メコン圏を舞台とする小説 第21回「悪魔の果実殺人事件」(井原まなみ 著)

メコン圏を舞台とする小説 第21回「悪魔の果実殺人事件」(井原まなみ 著)


「悪魔の果実殺人事件」(井原まなみ 著、光文社文庫、1993年10月)(この作品は光文社文庫のために書き下ろされたもの)

本書の著者・井原まなみ氏は、石井龍生氏との夫婦合作作品『アルハンブラの想い出』で第15回「オール讀物」推理小説新人賞(1976年)を受賞をしている女性推理作家で、石井龍生氏との合作は、『見返り美人を消せ』(第5回横溝正史賞受賞作品)や『警察署長』シリーズなどがあるが、本書は井原まゆみ氏の単独作品で、日本とタイを舞台とした長編推理小説。井原まゆみ氏の他の作品同様、本書も日本は神奈川県が舞台となっている。

ストーリーの発端は、横浜・本牧の豪華マンションの屋上部分に造られた高級会員制クラブのプールで開かれた開業1周年の祝賀パーティ中に起こった殺人事件。祝賀パーティのメイン・イベントであったシンクロナイズド・スイミングのショーで、演出としてクス玉が割れた時に何かが起き、スペシャルゲストとして、元オリンピックの花形選手であった有名人の藤本ゆかりが演技の最中にプールで殺された。バイトでパーティの写真撮影をしていて事件の瞬間をカメラに収めていたフリーターの有坂真紀は、クラブのオーナーの娘・理沙と犯人捜しを始める。

資産家のクラブオーナー・芦川社長と骨肉の争いを続けていた社長のイトコなどの存在に加え、女子水泳界の権力争いが明らかになっていく。事件直後、プールサイドのバーで働いていたスリラと呼ばれるタイ人女性が姿を消すとか、クス玉を作った会社が横浜・中華街のはずれにあるエスニックショップ「メナム」であったこと、真紀の友人の兄・矢崎豪が事件の謎を追うために新宿のタイ人カラオケやタイ料理店を調べまわるなど、本書前半部でもタイとの関わりが少なくないが、殺されたスリラの弟を探すために真紀と理沙はタイに飛ぶことになる。こうしてストーリーの舞台は、後半になってタイへと移っていく。

ゴールデンウィーク明けに、真紀と理沙はチェンマイとバンコクを訪ねる。色々な観光スポットやホテルなどが登場し、いろな観光ツアーコースにも参加したりしていて、事件を追いつつも、2人は十分にタイ観光を楽しんでおり、読者まで観光旅行記を読んでいるような気にさえなってくる。しかしそんな優雅でのんびりとした雰囲気も、有坂真紀の身に迫ったチャオプラヤ川での舟上での危険な場面にはハラハラさせられた。暗い夜の大河を走るスピードボートでの犯人との対決シーンは緊張するが、話はここで完結せず、更にタイ滞在の終りに理沙に仕掛けられた別の罠が待ち受けていた・・。

タイの国情や社会状況などは、NGOでタイの東北部に深入りしているという田辺という男などから紹介されたりもしているが、実家がチェンライからさらに山間部に入ったところにあるスリラや彼女の弟などスリラの家族を取りまく生活状況にも触れている。タイ北部の山岳地帯の女性たちの手による服なども販売するエスニックショップ「メナム」経営の野口あかねと、バンコク・タニヤの日本料理店経営のオサムという姉弟の実像やタイとの関わりがどういうものかという点も本書で気になることの一つだ。

本のタイトルが悪魔の果実殺人事件とあるが、本の表紙デザインには東南アジアの代表的な果物ドリアンが描かれている。このドリアンは果物の王様と称されているが、また悪魔の果実と呼ばれることもある。本書では、よく語られることであるが医学的根拠がないドリアンについてのある迷信が事件の鍵となっている。

関連記事

おすすめ記事

  1. メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳)

    メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳) 「…
  2. メコン圏が登場するコミック 第17回「リトル・ロータス」(著者: 西浦キオ)

    メコン圏が登場するコミック 第17回「リトル・ロータス」(著者:西浦キオ) 「リトル・ロー…
  3. メコン圏対象の調査研究書 第26回「クメールの彫像」(J・ボワルエ著、石澤良昭・中島節子 訳)

    メコン圏対象の調査研究書 第26回「クメールの彫像」(J・ボワルエ著、石澤良昭・中島節子 訳) …
  4. メコン圏に関する中国語書籍 第4回「腾冲史话」(谢 本书 著,云南人民出版社)

    メコン圏に関する中国語書籍 第4回「腾冲史话」(谢 本书 著,云南人民出版社 ) 云南名城史话…
  5. メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第19回「貴州旅情」中国貴州少数民族を訪ねて(宮城の団十郎 著)

    メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第19回「貴州旅情」中国貴州少数民族を訪ねて(宮城の団十郎 著)…
  6. 雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん)

    論考:雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形” ①(岡崎信雄さん) 中国雲南省西双…
  7. メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著)

    メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第24回 「激動の河・メコン」(NHK取材班 著) …
  8. メコン圏を舞台とする小説 第41回「インドラネット」(桐野夏生 著)

    メコン圏を舞台とする小説 第41回「インドラネット」(桐野夏生 著) 「インドラネット」(桐野…
  9. 調査探求記「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)

    「ひょうたん笛の”古調”を追い求めて」①(伊藤悟)第1章 雲南を離れてどれくらいたったか。…
  10. メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(上・下)(ネルソン・デミル 著、白石 朗 訳)

    メコン圏を描く海外翻訳小説 第15回「アップ・カントリー 兵士の帰還」(ネルソン・デミル 著、白石 …
ページ上部へ戻る