1905年からベトナム青年の日本留学運動(東遊運動)がスタートする。いろいろな課題がありながらも、拡大していた東遊運動も、「第4章 日本退去」に記される通り、フランス当局による東遊運動に対する弾圧が強まり、日仏協約締結もあって、日本政府により1908年9月にはヴェトナム留学生解散命令、続いて1909年2月には潘佩珠とクオン・デに退去命令が出て、潘佩珠は1909年3月に、次いでクオン・デが1909年11月に日本を離れ、東遊運動が終局する。1909年に日本を離れた潘佩珠は、しばらく香港に滞在し、それから広州に移動。更にタイで当面、支持者のベトナム青年たちと農場生活を1年以上送ることになる。タイの場所は本書では「伴沈」と書かれ巻頭の地図では、バンコクのすぐ近くの場所が示されているが、「自判」原文では「伴忱」と記され、恐らく東北タイのウドンタニ辺りではないかと推測する。

「第5章 中華革命展開の中で」では、日本での活動の道は途絶え、その間にベトナム国内の状況は、フランス当局による徹底的な弾圧により多くの同志が犠牲になり活動は壊滅的ながら、不屈の精神を持つ潘佩珠は、中国の辛亥革命のニュースを知り、1912年、タイから広州に戻り、広州でベトナム光復会を結成し、ベトナム光復軍を組織化に取り組むが、武装闘争は相次いで失敗。加えて、1913年、中国の第二革命の影響で、革新陣営勢力で潘佩珠とは懇意の仲の広東都督・胡漢民(1879年~1936年)の後任の広東都督・陳炯明(1878年~1933年)が、反革命派の龍済光(1867年~1925年)に広東を攻められ追い出され革新陣営勢力の一掃に乗り出し、潘佩珠も広州で逮捕入獄となり、危うくフランス側に引き渡される予定であった。その後、護国戦争で広東都督・龍済光は敗北し海南島に退却移動し、潘佩珠も海南島の瓊州(現・海口)へ連行されるが、1917年3月、同地で釈放される。「第6章 抗仏運動最後の10年」は、1917年3月、海南島で釈放されてから、1925年には杭州から広州へ向かう途中、上海でフランス官憲に捕われてしまう迄の期間ながら、特筆すべき革命闘争の進展は見られず。潘佩珠の自伝「自判」はここで終っているが、潘佩珠は上海で捕らえられフランスの軍艦でハノイに護送され、1905年から1925年までの20年の海外亡命生活が終わり、ハノイで裁判の後、フエで1940年に死去するまで軟禁生活を強いられる。

潘佩珠は「自判」序言の中で、波瀾万丈の自分の一生を年代順に語るに先立ち、その執筆動機を語り、自分の半生の歴史は終始一貫、語るに堪えざる恥多き海外流浪中の失敗物語の連続だったが、その失敗のよってくるところを振り返ってみると、多少の例外を除き、その多くは自分の不明不徳の致すところであったと、3点を挙げ、革命運動を失敗に終らせた三大原因と言い切っているが、と同時に、それでも終始一貫、守ってきた3点についても、書き残している。”さればとて、私はこれによって、多くの同志の尊い生命を失った私の罪を少しでも軽減しようなどという、さもしい了見など微塵も持っていなかったことを一言断っておきたい。」と付け加えられているが、人間・潘佩珠を理解する上で大いに参考になるかと思う。

不明不徳と自己反省する3点
私は元来自我が強く、天下に何事もやって出来ないことはないと確く信じて来た。この過信がすべての禍のもとで、私は自分の徳と能力とを計りそこねていた。
また他人を疑うことを知らず、自分さえ正しければ世の中に信用し得ない人はいないと思いこんでいた。つまり私には他人を見る明智と六感が欠けていた。
細かい点に注意を欠き、最も大事なことを迂闊に他人に任せた結果、些細な事から大事をひき起こして失敗を招いた。
守ってきたと自負する3点
私は生来冒険心が強く「千万人といえども我行かんかな」の意気をもって革命運動に挺身し、殊に壮年時代、気概だけは自分ながら極めて盛んであったと今でも思っている。
他人に接し、少しでもその人の言に聴くべきところがあれば、終身その人を忘れず、また別して忠言を呈し面責してくれる人があれば、その言は喜んでこれを聴くにやぶさかではなかった。
畢生の事業とした革命運動に限り、私は勝ちを最後の5分間に賭け、手段と方法は時に臨み機に応じて善処として来たつもりである。

潘佩珠伝記・自伝 ●目次

写真
本書の成り立ちについて・・・編者
関連地図

潘佩珠伝記 ・・・・・内海 三八郎
はじめに
第1章 国を出るまで
潘のざんげ/ 人生の三時代/ 少年時代/ はじめての抗仏体験/ 雌伏10年/ 同志を得る/ 抗仏運動に乗り出す/ 皇族の担ぎ出し/ 琉球血涙新書/ 国内の隠れた士を捜す/ 維新会結成/ 日本行き決定す/ 東游の途に上る
第2章 扶桑の国へ
ヴェトナム脱出/ 義人里慧/ 中華革命党/ 日本到着/ 梁啓超/ 大隈重信・犬養毅/ 『ヴェトナム亡国史』/ 後援団体の結成/ 劉永福将軍/ 遊学費の援助を国民に勧む/ 雲南留学生殷承献/ 孫文と会談
第3章 東遊運動
畿外侯来日す/ 横浜丙午軒/ 海外血書/ 越南商団公会/ 再度の帰国/ 山岳地帯に潜入/ 抗仏将軍黄花探/ 盛り上がる反仏抗争/ 南圻父老に哀告する文/ 出国者あい次ぐ/ 曽抜虎死す/ 民主主義に転向/ 東亜同文書院/ 公憲会/ 陳東風の自殺/ 枚老𧉻・阮尚賢の来日
第4章 日本退去
学生解散命令下る/ 宮崎滔天/ 浅羽佐喜太郎/ 東亜同盟会/ 浅羽翁記念碑/ 退去命令下る/ タイ行計画/ 鉄砲買い付け/ 魚海死す/ 売書生活/ 周師大/ 林徳茂/ 伴沈農場
第5章 中華革命展開の中で
辛亥革命/ ヴェトナム光復会/ 新中国の援助を仰ぐ/ 光復軍と国旗の制定/ 軍票の印刷発行/ 振華興亜会/ 東朋医社/ 武装闘争失敗あいつぐ/ 袁政権の好意/ 杜基光/ 中国第二革命/ 畿外侯欧州へ/ 潘入獄す/ 欧州大戦勃発/ ドイツよりの資金援助
第6章 抗仏運動最後の十年
難を免れる/ ドイツ公使の密命/ 漢口から重慶へ/ 雲南着休戦を知る/ 帰路の困難/ 潘伯玉の企み/ 仏越提携論/ ソ連への接近/ 売文生活/ メルラン総督襲撃事件/ ヴェトナム国民党/ ついに罠にかかる/ 革命の火一時終息す

「自判」本文 ・・・・・潘佩珠

解説 ・・・千島英一・櫻井良樹

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