- Home
- メコン圏対象の調査研究書, 書籍紹介
- メコン圏対象の調査研究書 第11回「中国雲南岩絵の謎 ー日本文化のルーツを解く謎」(彭飛 編著、雲南博物館協力)
メコン圏対象の調査研究書 第11回「中国雲南岩絵の謎 ー日本文化のルーツを解く謎」(彭飛 編著、雲南博物館協力)
- 2001/6/10
- メコン圏対象の調査研究書, 書籍紹介
メコン圏対象の調査研究書 第11回「中国雲南岩絵の謎 ー日本文化のルーツを解く謎」(彭飛 編著、雲南博物館協力)
「中国雲南岩絵の謎 ー日本文化のルーツを解く謎」(彭飛 編著、雲南博物館 協力、祥伝社、1995年11月発行)
<監修者略歴> 山折哲雄 (やまおり・てつお)
1931年サンフランシスコ生まれ。東北大学インド哲学科卒業。東北大教授、国立歴史民俗博物館を経て、現在、国際日本文化研究センター(文部省大学共同利用機関)調整主幹、教授。同センターでは、編著者彭飛氏の指導教官でもある。宗教学を専門とするが、その博識と豊かな研究経験を生かし、思想・文化の世界で幅広く活躍している。『日本仏教思想史序説』『日本人の霊魂観』など、著書多数。<編著者略歴> 彭飛 (peng fei)
1958年上海市生れ。父は雲南省出身。復旦大学(中国上海)卒業、1993年大阪市立大学文学部で博士号を取得。専門は中国と日本文化の比較研究。国際日本文化研究センター来訪研究員、日本学術振興会特別研究員を経て、現在、国際日本文化研究センター客員助教授。著書に『大阪ことばと中国語』(東方書店)、『日本人の言語慣習に関する研究』『大阪ことばの特徴ー例文英訳付』(ともに和泉書院)、『日本語擬声語擬態語特徴』(商務印書館)、『「ちょっと」はちょっとーポンフェィ博士の日本語の不思議』(講談社)などがある。「中国雲南省ナシ族の神話と日本の神話」「雲南ナシ族の東巴(絵画)文字の構造」などの論文もある。<協力者略歴> 李 昆声 (li kun sheng)
1944年雲南省生れ。北京大学歴史考古学部卒業。現在、雲南省博物館館長。『雲南文物古跡』(雲南人民出版社)『雲南芸術史』(雲南教育出版社)など著書多数。
<報告者略歴>
張楠 (zhang nan) 1938年雲南省生れ。雲南大学歴史学部卒業。現在は雲南省大理白族自治州博物館館長。『神奇古老的大理』(タイ国古城出版社) 『雲南仏教芸術』(共著 雲南教育出版社) 『南詔文化論』(主編 雲南人民出版社)など著書多数。
楊天佑 (yang tian you)1930年北京市生まれ。四川美術大学(元西南人民芸術学院)卒業。雲南芸術大学美術学部専任講師、雲南省博物館考古研究所所員を経て、現在、専門の芸術考古学を中心に広く研究活動を続けている。論文に「雲南岩画芸術」「雲南元江它克岩画」「麻栗坡大王岩崖画」などがある。
和力民 (he li min) 1955年雲南省生まれ(ナシ族)。雲南民族大学卒業。専門は言語文学。雲南省社会科学院東巴研究所副研究員。論文には、「簡論原始宗教的発展和演変」「金沙江崖画的初歩研究」などがある。
雲南省では、新中国成立後の1950年代以降、考古学的な遺物の大きな発見が続いている。1950年代には、晋寧県の石寨山で前漢時代の滇国の墓群が50基発見され、その第6号墓で黄金製の「滇王之印」が見つかったこと、1960年代には、元謀県で中国においてもっとも古い原人化石・元謀人が発見されたこと、1970年代には江川県の李家山で滇族の上流貴族の墓群が27基も発見され、特殊な造形の滇式器物が出土したこと、1980年代から90年代にかけては、元謀県で腊瑪古猿化石が発見されたこと、さらに江川県李家山において滇墓が50基余発掘され、青銅器が千点も出土したことなどである。こうした中、近年、先史時代の岩絵が、雲南の怒江リス族自治州、迪慶チベット自治区、麗江地域と大理白族自治区などで続々と発見されている。(本書に収録されている滄源地域の原始岩絵が発見されたのは1960年代)
本書は、雲南で編著者によって新たに発見された岩絵や他雲南現地の研究者たちによる雲南各地に分布する岩絵の紹介である。「岩絵」という言葉は、聞き慣れない言葉であるかもしれないが、躍動感溢れる動物の絵で知られるフランス南部のラスコーの壁画(通説では約1万5千年前)やスペインのアルタミラの壁画(通説では約1万3千5百年前)のような岩に描かれた絵で、日本では学術用語として「岩面画」「岩壁画」という呼称が使われているそうだ。岩絵が表現する内容は、先史時代の人たちの心理や信仰、美意識などを表すものとして大変興味深いものだといえる。
本書には、編著者自身が、研究者として初めて現地に入り(1995年4月)撮影に成功した東聯村補此里山の岩絵が紹介されている。東聯村は、麗江から更に北へ180キロほどの主にリス族、ナシ族が住んでいる極めて貧しい地域であるが、岩絵の所在地は、「補此里山(プツリサン)」と呼ばれる山の頂上近くの海抜2100メートルのところだ。東に望んでおり、見下ろすと約600メートル下に長江の上流にあたる金沙江が見えるのだが、山から金沙江の流れを見下ろす景観の写真を含め東聯村への険しい行程の様子が写真とともに描かれている。高山の山頂にある岩陰の撮影は容易でないと思うが、岩陰に描かれた野牛や猿など動物像の岩絵群の写真も掲載されている。
雲南の岩絵ということでは、他にもいくつか紹介されている。「蒼山岩絵」は、大理市から30キロ西に離れた大理白族自治州漾濞県西郷金牛屯という地の東側にある蒼山(海抜2020メートル)の西側の巨大な青石岩壁の上に描かれている岩絵だ。こちらも1990年代に入って発見されたものであるが(大理地域で発見された初めての岩絵)、一部は雨水など風化・浸蝕などによりはっきり見えなくなっているものも有るが、当時の原形をとどめている岩絵が200図もある。補此里山の岩絵と違って、こちらの岩絵は130図以上が人物絵だ。さらに雲南南東部の「麻栗坡」、雲南南部の「蒼源」の岩絵を中心とした紹介では、自然崇拝を示すものとして太陽を描写したもの、祖先崇拝や祭祀活動を描いたもの、狩猟採集活動を描いたもの、氏族間の戦いの様子らしきものなど、いろんな内容の岩絵が紹介されている。中でも頭に装飾物をつけた人間の姿や五人舞・七人舞の祭祀活動の描写は面白いし、「文身」(体に入れ墨をすること)や高床式建物に通ずる「巣居」や「干欄式建物」など、日本文化と共通すると見られる雲南文化の一部が雲南岩絵に既に見られることも驚きだ。
麗江を中心とした金沙江(長江の上流)の周辺には1980年代の末に初めて岩絵が見つかったが、特に近年大量の岩絵が発見されており、景勝地・虎跳峡の岩壁にも、古代の岩絵が多く残っているとのことだ。金沙江周辺の岩絵の多くは野生動物で、狩猟対象として描かれ、野獣が矢を体に受けた図などがある。本書の本書の編著者・彭飛氏は、雲南省全体に分布する岩絵について金沙江周辺の岩江が最も古く、そこから雲南の各地に広がっていったし、また揚子江上流は岩江の伝播ルートでもあったろうと仮説をたてている。
尚、本書の編著者・彭飛氏は、略歴にもあるように、日本の大学で博士号を取得し、大阪言葉の研究など面白そうなテーマにも取り組まれたが、父親が雲南省出身という事もあってか、以前から、中国雲南省に伝わる絵文字の解読に取り組んでいた。そのため、雲南岩絵の解説以外に、本書では、その第1部と第3部で、それぞれ「雲南、その風土と歴史」「雲南研究のいとぐち」と題して、雲南の風土・文化の紹介、特に日本文化との関わりについての解説も為されている。
本書の目次
本書の刊行に寄せて 監修者 山折哲雄
知られざる貴重な文化的遺産 編著者 彭飛
日本と雲南とを結ぶ糸 雲南省博物館館長 李昆声第1部 雲南、その風土と歴史
(1)”岩絵”-雲南と日本のミッシング・リンク 山折哲雄
(2)雲南岩絵からのメッセージ 岩絵撮影/和慶元
(3)日本文化の源流を求めて第2部 雲南岩絵、その神秘の世界
(1)東聯村補此里山 ー新発見、初公開の動物群 報告・撮影/彭飛
(2)蒼山 ー干欄式建物と六列の人間 報告・撮影/張楠
(3)滄源・麻栗坡 ー太陽、そして謎の人物群像 報告/楊天佑、撮影/楊天佑,徐康寧
(4)金沙江流域 ー圧巻、太古の芸術殿堂 報告・撮影/和力民第3部 雲南研究のいとぐち
(1)雲南あれこれ
(2)中国岩絵研究の現状編著者あとがき
監修者、編著者、報告者紹介
雲南岩絵関連年表
雲南省関連地図
◆「岩絵の由来」に関する雲南のワ族に伝わる伝説
<李学宏「有関滄源岩画的伝説」(『実用美術』31号)>”太古に、上帝が天地開闢後、岩洞で人間を見つけた。当時の人間は体格が大きく、食べる量も驚くほどだ。一食で一籠の食糧を平らげる。一口で、ご飯を入れる竹で作った筒までも飲み込んでしまう。最後には、木の葉や草も全部食べてしまった。上帝は、「やがて洪水が起きる。各自で早く木船を造りなさい。そうしたら災難から免れる」と命じる。しかし、人間は洪水を恐れない。
「もし平地が水で溢れたら、山に登ればいい。洪水が大きな山をも襲ってきたら、山の木の上に登ればいい。しかし、たとえ、われわれが洪水を避けられたとしても、やがて餓死してしまうだろう。そうであるなら、次の世代にどのように生活していくかの教訓を残さなければならない」
人間はこのように言うと牛を殺し、牛の血と赤色の鉱石粉を混ぜて、岩の上に絵を残したという。”
●巣居と干欄式建物
「巣居」は文字通り、鳥の巣に類似するもので、旧石器時代の産物の南方系建物様式。蒼源岩絵にも見られるが、木の幹や枝の上に家を建て、屋根は8本の柱で支える様式。上ったり降りたりするには、「縄索」(なわ)と「木梯」(木で作った梯子)を使う。「巣居」をもとに発展したのが「干欄式建物」で、木の杭を打つ。これも滄源岩絵(曼坎Ⅲ号)や蒼山岩絵に見られる。更に、屋根の両端の突き出したところに鳥が建っている絵もある。