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論考論文・探求活動記「東南アジアの仏足石」(鈴木 峻さん)第2編「南タイ・スコタイ仏足跡探訪記」第3回
- 2026/1/20
- 「東南アジアの仏足石」(鈴木 峻さん), 手記投稿等, 論考論文・探求活動記
論考論文・探求活動記「東南アジアの仏足石 」(鈴木 峻 さん)
第2編 「南タイ・スコタイ仏足跡探訪記」 第3回
鈴木 峻(すずき・たかし)
1938年8月5日、満州国・牡丹江市生まれ。1962年、東京大学経済学部卒業。住友金属工業、調査部次長、シンガポール事務所次長、海外事業部長。タイスチール・パイプ社長。鹿島製鉄所副所長。(株)日本総研理事・アジア研究センター所長。
1997年、神戸大学大学院経済学研究科兼国際協力研究科教授。2001年、東洋大学経済学部教授。2004年定年退職。その間、東京大学農学部、茨城大学人文学部非常勤講師。立命館大学客員教授。経済学博士(神戸大学、学術)。
2012年9月~2014年6月、タイ・ラオス、カンボジアに数次にわたり仏足石調査旅行。主な著書『東南アジアの経済』(御茶ノ水書房、1996年)、『東南アジアの経歴史歴史』(日本経済評論社、2002年)、『シュリヴィジャヤの歴史』(2010年、めこん)、『THE HISTORY OF SRIVIJAYA under the tributary trade system of China』(英文。2012年、めこん)、『扶南・真臘・チャンパの歴史』(2016年、めこん)、『THE HISTORY OF SRIVIJAYA, ANGKOR and CHAMPA』(英文。2019年、めこん)、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)<注記>本著作分は、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)発刊以前に、著者ホームページで発表掲載されていたものの一部で、ホームページ閉鎖に伴い、著者より転載許可を得て再掲載されているものです。原文初出の主な時期は2010年代です。従来の発表文章などの延長が、『東南アジアの仏足石』(2025年7月、めこん)の発刊に繋がっています。
南タイ&スコタイ仏足跡探訪記(2013年1月)第1回、第2回、第3回
Ban Ta Khum(スラタニ県)
その日(2013年1月9日)、次に目指したのが、スラタニ県西部のWat Kraison Khetaramである。これは内陸部であるが、今はダムとなっている山間部を通る川とつながっていたところで、Ban Ta Khumという町のすぐ北側にある。Klong SokとKlong Pra Saengという川の合流点である。この付近がタクアパ⇒チャイヤー間の物流の中継点になっていた。扶南がタクアパとプン・ピンを結ぶ水路として利用した時の中継点であり、古代においてはそれなりに人口も多く、特に室利仏逝時代はにぎわっていたのではないかと考えられるからである。
このワット・クライソン・ケタラムには実は2つの仏足跡がある。一つは右側大きなもの(長径1.8m)であり、中には小さ仏足跡が3つ刻まれており、いわば「4段仏足跡の原型」ともいうべきものである。普段は茶褐色の雨水がたまっていて底は見えないが、松久保調査団の女性スタッフが水を掻い出し撮影したものである。(2013年4月)
もう1つはチャイヤーにみられる岩盤に丸形の仏足跡を彫り込んだだけの「原始的」なもので松久保秀胤師(薬師寺元管長)が2013年4月にここを訪問された際に偶然発見された。下の写真の左側のものが、松久保長老がご自身で発見されたものである。この仏足石の存在は長年の間その存在を誰も知らなかったものであろう。もちろんこの小型仏足跡は大型のものよりかなり古い。
タイ独特の「4段(シー・ロイ)仏足跡」の原点がこのっワット・クライソンの大型仏足跡といえるかも知れない。(他にもあるかもしれないので。)


人口が少なく「集落(コロニー)」が形成されないようなところには仏足跡は作られないはずである。それにしても小山さんの運転でWat Kraisonという寂れた寺にたどりついて、その荒廃ぶりには驚いた。周辺に多少の住民が住んでおり、葬式用の煙突は立っていたが、寺院の建物はかなり傷みかかっていた。入っていくと80歳を超えているとみられる老僧がいたので、ここに仏足石はあるかと、小山さんが尋ねると「裏山にあるが、石段を登って、さらにその奥で、私も長年行ったことはない」という返事であった。
しかし、その老僧は若い屈強なお坊さんを道案内につけてくれた下の上半身裸のお坊さんがその人である。。彼は何度か登っており、私に途中で「杖」を作ってくれたり、笹の葉をかき分けてくれたり、何かと親切にしてくれた。それにしてもクライソン寺は寂れた寺であった。しかし、有名な古刹らしくGoogle Mapで検察することができる。






私はさほど高くもないクライソン寺の裏山を往復しただけで完全にグロッキー状態になてしまたった。道案内をしてくれた若いお坊さんが駆け寄って私のヒザをマッサージしてくれた。私はいくらなんでもタイのお坊さんのマッサージを受けるわけにはいかないので、この後慌てて飛び起きた。そして同行の小山さんと老僧にお礼をいったら、今度はその老僧が「ご苦労さん」といわんばかりに冷えたペットボトルを2人に恵んでくれた。いやはやお坊さんから施しを受けるなんて、なんということであろうか?
それだけでなく、冷たい水で顔を洗って行けとか、ご親切の限りを尽くしてくれたのである。わずかばかりのタンブン(お布施)を差し上げていたとはいえ、過分のお恵みを頂戴してしまった。こんなに人情味のあるお坊さんにめぐりったのは初めてである。ああ、ありありがたき幸せ。南無阿弥陀仏。私はは汗と涙でずぶ濡れになった顔を何回も拭きながら、小山さんの車にヨタヨタと戻っていたった。実際に存在するかどうかはっきりしなかったこのクライソン寺を訪ねてきてよかった。優に1000年以上は続いているクライソン寺は健在だったのである。











