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- メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第7回「発掘された不滅の記録「 1954-1975 VIET NAM //ベトナム//そこは、戦場だった」図録(発行:朝日新聞社)
メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第7回「発掘された不滅の記録「 1954-1975 VIET NAM //ベトナム//そこは、戦場だった」図録(発行:朝日新聞社)
メコン圏関連の図録・報告書・資料文献 第7回「発掘された不滅の記録「 1954-1975 VIET NAM //ベトナム//そこは、戦場だった」図録(発行:朝日新聞社)
「発掘された不滅の記録「 1954-1975 VIET NAM //ベトナム//そこは、戦場だった」図録(発行:朝日新聞社、2006年)
編集:梅津禎三、馬田広亘(朝日新聞社事業本部文化事業部)、北上昌子
解説・監修:中野亜里(早稲田大学非常勤講師、慶応義塾大学外国語学校講師)
本書は、2006年1月14日(土)~2月19日(日)に東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)にて開催された展覧会「発掘された不滅の記録 1954-1975 VIET NAM そこは、戦場だった」の図録。展覧会のタイトルの通り、主に、1954年から1975年の間のベトナム戦争期間中のベトナムを記録した、様々な写真、全146展の写真展覧会。戦争報道と写真の関わりの大きさを改めて実感する写真展図録。今まで発表され、よく目にしてきたベトナム戦争時の報道写真は、南ベトナム側から取材されたものが多く、この展覧会では、”もうひとつのベトナム”として北ベトナム側から撮られた写真も掘り起こし、多数収録されているのが、まず大きな特色。
発掘された不滅の記録 1954-1975 VIET NAM そこは、戦場だった
2006年1月14日(土)~2月19日(日)東京都写真美術館 地下1階展示室
主催:朝日新聞社、共催:東京都写真美術館
後援:駐日ベトナム社会主義共和国大使館、社団法人日本写真協会、社団法人日本写真家協会、協賛:富士写真フィルム株式会社、富士フィルムイメージング株式会社
協力:ベトナム通信社(VNA)
写真総点数146枚の構成としては、まず、「ベトナム建国とホー・チ・ミン主席」と題した導入部で、フランス軍と抗戦中の全線基地でのホー・チ・ミン主席の写真(年代不明、撮影者不明、北ベトナム)3枚含むホー・チ・ミン主席(1890-1969)の写真5枚が掲載(写真No.1~No.5)。主要部分は、年代別に5章に分かれ、第Ⅰ章は、1954年のディエンビエンフーの戦いで、「1954~ フランス植民地からの解放、ディエンビエンフー陥落」(写真No.6~No.13)。
第Ⅰ章の写真7枚は、全て、VNA(ベトナム通信社)提供の撮影者不明の1954年、ライチヤウ省ディエンビエンフーの戦闘関連の写真。ディエンビエンフーの激しい戦闘の様子や、フランス軍のド・カストリ司令官の降伏などの写真も1954年の激戦地での写真で貴重な写真だが、写真No.8のディエンビエンフーの戦いでの「激しい攻撃の合間に、つかの間の休憩をとるベトミン軍兵士」は、塹壕の中で、談笑したり手紙か何かを穏やかな表情で読んでいる、あどけないベトミン軍兵士たちの姿を撮影し、とても印象深い写真。
第Ⅱ部は、「1955 ~ 南北分断後の北ベトナムの市民生活、広がるホーチミン・ルート、トンキン湾事件を引き金に米軍の北爆で緊迫する北ベトナム」と題し、写真No.14~No.58と、計45枚の写真が掲載。中でも、戦いに関わっていく北ベトナムの女性たちの写真群は、強烈な印象。この図録の表紙を飾る写真も、そのうちの1枚で、写真No.20 「米軍の増強で緊迫化した北ベトナムでは、女性の民兵隊が生まれた。パトロールする女性リーダー」というキャプションが付く、1966年、タンホア省イェンヴック村で撮影された写真。他にも、「港町ハイフォンの海上を警護をする女性自警団」(No.19)「海岸線を守る女性民兵」(No.23)「射撃訓練をsるハノイ機械整備工場の女性自警団員」(No.24)等、北ベトナムの女性兵士や自警団の写真が続く。「ホーチミン・ルート」や「北爆下の北ベトナム」の写真も強烈だが、中でも、No.35のマングローブの茂る沼地に設けられた解放戦線の野戦病院の手術室の写真は、想像を絶する過酷な場所で驚きが止まらない。
第Ⅲ部「1965~ 南ベトナム最前線、アメリカを譲歩させたテト攻勢、戦場の村」(写真No.59~no.91)となると、秋元啓一(朝日新聞社)、沢田教一(UPI・サン)、石川文洋、梅津禎三(朝日新聞社)、酒井淑夫(UPI・サン)、桑原史成と、日本人戦場カメラマンたちによる、世界にベトナムの現実を知らしめた衝撃的な有名な写真が数多く登場してくる。
第Ⅳ部「1967~ サイゴンから米軍の第1次撤退始まる、孤立するサイゴン政権、パリ和平協定調印、平和のひと時、米軍の撤退完了」(写真No.92~No.108)では、同じく日本人戦場カメラマンたちによる、平和のひと時の写真が掲載されているが、第Ⅴ部「1970~ 北ベトナムの南ベトナム完全解放計画、非武装地帯の南側クアンチの争奪攻防戦、北ベトナム軍、解放戦線の総攻撃始まる、敗走する南ベトナム軍、首都サイゴン陥落への道 1975年4月30日」(写真No.109~142)でベトナム戦争終結への戦闘と混乱の写真が数多く飾られている。
本図録の最終章「いま、ベトナムは VIETNAM -NOW」では、本図録の解説・監修をされたベトナム政治学者の中野亜里(なかの・あり)氏が、”日本人がベトナム戦争を振り返る時、ともすれば悲惨な破壊と殺戮、英雄的な人民の抵抗といった定式に当てはめがちである。しかし、戦争期や戦後期の諸事実はまだ本格的に掘り起こされておらず、隠蔽されている部分も多い。現在、ベトナム人自身の手で、戦争時代の人々の真の姿を語ろうとする動きも生まれつつある。ベトナム旅行がごく身近になった現在、日本人は視野を固定せずに同じ人間としてのベトナム人を見つめ、その悩みや願いに耳を傾けるべきだろう”と、結んでいる。尚、ベトナムに関する著作も多く、その後、大東文化大学教授を務められていた中野亜里さんは、2021年1月9日、逝去。(1960~2021/1/9)
目次
ごあいさつ
戦争と写真 そして平和(田沼武能)
統一前のベトナム全土地図
ベトナム建国とホー・チ・ミン主席(中野亜里)
第Ⅰ部: 1954~
フランス植民地からの解放、ディエンビエンフー陥落(中野亜里)
第Ⅱ部: 1955~
南北分断後の北ベトナムの市民生活、広がるホーチミン・ルート、トンキン湾事件を引き金に米軍の北爆で緊迫する北ベトナム(中野亜里)
第Ⅲ部: 1965年~
南ベトナム最前線、アメリカを譲歩させたテト攻勢、戦場の村(石川文洋)
第Ⅳ部: 1967~
サイゴンから米軍の第1次撤退始まる、孤立するサイゴン政権、パリ和平協定調印、平和のひと時、米軍の撤退完了(中野亜里)
第Ⅴ部: 1970~
北ベトナムの南ベトナム完全解放計画、非武装地帯の南側クアンチの争奪攻防戦、北ベトナム軍、解放戦線の総攻撃始まる、敗走する南ベトナム軍、首都サイゴン陥落への道 1975年4月30日(中野亜里)いま、ベトナムは VIETNAM – NOW (中野亜里)
年表
写真による戦争の記録(石川文洋)
英文キャプション
・ごあいさつ(本図録掲載文章全文引用)
「戦争の世紀」と言われる20世紀は、二つの世界大戦以外にも、規模は違っていても新たな戦争の傷跡を世界中に残しました。
第2次世界大戦以後、アメリカが介入した朝鮮戦争、湾岸戦争、イラク戦争などの中でも、ベトナム戦争は軍事規模や犠牲になった人々の数で、それを上回るものであったと言っても過言ではありません。民間人200万余人、南ベトナム解放民族戦線、北ベトナム軍兵士は行方不明者30万余人を含む110万余人、南ベトナム軍兵士22万3748人、アメリカ軍兵士5万8200人(行方不明者2211人を含む)、韓国軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、タイ軍の計5200人(英字新聞・ベトナム・ニューズ発表)と言われています。
1954年のディエンビエンフーの戦いで勝利し、長いフランス植民地から解放された後も、東西冷戦の狭間で南北に分断され、ベトナム全土が泥沼化した戦場となりました。
長い苦難の道は、1975年4月30日、衝撃的な南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)の陥落で戦争に終止符が打たれ統一国家が誕生した後も、新たな政治体制の下でベトナムの苦悩は続きました。
ベトナムは戦争報道という面から、歴史上例を見ないほどの量と質の報道がされました。世界中から多くの報道関係者がベトナムに集まり、命を賭して最前線へ赴き、ペンを走らせシャッターを押しました。その写真は30年経ったいまでも色あせることはありません。
しかし、今まで発表された写真は、南ベトナム側から取材されたものが多く、本展では”もうひとつのベトナム”として北ベトナム側から撮られた写真も掘り起こし、両面から戦争を振り返ることにしました。
ベトナム通信社の調べでは、この戦争で亡くなった北ベトナム報道関係者は256人(その多くはカメラマン)と言われています。どの写真も彼らが命をかけて撮影されたものばかりで、見る人に大きな感動を与えると思います。
本展の開催にあたり、ご後援いただいた駐日ベトナム社会主義共和国大使館、社団法人日本写真協会、社団法人日本写真家協会、写真収集などにご協力して下さったベトナム通信社、そして貴重な写真を提供された在ベトナムの写真家の皆さま、ご協賛いただいた富士写真フィルム株式会社、富士フィルムイメージング株式会社など、ご支援いただいた多くの方々に心からお礼を申し上げます。
2006年 主催者
展覧会