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メコン圏を舞台とする小説 第60回「ジャスミンホテル(「トモスイ」所収」(高樹 のぶ子 著)
- 2026/6/16
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- SIA (Soaked in Asia)プロジェクト, サイゴン川, サイゴン陥落, ジャスミンホテル, 地獄の黙示録, 高樹のぶ子
メコン圏を舞台とする小説 第60回「ジャスミンホテル(「トモスイ」所収、高樹 のぶ子 著)

「ジャスミンホテル(「トモスイ」所収)(高樹 のぶ子 著、新潮社、2011年1月発行)
<著者略歴> 高樹のぶ子 (たかぎ・のぶこ)<発行掲載時、本書著者略歴より>
1946年、山口県生まれ。1984年「光抱く友よ」で芥川賞、1995年『水脈』で女流文学賞、1999年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞をそれぞれ受賞。2009年紫綬褒章受賞。2010年、本書収録の「トモスイ」で第36回川端康成文学賞を受賞。他の作品に『百年の預言』『罪花』『ナポリ 魔の風』『マイマイ新子』『HOKKAI』『fantasia』『甘苦上海』『飛水』など多数。
本書の著者・高樹のぶ子 氏は1946年、山口県防府市生まれ山口県立防府高等学校、東京女子大学短期大学部教育学科卒業後、出版社勤務を経て、1980年「その細き道」を「文學界」に発表、創作活動を始めた小説家。1984年『光抱く友よ』で芥川賞、1994年『蔦燃』で島清恋愛文学賞、1995年『水脈』で女流文学賞、1999年『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、2006年『HOKKAI』で芸術選奨文部大臣賞、2010年『トモスイ』で川端康成文学賞を受賞。「透光の樹」は、2004年映画化もされている。他、多数執筆。2001年より芥川賞選考委員ほか、多くの文学賞の選考委員を務める。2009年、紫綬褒章受勲。2017年、日本芸術院賞、旭日小綬章受章。
高樹のぶ子 氏は、2005年から2010年まで、九州大学アジア総合政策センター特任教授(アジア現代文化研究部門)として、 SIA (Soaked in Asia)という、アジアに浸るという意味の、アジアとの文学交流プロジェクトを主宰。フィリピン、ベトナム、台湾、マレーシア、中国・上海、モンゴル、タイ、韓国、インド、インドネシア・バリと、半年ごとにアジア10ヶ国地域を訪ね、現地の作家と交流し、文学だけでなく、その国地域の人々の暮らしや社会が抱える問題も取り上げ、様々なメディアを通じて発信するというプロジェクト。このSIA (Soaked in Asia)プロジェクトから生まれた本には、交流の記録の「アジアに浸る SOAKED IN ASIA」(高樹のぶ子 著、文藝春秋、2011年2月発行)や、アジア10ヶ国地域の作家による短篇10編を収める本書「天国の風 ー アジア短篇ベストセレクション」(高樹のぶ子 編、新潮社、2011年2月発行)があるが、その他にも、訪れたアジア各国地域に即発されて高樹のぶ子氏自身が書き下ろした短編小説をまとめて収めた「トモスイ」(高樹のぶ子 著、新潮社、2011年1月発行)が刊行されていて、それが本書。
表題作の「トモスイ」(初出は「新潮」2009年4月号)は、著者のタイ訪問から生まれた作と言われ、第36回川端康成文学賞を受賞しているが、タイが舞台でもなくタイに関わる話でもない不思議な小説。突起物や穴があり、一度吸えば、もう死んでもいいと思うくらい美味しいという柔らかな、不思議な生き物のトモスイを探しに2人の登場人物が、どこかの港から夜釣りに出かける話。本書の「あとがき」では、著者は、「タイは第三の性に寛容な仏教国で、旧い教典には人類には四つのジェンダーがあると記されている。性別とは何だろう、生殖のためには必要な区分ではあっても、人間の実態はもっと混沌としたものではないかと感じた。身体で感じたその曖昧でおぼろなゆらぎを、入り江に浮かぶ小舟に乗せて、この短篇が生まれた」と述べてはいるが、好き嫌いが大きく分かれそうな短篇小説。
それに比べて、非常に読みやすく共感しやすい作品が、ベトナムを舞台とした短編小説で本書収録の「ジャスミンホテル」(初出は「新潮」2006年10月号)。SIAプロジェクトは、2006年1月に訪問した10ヶ国地域の第1回目のフィリピン編から始まっているが、本作品は、2006年に訪問した第2回目のベトナム編で書かれた作品。本書収録の短篇小説「ジャスミンホテル」については、著者は、本書「あとがき」で、”ベトナムと言えば私の世代ではベトナム戦争に直結する。ベトナム戦争を日々意識した20代に直結する。けれどこの目で見たホーチミン市(当時はサイゴン)には、日本製や中国製のバイクが溢れていた。街中には若者が目立ち、私と同じ世代の人は極端に少なかった。ベトナム戦争の後遺症だと思われた。街路に広がる紫のバンランの花を見ているうち、自分の20代と切り離しては短篇が書けなくなった。”と書いている。
この著者「あとがき」の通り、短編小説「ジャスミンホテル」の主人公は、夏子という50代半ばと思える日本人女性。ストーリー展開時代については、具体的な記載は明記がないものの、サイゴン陥落が30年も昔との会話があるので、2005年あるいは著者がベトナム訪問した2006年の頃。主人公の夏子は、2年前に12歳も歳の離れた夫を亡くし、娘たちも巣立っていたが、学生時代の恋人・影山が長くC型肝炎で苦しみ2年前から肝臓ガンとなり、最後は57歳で自宅で亡くなったことを友人の咲子からの電話で知り、1人でホーチミン市を旅する。影山は大学に医学部生として入ったばかりで学生運動に巻き込まれ、地方から上京したばかりの20歳の時の夏子と出会い恋愛関係となるが、その後、1972年の夏、新聞記者だった兄と一緒に、夏子の制止を振り切り、当時のサイゴンのジャスミンホテルで夏子宛にハガキを書き、影山の本心が分らないまま、2人は別れ、夏子が結婚した後、病院で働いていた友人の咲子から、医学部生だった影山が医学部を卒業しなかったらしく医者にはならずに、同じ病院でレントゲン技師として働いていると聞いただけで、別れた後の影山の人生を夏子は何も知らなかったし、あえて尋ねもしてこなかった。
1972年夏、サイゴンのジャスミンホテルで影山が東京の夏子に宛てて書いたハガキの文面は、「解放のためのアメリカとの戦争を闘う」ベトナム戦争時代の熱や空気が、若さもあってか、影山の人生を別の方向に向かわせたようで、”まっとうな、いかなることがあろうと壊れることのない貴方と、もう議論をしたくない。貴方が考える医者になんか、僕はなりませんよ。望みどおり白い光に包まれて、貴方は恵まれた人生を生きて行って下さい。アルコールと煙草と、娼婦の酸っぱい汗と血の匂いが混ざり合うジャスミンホテルより、無邪気に自己肯定を続ける貴方に、さようなら。”と、痛烈な内容。夏子は、通常日本の旅行代理店が扱わない同じ安ホテルに宿泊し、映画「地獄の黙示録」の戦争の狂気の数々のシーンとワーグナーの「ワルキューレ」の音楽が蘇ったり、30数年前の若い時代の痛みを感じるとともに、影山の人生の転機となったベトナム戦争下のベトナムと30数年後のホーチミン市を思うことになる。ゴ・ディン・ジェム政権、ソンミ大虐殺、テト攻勢、北爆など、サイゴン陥落時には生まれていない通訳ガイドのベトナムの若者より、夏子の方が慣れ親しんだ言葉になっていた。
その他の本書収録は、発表順に、「天の穴」(初出は「新潮」2006年4月号)、「四時五分の天気図」(初出は「新潮」2007年4月号)、「どしゃぶり麻玲」(初出は「新潮」2007年10月号)、上海の宿泊の高層ホテルと窓から見下ろしたところにある石庫門と呼ばれる昔ながらの長屋の老人を描いた「投」(初出は「新潮」2008年4月号)、文字通りモンゴル訪問をきっかけの「モンゴリアン飛行」(初出は「新潮」2008年10月号)、韓国訪問をきっかけの「唐辛子姉妹」(初出は「新潮」2009年10月号)、インドで女性保護施設を訪問した時に見かけた、無言の少女からの発想で生まれた「ニーム」(初出は「新潮」2010年4月号)、最後の訪問国インドネシアのバリ島が舞台の「芳香日記」(初出は「新潮」2010年10月号)の8作品。中でも、マレーシアのクアラルンプールの高速道路で暴力的な豪雨に遭い、五感が潰されて奇妙な浮遊感やってきて、一瞬、命が宙に舞った経験から生まれた「どしゃぶり麻玲」という短編小説は、その小説の設定やストーリーの展開が非常に発想豊かで印象的な作品。
目次
トモスイ
四時五分の天気図
天の穴
どしゃぶり麻玲
唐辛子姉妹
投
モンゴリアン飛行
ジャスミンホテル
ニーム
芳香(ハルム)日記
あとがき
ストーリーの主な展開時代
・2005年頃、1972年(回想)
ストーリーの主な展開場所
・ホーチミン市
「ジャスミンホテル」の主な登場人物
・夏子(50半ばと推定され夫を2年前に亡くした日本人女性)
・影山(夏子の学生時代の元恋人で元医学生。病院のレントゲン医師で57歳で肝臓ガンで亡くなる)
・影山の妻(病院の看護師)
・咲子(夏子の友人で、影山の妻が勤める病院の調剤部で勤務)
・ダン(ホーチミンのガイドで背の高い若者。サイゴン陥落時にはまだ生まれていない)













