コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第33話 「イネナリ神社の五祭神(5)」

「古事記」以前の葦原中つ国の文化に見えるモン・クメール語族の色彩を持つ文化の名残り

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第33話 「イネナリ神社の五祭神(5)」

ところでアマテラスが優良な稲種を得てそれを神稲とし、天の神稲を植える田(サナダ、サダ)に初めて植えたことを伝える説話には、クマ(糧、神を祭る米)、ウケ(ウルチ米)、サ(神稲)という言葉が使われていました。倭人の口によるクマの発音は韓人の口によるコムの発音に通じますが(熊津を倭人はクマナリとよみ、韓人はコムナルとよむ)方言差と見て良いでしょう。またベトナム語にはコム(ご飯)の語がありますが、これにもつながるものではないでしょうか。海南島に住むタイ系のリー族は田んぼのことを「タ」といいます。また穂のことをベトナム語ではボンといい、タイ系の水族はビャーンといいます。『古事記』ではホノニニギの「ホ」を表わす漢字に「番」の字が充てられていますが、もしかするとこのあたりの消息を伝えるものではないでしょうか。さらに言えば『古事記』は天の勢力が上陸した浜を伊耶佐と書いて「イザサ」とよませていますが、「耶」の字を「ザ」とよむのはベトナム音による漢字のよみかたです。

韓国語でウルチ米のことを意味するウケは、ベトナム語のガオ(米)、水族のアウ(米)、タイ語のカウ、カーウ(米)よりも、クメール語のオンコ(米)に近いのではないでしょうか。またアマテラスを喜ばせたサ(神稲)も、ベトナム語のルア(稲)、タイ語のカウ、カーウよりはクメール語のスルー、古代モン語のスロ(ともにSRの複合子音)につながるのではないでしょうか。また現代モン語では稲をサといいます。サナエ、サオトメ、サツキなどと日本語に残る稲を表わすサという言葉は、モン・クメール系統の葦原中つ国の地の言葉だったように思われるのです。神武東征の後、ほぼ一世紀を経て倭国に渡ってきた秦一族は、いわゆる天の勢力が倭国に権力を打ちたてる前の葦原中つ国の文化を濃厚に保存していて、それが稲荷神社の五祭神に現われたと思われますが、五祭神の顔ぶれは古代ラワ族のマランカ王の稲作儀礼のようなモン・クメール語族に見られる稲作文化と共通の色彩が見えるように思います。

稲荷神社の五祭神には『古事記』以前の葦原中つ国の文化、それはたぶんに稲作文化の先輩の一人であるモン・クメール語族の色彩を持つ文化の名残りが見られるのではないかと考えます。そして『古事記』の文化には、トンキン・デルタを中心とするベトナム色、トンキン・デルタあたりを原郷とするタイ族の色彩が見えるように思われます。

『古事記』には有名なスサノオのヤマタノオロチ(大蛇)退治の神話が収録されていますが、ベトナムには実はこれにそっくりの民話が残っています。1997年に河内世界出版社から出された『越南神話民間故事選』に「勇士は大蛇を斬る」という民話が載っています。この本は、ハノイで出版された中国語で書かれた本ですが、大陸式の簡体字ではなく、台湾式の繁体字で書かれています。ベトナムの識字階級は旧来の漢字を守りつづけているのでしょう。またこの本は中国の簡体字を習った人たちを読者に想定してはいないようです。それはともかく、『古事記』ではスサノオが大蛇の尾に太刀を打ちこんだとき、剣の先が欠けてそこからツムハの剣が発見されるのですが、ベトナムの民話では勇士は大蛇の頭に太刀を打ちこみ、剣の先が欠けてしまいます。大蛇の頭の中に残された剣の先は、後になって勇士が大蛇を退治したことを証明する重要な証拠になるのです。コインの裏と表のような、または日と月のような、この大蛇退治の説話の細部の類似と相異からは、かえってこの二つの説話がつながるものではないかという気がしてなりません。

また『古事記』はベトナム色が濃厚で、『日本書紀』は百済色が濃厚です。古代の日本列島には南方や西方から各種の民族文化が流れこんでいたことを考えれば、なにしろ倭の国はもともと「百余国」あったのですからね、古代の神々や文献にそれが反映されない方がおかしいと考えるべきでしょう。

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