コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第20話 「タミル文化の北進」

南インドのタミル語から、東南アジアの古代国家「扶南」、「真臘」の国の名前の意味を解いて見る

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」第20話 「タミル文化の北進」

南インドの先端部にはタミルナードゥ州があり、そこには6,000万人のタミル人が住んでいます。タミル人の中からはこれまで2人のノーベル賞の受賞者が出ました。昨年は中国人の高行健がノーベル文学賞を受賞しましたが、なにしろ中国は人口12億ですからね。精神文明の価値は人口の多さには比例しないというところでしょうか。

それはさておき、タミル人は古くから東南アジア・中国と海を通じて交流があり、紀元前2世紀には南越国のものと思われる使節がカーンチー(黄支国)を訪れ、その時代の中国の貨幣がマイソールのチャンドラヴァリから発掘されています。また東南アジアではタミル人をはじめとするインド商人の来航と移住のうちに、2世紀頃から扶南、林邑といった国が形成されてきます。南インドのパッラヴァ王国が5世紀頃から海軍を動かして本格的な東南アジアの植民地経営に乗り出すと、扶南、林邑には王朝交替やヒンドゥーの影響がにわかに強くなり、これらの国を含めて東南アジア一帯にはパッラヴァ文字が使われるようになりました。現在のモン文字(ビルマ文字)・タイ文字(ラオス文字)・クメール文字・チャム文字・ジャワ文字などの母胎となったタミル人の文字です。

ところで扶南という国を欧米人は北京音でフナン(FUNAN)と呼んでいます。またその意味はプノム・ペンに見られるクメール語の「プノム」で丘という意味であると考えています。しかし北京音が成立するのは17世紀に満州人が清の宮廷を形成してからのことで(マンダリンの語源は「満大人(マンダーレン)」である)、扶南の支配階級はタミル人、土着のクメール人は被支配階級でしたから、タミル人の殖民国家の名前に被支配階級のクメール語の言葉が使われる可能性は弱く、僕は扶南とはタミル語の「プナム」で耕作に適した高地という意味の単語ではないかと思っています。

ついでながら7世紀に扶南の北部に成立した真臘は、都をイーシャーナ・プラに定め、イーシャーナヴァルマン王は616年に中国に使節を送りました。扶南はほどなく真臘に併合されてしまいます。この真臘の国も欧米人は北京音でチェンラ(CHENLA)と呼び、意味は不明などと言っていますが、北京音で解読して意味がわかるはずがありません。欧米人の北京音読みは彼らの非常に悪い癖で、たとえば文単の街を北京語でウェンダンと読んで、これはヴィエンチャンのことではないかと言ったとかいう笑える話があります。ちなみに文単の文はタイ・ルー語あたりでムン(標準タイ語ではムアン)という言葉を音写したものです。その点、日本人は漢音と呉音という古い漢字の音を日常使っているので欧米人のような誤りに陥ることがありません。

真臘いわゆるチェンラは漢音ではシンローと読みます。僕は真をセン、臘をラと読んで、真臘を「センラ」ローマ字で書けば「SELLA」と読んでみようと思います。というのはタミル語に「SELLAM」(豊かさ)という単語があり、真臘国を建てた民族は扶南の北より発祥したイーシャーナという単語(これはイサーンに通じる)にこだわりを持つ民族ですが、都の名前にプラを用い、王号はヴァルマン(守護者)を使うなどタミル人の支配者階級の文化をひきついでおり、国の名前にもタミル語が使われたのではないかと考えられるからです。

タミル語のセルラムのおしまいのムは黙音の「M」ですから、セルラム国の使者を迎えた中国人の耳には、セルラムはセッラ、またはセンラと聞こえて、真臘の字が充てられたものと考えます。国名としての「豊かさ」は、たとえば古代の北九州にはそのものズバリの「豊(プン)」という国があり、後代の豊前(ブゼン)・豊後(ブンゴ)の国にその名残を留めています。またそのもっと昔、まだ黄河流域を統一するずっと以前の周の人たちは、麦作を覚えてはじめて邑を作りましたが、そのときの邑の名は「豊」でした。もともとこの漢字はそのときにできたものです。

542年にタミル人クドゥクルが百済使の一人として、扶南の「財物と奴」を倭国に献上してきたことが『日本書紀』に見え、文献に表れたタミル文化の倭の島への最初の上陸となるのですが、今回は前置きばかり長くなってしまいました。次回をお楽しみに。

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