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メコン圏を舞台とする小説 第50回「バンコク喪服支店」(深田祐介 著)
- 2024/6/20
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- シーロムロード, タイにおける日系繊維産業, 深田祐介
メコン圏を舞台とする小説 第50回「バンコク喪服支店」(深田祐介 著)
「バンコク喪服支店」(深田祐介 著、文藝春秋、1987年7月発行)
・「バンコク喪服支店」(初出:「小説新潮」1981年10月号)
・「火牛の海」(初出:「オール読物」1983年3月号)
・「ミンダナオ最前線」(初出:「オール読物」1982年11月号)
「バンコク喪服支店」(深田祐介 著、文春文庫<文藝春秋>、1989年1月発行)<文庫版>
<著者紹介> 深田祐介(ふかだ・ゆうすけ)<文庫本著者紹介より。文庫本発刊当時>
昭和6年(1931)年東京に生れる。暁星高校を経て昭和30年(1955)早稲田大学を卒業。昭和33年(1958)に「あざやかなひとびと」で第7回文學界新人賞、昭和51年(1976)に「新西洋事情」で第7回大宅壮一ノンフィクション賞、昭和57年(1982)に「炎熱商人」で第87回直木賞をそれぞれ受賞。現在、小説、評論、エッセイと幅広い作家活動を続けている。著書に「新西洋事情」「日本悪妻に乾杯」「西洋交際始末」「革命商人」「炎熱商人」「われら海を渡る」「美貌なれ昭和」など多数。昭和62年(1987)「新東洋事情」で文藝春秋読者賞を受賞した。(*1931年~2014年。2014年、肺炎で逝去)
本書『バンコク喪服支店』の著者・深田祐介氏(1931年~2014年)は、日本航空に勤務し、ロンドン支店駐在時代の体験を基に書いた「新西洋事情」で1976年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その後、フィリピンを舞台に、高度成長期を生きる日本人商社マンと戦時中の日本人の姿を描いた「炎熱商人」で1982年、第87回直木賞を受賞。翌年退社して執筆活動に専念、経済小説を中心に数多くの著作を残し、堀ちえみさん主演でテレビドラマ化された「スチュワーデス物語」も話題を呼び評論家としても活動。直木賞受賞作「炎熱商人」などのアジア・海外を舞台とした経済小説で良く知られる作家で、表題作「バンコク喪服支店」も、タイ・バンコクを舞台に海外進出した日系企業が現地で直面した数々のトラブルを軽妙に描いた経済小説。尚、単行本「バンコク喪服支店」は、表題作の他、「火牛の海」「ミンダナオ最前線」と、計3作の短編小説を収録し、1987年7月に文藝春秋から刊行されているが、表題作「バンコク喪服支店」は「小説新潮」1981年10月号が初出の作品。
本作品「バンコク喪服支店」は、タイ・バンコクのシーロム・ロードに事務所があり、メナム川(チャオプラヤー)の対岸の郊外に工場を持つ、東京に本社がある日本の繊維会社のタイ現地合弁会社・タイ三愛レイヨンで起こる物語。日本の本社からタイの現地合弁会社のタイ三愛レイヨン社長として派遣されている水野正太郎は、東京下町生まれで深川の大工の棟梁の息子で、町内会の世話役の小父さんのようなタイプの人物で、若い頃、サンフランシスコ駐在中に奥さんを交通事故で亡くし、ひとり残った大学生の息子は東京に下宿生活させて単身でバンコクに赴任中。この世話好きで人懐っこく鷹揚で呑気な水野社長の人柄を反映して、日系のタイ現地合弁会社の社内の雰囲気は、万事がタイ風に和気あいあいで上手くいっていたところへ、空席だったタイ現地合弁会社の取締役総務部長に、東京本社から、野心満々の新しい役員・加奈山回天が着任する。
この新しい役員・加奈山は、水野社長より15歳若く、社内での仇名は近衛兵と言われ、経理部や勤労部で、これまで、ことあるごとに正義の味方、月光仮面みたいな顔をして、毛沢東語録を振り回すようなタイプで、社内で過激に先鋭的に諸問題を突き上げてきた人物。タイ・バンコクに着任早々、タイの流儀を無視し、これまでのタイ現地会社の色々な慣行を問題視していくが、次第に、日系のタイ現地合弁会社の現地タイ社員たちは硬化し社内の雰囲気も激変し、揉め事が起こっていくが、そして遂に、現地タイ社員たちが、日本の本社に対し、ボイコット行動を採ることに。タイ・バンコクに東京本社から赴任してきた加奈山だけでなく、帯同してきた加奈山夫人の差別的な言動も、また酷い。
タイ・バンコクを舞台とした日系現地合弁会社での物語で、経済小説ではあるが、事業・ビジネスの展開そのものに関わる経済小説というよりは、海外進出する日系企業が現地で事業ビジネスを上手く進めるうえで、現地の文化・習慣・特性への理解が大事で、会社組織の運営や働き方、日本の本社と現地会社との関係、本社からの社員と現地社員との関係など在り方など、海外ビジネス現場のリアルな問題に焦点が当てられている。タイ人社員の職場での雑談好きや間食好きとか、職場でのタイ人の時間や休憩時間・離席の感覚、タイ人の生来の舞踊好き、トイレでの水を使う手での始末の件、基本的に走るのを嫌うタイ人、男女を問わずペンダント状の仏像や坊さんの顔をかたどったお守りを胸に吊るすタイ人のお守りのお札のタブー、「馬鹿」という日本語、日本の会社の社歌や朝礼などの話から、タイ人は面子を潰されるのを一番嫌うという話まで、文化や感覚の違いなども具体的な話が紹介されている。
本書は、タイ三愛レイヨンの水野社長秘書で現地採用の28歳の日本人女性・池野文恵が、一人称で語り部として、最初から最後まで登場するが、語り口も軽妙である上に、日本人でありながらタイに住んでいて、中途で現地社員として日系現地会社に雇用されているということもあってか、語り部としては、会社や社員たちに対しての距離感も絶妙かとも思える。しかもこの日本人女性が非常にユニークな経歴。福岡県の遠賀川中流の飯塚市で生まれ育ち、高校を出て、兄を頼って上京。2年ばかり千駄ヶ谷のビジネス・スクールや神田の英会話学院で、英語や秘書の勉強をし、中近東系の会社の秘書として働いていたが、会社のパーティで、日本の水道設備関係の会社に1年間実習に来ていた、タイ人の会社員と知り合って結婚。バンコクのメナム川の岸近くで水上の筏の家で一緒に生活するも、タイ人の夫から離婚を言い渡され、もともと船用のガソリンスタンドの営業許可証もあるバンコクの水上の筏の家の権利証を貰って、そのままバンコクに残り離婚。
そして、もともと東京で手慣れた秘書稼業の口を探そうとしていたところに、タイ三愛レイヨンが社長秘書を募集していると聞き、面接を受け現地社員として採用されたという、バンコクの水上生活が気に入っている、なかなか気の強い若い日本人女性だ。ストーリーの終盤では、この池野文恵が、”日本の会社って、やっぱりおかしいですよねえ。なんでも騒ぎを起すのはいかん、騒ぎを起せば、関係者は全員責任をとれ、とこんな感じなんですよね。”とも、呟く場面もあるが、タイ現地社員たちのボイコット行動の後に待っている、主だった登場人物たちのその後について、池野文恵の爆弾発言を始め、意外な展開結末も用意されている。
尚、「バンコク喪服支店」を原作としたテレビドラマが、「バンコク反乱支社」というタイトルで、1988年10月から1989年3月まで、テレビ朝日系列で毎週日曜夜8時連続ドラマで放送された「シリーズ男の決断」の中の1作として、1989年1月15日から2月5日にわたり、連続4回のドラマ(20:00~20:54放送時間)で放送されている。この「バンコク喪服支店」を原作としたテレビドラマ「バンコク反乱支社」では、原作ではタイ三愛レイヨン社長秘書・池野文恵に相当する役は、バンコクに住む涼子役として、テレビドラマ放送当時34歳の伊藤蘭(1955年~)が演じ、原作でのタイ三愛レイヨン社長・水野正太郎に相当する役は、東京に恩赦を持つ大手アパレルメーカーのバンコク社社長・水野の役として、いかりや長介(1931年~2004年)が、また、バンコクに赴任してきて問題を起こす社員・北条の役に、古尾谷雅人(1957年~2003年)が配されている。
表題作「バンコク喪服支店」以外の他収録作2作品も非常に面白い。『火牛の海』(初出は「オール讀物」1983年3月号)は、ダイエーの中内㓛(1922年~2005年)の価格破壊のエピソードの中でも有名な牛肉事業関連の話。日本の高値の牛肉市場に対し、返還前の米国統治下にあった自由港で無関税で開国製品を輸入できた沖縄を活用し、豪州から仔牛を大量に生体のまま買い付け沖縄に運び、無税で入れた牛を沖縄で半年飼育してから、純国産品扱いとして原産地証明付きの沖縄産品を無税で本土に輸送し格安の牛肉を日本の消費者に届けるというスケールの大きなアイデアに始まり、その後の海外からの生きた牛の空輸など、新しいビジネスに挑戦する人たちの話で、作品の登場人物などは全て創作名になってはいるが、ナカヤ・サカエドーの創始者・中屋伊作は、ダイエーの創始者・中内㓛をモデルとし、牛肉事業での中内㓛の戦友たる、神戸の畜産業者、上野力太郎は、通称ウエテルこと上田照雄、沖縄の家業の畜産会社を継いだ佐和田真平は、那覇ミートの第2代社長・多和田真利と、それぞれ実在人物をモデルとしていることは間違いない。
残りの作品『ミンダナオ最前線』(初出は「オール讀物」1982年11月号)は、タイトルからも、フィリピン諸島南端のミンダナオ島が舞台とは分かるが、本作品も、「バンコク喪服支店」と同様、登場人物の一人が1人称で語り部となる形式で、その経歴も多少似ている日本人女性・佐野麻耶子。「ミンダナオ最前線」での語り部であり、主役的な登場人物の日本人女性・佐野麻耶子は、「マヤコ・サンドラ」という芸名で活動しているタガログ語のできる日本人歌手。高校生の頃から、六本木あたりでジャズやポピュラーを歌い、横浜のクラブでフィリピンのバンドマンと知り合い、マニラに世帯を持ったものの離婚となり、フィリピンで自活をしている女性。そのマヤコ・サンドラが、フィリピン政府からの要請で、ミンダナオ島で反政府ゲリラ部隊と激戦を交えている前線の陸軍将兵たちへの音楽ステージを通じた慰問でミンダナオ島に向かう話。作品タイトル通り、戦闘の最前線でストーリーが展開されている。
目次
バンコク喪服支店
火牛の海
ミンダナオ最前線
「バンコク喪服支店」ストーリーの主な展開場所
・タイ・バンコク
「バンコク喪服支店」ストーリーの主な展開時代
・年代の明記なし(本書初出の1981年以前のはず)
「バンコク喪服支店」ストーリーの主な登場人物
・池野文恵(タイ三愛レイヨン社長秘書)
・水野正太郎(東京下町生まれで深川の大工の棟梁の息子というタイ三愛レイヨン社長)
・加奈山回天(タイ三愛レイヨンの新任の取締役総務部長)
・カニカ(会社の若い同僚で経理)
・プラシート(タイ三愛レイヨンの総務係)
・伊藤(タイ三愛レイヨンの総務の実習生の北海道出身の独身社員)
・スラチャート・ナナコーン(池野文恵の前夫)
・木戸工場長(バンコク郊外にあるタイ三愛レイヨンの工場長で長身の技術屋)
・ソムキッド(タイ三愛レイヨン工場の係長クラスの中国系の血が混じった若手タイ人)
・加奈山回天の妻(30代半ばの太目の日本人女性)
・ウドム(タイ三愛レイヨンの工場で働く用務員)
・デン(池野文恵の家のメイド)
・バンコクのアメリカ系のホテルにある美容院で働く日本人の美容師
・レック(ソムキッドの弟)
・木戸工場長夫人
・三愛レイヨン東京本社の副社長
・三愛レイヨン東京本社の海外事業担当の専務
・三愛レイヨン東京本社の秘書室次長