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メコン圏を舞台とする小説 第48回「死ぬときは独り」(生島治郎 著)
メコン圏を舞台とする小説 第48回「死ぬときは独り」(生島治郎 著)
「死ぬときは独り」(生島治郎 著、講談社文庫<講談社>、1992年12月発行)
(*「週刊文春」連載後、初出単行本は、1969年、文芸春秋社刊)
<著者紹介> 生島治郎(いくしま・じろう)(1933~2003)<*文庫本に著者紹介掲載無し>
昭和8年(1933)上海に生れ、幼年期を虹口界隈で過ごす。終戦間近の昭和20年(1945)長崎に引き揚げ、長崎から金沢、横浜へと居を移す。神奈川県立横浜翠嵐高校を経て昭和26年(1951)早稲田大学英文科に進学。大学卒業後、いったんデザイン事務所に就職したのち、昭和31年(1956)早川書房に入社。「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」編集長をつとめた。昭和39年(1964)『傷痕の街』(講談社)を書き下ろし、作家としてデビュー。翌年(1965)『黄土の奔流』(光文社)が直木賞候補作となり、昭和42年(1967)神戸を舞台に暴力団組織に立ち向かう主人公を描いた小説『追いつめる』(光文社)で第57回直木賞受賞。ハードボイルド小説の草分け的存在として活躍。以降、ハードボイルド小説、推理小説を本領とした個性派作家として多数の作品を発表する。主な著作に『片翼だけの天使』(集英社)、『暗雲』(小学館)、『上海カサブランカ』(双葉社)などがある。平成元年(1989)から平成5年(1993)まで日本推理作家協会理事長をつとめた。2003年3月2日、肺炎のため逝去。70歳没
本書の著者・生島治郎(1933年~2003年)は、早川書房に入社し「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」編集長を務め、昭和39年(1964)『傷痕の街』(講談社)を書き下ろし、作家としてデビュー。翌年(1965)『黄土の奔流』(光文社)が直木賞候補作となり、昭和42年(1967)神戸を舞台に暴力団組織に立ち向かう主人公を描いた小説『追いつめる』(光文社)で第57回直木賞受賞。ハードボイルド小説の草分け的存在として活躍。以降、ハードボイルド小説、推理小説を本領とした個性派作家として多数の作品を発表してきたが、本書は、直木賞受賞直後の初期の作品で、1969年単行本刊行の作品。
1941年の太平洋戦争勃発前夜、日独英のスパイが暗躍し、インドとマレーの独立運動が芽生え始めた激動の東南アジアを舞台に、人種を越えて生命を賭けて闘った男たちの、波乱万丈の生涯を描く雄渾の長編冒険小説で、ストーリーの主たる展開場所は、タイで、後半からマレーシアにも舞台を移す。文庫本解説で紹介されているが、著者は初刊本の「後書」で、”この作品を書くにあたって、私はマレー戦線、あるいはマレーの虎と呼ばれた人物の忠実な再現化を意図したのではない。・・私の興味があったのは、自らを賭けるものを持つ男たちであり、その男たちが活躍できた舞台である。日本という島国では果されぬ大きなロマンに賭けようとした男たちの物語を、私は第二次大戦のマレー戦線を背景として描きたかったのだ。”と記している。
本書のストーリー展開は、1941年の太平洋戦争勃発前夜、大尉相当官の軍嘱託の民間人諜報部員・浜本が、上海から帰国するも、陸軍参謀本部8課課長、須藤大佐に呼び出され、明晩、神戸へ行き「なぎさ丸」に乗船しバンコクに向かうよう依頼され、ほんの数日で日本を後にしバンコクに向かうところからスタートする。現地から腕利きの諜報員を至急1名寄こしてもらいたいという要請があったためで、バンコクに着いたら、現地の日本大使館付陸軍武官の一色大佐がその後の指示を浜本に与えるだろうとのことだった。更に、浜本は、陸軍参謀本部8課の福原大尉から、香港の監獄を脱走し広東の日本軍司令部に辿り着き神戸に送り届けられた3人の反英独立の闘士インド人を、ひそかにその船に乗り込ませ密航者をバンコクに密かに連れていくことも頼まれる。インド本国、ベルリン及びマレーの同志たちと連絡をとり、インド独立を遂行すべく是が非でもバンコクへ潜入したいという。
バンコク行きの船の中でも、英国スパイからの襲撃をあやうくかわした浜本はバンコクに到着。密航のインド人達を無事バンコクに密かに入国させるとともに、バンコクの日本大使館付き陸軍武官の一色大佐からは、居場所の分からないマレーの虎(ハリマオ)と称される土匪の親分で日本人の男を探し出す任務を与えられる。この男はマレー半島東海岸のコタバルで理髪店をやっていたのだが、華僑の抗日分子に妹を殺され、その復讐のために華僑をおそい金品を掠奪しているうちに、マレー人の子分が増え、その数が数千人にもふくれあがっているということ。この男を日本軍の味方に出来れば、マレーの英軍を後方から攪乱することもできるという工作狙いからだった。マレーの虎と呼ばれる男は、英国の官憲に追われてジャングルの中に潜んでいるという話もあるし、捕らわれて刑務所に入れられているという噂もあり、既に銃殺されたともいわれていた。
”私の夢はチベットへ行くことですよ。満州にいた時から、それが夢だった。私はチベットの素朴な人たちと生活を共にし、一生そこで暮らしたいと考えているんです。日本みたいなせま苦しいところは、私の性に合わないらしい。たとえ、戦争だって、わたしにとってはその夢を実現する素材にすぎない” と語り、自分の夢を持ち、その夢のためには危険をかえりみない向う見ずでひたむきなタイプの男の一匹狼のスパイ・浜本の波乱万丈の活躍が全編にわたって繰り広げらる冒険小説で、物語の前半は、浜本がマレーの虎と呼ばれる男を探し出すために様々な危険を冒し、物語の後半は、浜本とマレーの虎と呼ばれた男が共に活躍する。
この浜本とマレーの虎と呼ばれた快男子とともに、本書に登場する福原大尉(後にバンコクに赴任し少佐)もインド独立に賭ける熱血漢で、この3人は、特に著者が描きたかった”自らを賭けるものを持つ男たち”と言えるのだろう。物語には、ドイツ人と称しながら実は英国の若き女スパイや、華僑の血が混じった巨漢のタイ人でバンコク中華街の暗黒街のボスなども多彩な人物も登場し、冒険小説をより面白くしている。
本書はもちろん、フィクションであるし、著者自身が、”この作品を書くにあたって、私はマレー戦線、あるいはマレーの虎と呼ばれた人物の忠実な再現化を意図したのではない”と述べてはいるが、1941年の太平洋戦争勃発前夜の東南アジアでの日本軍やイギリスをはじめとした国際情勢など、非常に参考になる。また本書の登場人物についても、マレーの虎と呼ばれる羽仁という男は、実在のマレーの虎と呼ばれた谷豊(1911年~1942年3月19日)がモデルであるし、主人公の浜本は、マレーの虎と呼ばれた谷豊を見つけ日本軍への協力を説得した民間人スパイ・神本利男(かもと・としお、1905年~1944年9月30日)がモデルであり、福原大尉・少佐は、F機関創設の藤原岩市(1908年~1986年)がモデル。更に言えば、バンコク大使館付陸軍武官の一色大佐は、田村浩大佐(1894年~1962年)がモデル。
F機関の功績としては、マレーの虎を日本軍の諜報員として引き入れた事とともに、対英戦争の勃発を想定して、マレー半島における英印軍兵士工作で、インド国民軍(INA)創設が挙げられるが、本書では、バンコクで極秘にインド独立運動を展開し藤原岩市が接触したインド独立連盟のプリタム・シンや、マレー半島西岸の街アロルスターで日本軍に投降し、その後、日本軍より投降したインド兵の統率を任された英印軍のシーク族将校モハンシン大尉(1909年~1989年)は、なぜか実在人物の名前で登場している。
1941年12月8日の太平洋戦争で日本軍が実施した南方作戦内の英領マレー方面の作戦(1941年12月8日~1942年2月15日 シンガポール陥落)のマレー半島上陸と進軍の様子も詳しいが、日本軍のタイ進駐と、1941年12月8日、日本はタイのピブーンソンクラーム首相(1897年~1964年、第1次ピブーン内閣1938年12月20日~1942年3月6日)と連絡が取れずタイ首相から進駐許可に関する応答がないために対タイ侵入を進める経緯なども取り上げている。
更に、1941年12月、敗走する英軍に連れ去られたマレー最有力のケダ州のアロルスターの王宮に住むスルタン、トンク・アブドラの一族を、F機関(藤原機関)の中宮梧郎中尉が発見し、アブドラ王の次男,ラーマン王子(後のマレーシア初代首相ラーマン) を通じて王を説得し、王は取り残されていた山から下山し放送を通じてマレー全州へ反英総決起を呼びかけることになるが、この歴史的事件については、トンク・アブドラは実名で本小説に実名で登場。ただ、中宮中尉は、本書では若宮中尉として登場。
尚、本書の冒頭のプロローグのような個所では、ソ満国境を越えた亡命ロシア人イワノフと浜本との東京と思われる場所での会話の場面から始めるが、これは、浜本のモデルとなっている実在の神本利男(1905年~1944年9月30日)が、満州国の警察官の時に、単独でソ満国境を越境し亡命を試みたソ連極東内務人民委員会長官ゲンリア・リュミコフ(1900年~1945年)を捕縛し、以降、山王ホテルで周辺警護を担当し、その活躍が日本陸軍参謀本部の目に留まり、民間人として諜報部員としての道を歩むことになる経歴を思わせる。最も、この本書冒頭の浜本と亡命ロシア人との会話の中で、日ソ中立条約が締結されたという会話があり、この場面は、1941年4月13日以降の設定と分かる。
目次
小柄な男/ 出発命令/ 密航者たち/ 重い荷/ 出航前夜/ 女とブランディと/ 閉じこめらえたスパイ/ バンコク上陸/ 謎の巨漢/ 脱出/ 同士討ち/ 地下への招待/ 虎の足跡/ 再会/ スパイの恋/ 虎の檻/ 虎との対面/ 国境を越えて/ 襲撃/ 印度独立連盟/ 眠れぬ一夜/ 敵中の会見/ 危険な仕事/ 鉄条網の中で/ 復讐の炎/ 開戦/ 猿の群/ 民衆の歓呼/ 印度義勇軍/ イポーの抜け穴/ マラリヤに冒されて/ 虎の死
関連テーマ・ワード情報
・藤原岩市(1908年~1986年)とF機関
・神本利男(1905年~1944年9月30日)とマレーの虎・谷豊(1911年~1942年3月17日)
・日本軍のタイ進駐とマレー作戦
・インド国民軍とインド独立運動
ストーリーの主な展開時代
・1941年~1942年
ストーリーの主な展開場所
・タイ(バンコク、ハジャイ、シンゴラ(ソンクラ)、クラ地峡)
・マレーシア(ジトラ・ペラー河・コタバル、アロルスター、グルン、クリム、イポー)
・日本(東京・神戸)
ストーリーの主な登場人物
・浜本(大尉相当官の軍嘱託の民間人諜報部員)
・羽仁(マレーの虎)
・福原大尉(陸軍参謀本部八課から少佐昇進)
・須藤大佐(陸軍参謀本部八課課長)
・一色大佐(バンコク大使館付陸軍武官)
・吉永少尉(一色大佐の副官)
・今井中佐(バンコク大使館付海軍武官)
・岩田(バンコク日本大使館海軍武官室付き特務機関員)
・バンコク日本大使館陸軍武官室付き特務機関員たち(一色機関)
・若宮中尉(福原機関員の一人)
・河辺少尉(福原機関員の一人)
・ルイゼ・ケスラー(神戸にあるドイツ人の貿易商の秘書をしていたドイツ人の若い女性)
・クワン(中華街を根城にしたギャングの大ボス)
・15,6歳の中国人の少年(クワンの手下)
・ダラムシン(反英独立のインドの闘士で香港の監獄脱走者)
・プリタムシン(インド独立連盟<IIL>の書記長)
・アロルスター付近のゴム園の主人のインド人
・クリューゲル大佐(ジトラの戦闘で主力部隊と離れた英印軍一個大隊の英国人隊長)
・モハンシン大尉(クリューゲル大佐率いる英印軍のシーク族将校)
・黒木(「なぎさ丸」のパーサー(事務長)
・ロウ(ハジャイ刑務所近くのクワンの友人)
・ムサップ(ハジャイ刑務所の看守長)
・タイランド・ホテルの給仕頭
・ハウザー長官(英国人)
・フレムリン警部(英国人)
・在バンコク英国大使館内のタイ人看守
・ビン(マレーの虎のマレー人の子分)
・バヤン(マレーの虎の4人の妻のうちの一人のマレー人女性)
・イワノフ(ソ萬国境を越えた亡命ロシア人)
・神楽坂の待合「岩城」のお内儀
・葉山よね(神楽坂の待合「岩城」の仲居)
・倉井(「なぎさ丸」の甲板員)
・間宮(タイ南部シンゴラの日本の貿易商社・間宮商事経営者)
・バンコクのタイ人貴金属商人たち
・スミザース中佐(マレーシアのペラー河の英国人守備隊隊長)
・在バンコクのドイツ大使館手下のドイツ人男性たち
・マレーシアのジトラの英軍守備隊
・トンク・アブドラ(アロルスターのサルタン)
・トンク・アブドラの長男の王子
・室崎老人(マレー在住20数年)