メコン圏を舞台とする小説 第57回「サイゴン・ブルー」(村松 友視 著)


<単行本>「サイゴン・ブルー」(村松 友視 著、中央公論社、1993年4月発行)
(初出:『中央公論文藝特集』1992年夏季号~1992年冬季号に掲載)

<著者紹介> 村松 友視(むらまつ・ともみ)<単行本・文庫本ともに著者略歴記載なし>
昭和15年(1940)4月10日東京都生まれ。祖父は小説家、村松梢風(1889年~1961年)。昭和38年(1963)慶應義塾大学文学部哲学科を卒業し、中央公論社入社。「婦人公論」、「海」などの編集をしていたが、中央公論社で編集者勤務のかたわら、小説を書き始め、1980年(昭和55年)にエッセー集『私、プロレスの味方です』で注目を浴びる。昭和56(1981)年退社し執筆業に専念。直後の昭和57年(1982)「時代屋の女房」で第87回直木賞受賞。昭和62年(1987)にはウイスキーのコマーシャルに出演し、『ワンフィンガー、ツーフィンガー』の言葉で同年の流行語大賞を受賞。平成9年(1997)には「鎌倉のおばさん」で泉鏡花文学賞を受賞。「上海ララバイ」「アブサン物語」「永仁の壺」「幸田文のマッチ箱」「夢の始末書」「俵屋の不思議」「贋日記」など著書多数。日本文芸家協会会員。

本書「サイゴン・ブルー」は、単行本として、1993年4月に刊行されているが、初出は、『中央公論文藝特集』1992年夏季号~1992年冬季号に掲載された作品で、著者・村松友視 氏の自伝的長編。1940年、東京都生まれの村松友視 氏は、1963年に慶應義塾大学文学部哲学科を卒業し中央公論社入社。「婦人公論」、「海」などの編集をしていたが、中央公論社で編集者勤務のかたわら、小説を書き始め、1980年(昭和55年)にエッセー集『私、プロレスの味方です』で注目を浴び、昭和56(1981)年退社し執筆業に専念。直後の昭和57年(1982)「時代屋の女房」で第87回直木賞受賞。直木賞を受賞したばかりの村松友視 氏が1982年、直木賞受賞後の第一作として講談社より書き下ろしで単行本を刊行した小説「サイゴン・ティをもう一杯」は、小説の主たる時代や展開場所は、1982年の東京・吉祥寺ながら、花屋を営んでいる主人公の男性イサムが、16年前の1966年暮れに、ベトナム戦時下にサイゴンに観光ビザで一人出かけていたことが、ストーリーに大きく関わっている。1966年暮れに、ベトナム戦時下のサイゴンに観光ビザで一人出かけたという点は、村松友視 氏自身の実体験で、自伝的長編の本書「サイゴン・ブルー」では、著者の村松友視 氏 自身を映し出している、一人称の「私」が、1991年12月に、25年前の1966年暮れに訪ねたサイゴンを再訪する話。

話は、「私」が、25年ぶりに訪れた旧サイゴンで、特に骨董的価値のある品物ではなく、サイゴン陥落の際にアメリカ人が処分して帰った品々が、ガラスケースの中に無造作に並べられているような古道具屋の店を、通訳兼ガイドのベトナム人男性・チャンと覗いていた場面から始まる。店の外を練り歩く、少年と盲人の痩せた男とその妻の親子3人の大道芸めかした物乞いを見かけたり、また、枯れ葉作戦の後遺症の無眼球症?かもと思えた赤ん坊を背負う子供がまとわりついてくる、というショッキングなシーンだが、話のラストで、似たシーンようなシーンが再現されるようで、驚きの違いが見えてくる。「私」は、当時、出版社の婦人雑誌編集部員で、年末年始の休暇に、25年前の1966年暮、理由もはっきりしないまま、観光ビザを片手にふらっと出かけた、ベトナム戦争下の南ベトナムの首都サイゴンを懐古しながら、通訳兼ガイドのベトナム人男性・チャンとともに、1991年12月の旧サイゴン、ホーチミン市を歩き回る。

1966年暮れにサイゴンにやって来た時は、ホテルの予約もしていなかったし、新聞社に勤めていた叔父(村松喬:1917年~198年年、毎日新聞記者、作家・教育評論家、1956年にはビルマを舞台とした「異郷の女」で直木賞候補)から同じ新聞社のサイゴン特派員への紹介状以外、何の伝手も持たぬ観光客で、サイゴンのバスターミナルで声をかけてきた運転手に連れて行かれたチャン・ワイ・カップ通りの米兵用連れ込みホテルに逗留したが、この場所を、通りの名前も変わり、そのままホテルは残っていなかったが、25年前の記憶を辿りながら、国営アパートに変わった同じ建物を見つける。サイゴンは、ホーチミン市と改名され、人々は共産体制下の生活を営んでいるが、街にうごめく人々は、かつてと同じ表情に映り、街に感じた不気味な感じのエネルギーも同じように感じれ、しかも、サイゴンという文字が街から消えていなくて街のあちこちの看板に見え、この街は、やはりサイゴンなのだと、感じる。

また、女性が隣へ座り料理を取って口に入れてくれる、NO HANDSスタイルのレストランで、隣に座った女性たちが、やけに熱心にチーズとチョコレートを勧め、注文したビールに、紙でくるんだチーズとチョコレートを放り込み、それが彼女たちの収入源かと思い始めたとき、1966年暮れ、サイゴンの酒場で女性にねだられた、小さなカクテルグラスに入った赤黒い液体の飲み物「サイゴン・ティ」のことを思い出す。本書の第2章のタイトルも「サイゴン・ティ」で、村松友視 氏が1982年、直木賞受賞後の第一作として発表した小説のタイトルも「サイゴン・ティをもう一杯」と付けられているくらい、戦時下のサイゴンの酒場にあったサイゴン・ティの妖しさや虚飾ぶりが、本書全体を覆っているようで、1966年暮に、何度も通ったサイゴンの酒場で知り合うホステスの女性フォンの家を訪ね、酒場での気分が一気に吹っ飛んでしまうくらい、生活や現実にくたくたに疲れ、老人や子供をはじめ一家を支えざるをえない生活苦に触れ圧倒され、ひるんでしまうシーンも非常に強烈。

サイゴンが陥落した1975年には13歳だったという、通訳兼ガイドのベトナム人男性チャンも、やや屈折したタイプで、なぜか「私」との会話もギクシャクしたものもあり、なかなか刺々しさも見受けられる。「25年前は、戦争を見物に来られたわけですか?今回は、頽廃を見物するのが目的ですか?」「ノスタルジアがご馳走ですか。ノスタルジアが一番ですか、うらやましいですね。わたしはノスタルジアはあまり好きじゃないです」「25年前とまるで変わらないとは、それはいことなんでしょうか。わるいことなんでしょうか」とか、話の中でも、嘘と本当の境目が分からず「どっちが本当でどっちが作り話だとおもいますか?」というような話もしてきて、この通訳兼ガイドのベトナム人男性チャンとの関係も多少の緊張感を感じる。

「沢田教一のピューリツァー賞なんて、あんなのあんなのインチキよ」という、「私」の昔からの知り合いで、ファッション関係を中心に仕事をしている女性カメラマンの水田美奈子が、雑誌の編集者・高橋と、東南アジアに詳しいコーディネーター・宍戸とともに、ホーチミン市入りするが、「私」の方も、このチームのメンバーには何かと気に入らないことを感じ、突っかかっている。このメンバーが途中でホーチミン市入りしたことで、一緒に、ベトナム戦争中に建設され、南ベトナム解放戦線の司令部として使われたクチトンネルや戦争史跡公園などがありホーチミン市北部のクチ県や、カンボジアとの国境近くに出かけることになり、カンボジアとの国境検問所近くでは、ひと騒動が起こっている。1966年暮、羽田からパリ行きのエール・フランス機に乗り込み、なぜベトナム戦争下のサイゴンに観光ビザで一人で出かけて行ったかについては、ジャーナリストとしての意気がり、気取り、突っぱり、ポーズ、失恋の反動、軽い症状の自暴自棄などと、それなりの理由は挙げてはいるものの、はっきりはしない。

そんな中で、興味深い話としては、本書の中で、サイゴン行きの前年、1965年の8月14日に、赤坂プリンス・ホテルにて「戦争と平和を考える 八・一五記念徹夜討論会<ティーチ・イン>」が開かれ、夜の10時半から始まったティーチ・インの会場へ、会場となった赤坂プリンス・ホテルのプールでひと泳ぎしてから向かったとのこと。この徹夜討論会の司会者は鶴見俊輔、桑原武夫、久野収の3名、出席者は麻生良方、飛鳥田一雄、江崎真澄、羽生三七、服部学、日高六郎、星野安三郎、いいだもも、開高健、勝間田清一、宮沢喜一、長洲一二、中曽根康弘、小田実、佐伯喜一、坂本義和、佐藤賢了、宍戸寛、上田耕一郎、宇都宮徳馬、渡辺城克、無着成恭、家永三郎、山下肇というメンバーで、東京12チャンネルですべて中継という、なかなか画期的な企画(実際は第二部の途中で中継打ち切り)。「私」は、このティーチ・インの全記録「ヴェトナム問題緊急特集」が掲載された雑誌『文芸』の9月増刊号を携えて、1966年暮、サイゴンに向かい、25年後の旧サイゴン再訪にも、この雑誌『文芸』の9月増刊号を持参して行ったとのこと。1961年に体験記「何でも見てやろう」がベストセラーになり、1965年2月のアメリカによる北爆開始後の1965年4月に結成された「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)代表の作家・政治運動家の小田実(1932年~2007年)の独特の存在感も気になる。

「自分に都合のよい幻想を追うのが癖なんだよ。都合のよいことばかり思い出し、都合の良いことだけ見ようというのは。」というような、「私」に辛辣な言葉が向けられる得体の知れぬ声が、本書の中で随所に聞こえてくるが、著者の村松友視 氏の生れる前に27歳で上海で病死した実父の声を織り込みながら、著者自身の物心ついたときには父も母も側にいなく、祖父の小説家、村松梢風(1889年~1961年)の末子として籍に入れられ、祖母1人に育てられてきた複雑な著者自身の生い立ちと家庭環境の話が、何が本当で、何がウソか、虚実入り混じる、サイゴンでの話と、行き来する。サイゴンの人々の対米感情とか、アメリカのベトナム観なども、トピックに挙げられているが、旧サイゴン再訪の1991年暮れの段階では、アメリカのベトナム撤退から16年が経っているが、まだアメリカによる経済制裁は解除とはならず、アメリカ兵の行方不明者問題もあり、アメリカとベトナムの国交は回復していない。アメリカとベトナムとの国交回復は、1995年7月、民主党クリントン大統領政権の時に実現。また、1991年12月の旧サイゴン再訪時のホーチミン市での「私」の宿泊ホテルは、フローティングホテルで、サイゴン川に係留されていた浮遊船高級ホテル。1989年に最初のオーストラリアからホーチミンに移送され、1991年12月当時は開業から日が浅く、特に1990年年代前半は人気を博したが、1997年4月には閉業しホーチミンを離れ、その後は北朝鮮に向かった浮遊船ホテル。

目次
第一章 光の輪
第二章 サイゴン・ティ
第三章 碧い瞳

ストーリーの主な展開時代
・1991年12月、1966年12月(回想)
ストーリーの主な展開場所
・<ベトナム>ホーチミン、クチ、カンボジアとの国境近く、サイゴン(1966年暮の回想)・<日本>東京

ストーリーの主な登場人物
・私
・レー・バー・チャン(通訳兼ガイドのベトナム人男性)
・水田美奈子(ファッション関係を中心に仕事をしている女性カメラマン)
・少年と盲人の痩せた男とその妻の親子3人の大道芸めかした物乞い
・金をねだり手を差し出すベトナムの子供たち
・枯れ葉作戦の後遺症の無眼球症?かも思えた赤ん坊を背負う子供
・私の叔父のつとめていた新聞社の元サイゴン特派員のY氏で関西在住(70歳)
・ホテルのフロントで下品に怒鳴る大柄の白人アメリカ人男性と卑屈に言い訳する痩せて小柄なベトナム人男性
・骨董品店の太った老婆
・ランとビン(NO HANDSスタイルのレストランでの隣席でのサービスをする2人の
女性)
・ミスター・フォード(白人のアメリカ人男性)
・宍戸(東南アジアに詳しいコーディネーター)
・高橋(雑誌の編集者)
・水田美奈子たちの痩身で背の高い、少し猫背の男性ガイド
・クチトンネルでの責任者らしい黒ずくめの服装をした背の高い美女
・クチでの香港からのツアーのガイドの男
・国境検問所近くの警察署の署長と警官
・古道具屋の店の従業員
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<1966年暮の回想>
・私(出版社の婦人雑誌部員)
・新聞記者の叔父
・叔父のつとめている新聞社のサイゴン特派員のY氏(45歳)
・私が当時勤務していた出版社の編集長
・私の会社の先輩
・小田実/無着成恭/鶴見俊輔
・私の静岡の友人
・新宿のゴールデン街あたりの飲み屋での瘋癲(ふうてん)老人
・サイゴン空港で換金してくれたブルーのアオザイを着た女性
・サイゴンのバスターミナルでの小柄なタクシー運転手
・チャン・クイ・カップ通りの米兵用連れ込みホテルの主人
・ベトナム人の若い姉妹(アメリカ兵の恋人がいる美人の姉と、色の黒い妹)
・レストランでの靴磨きの少年
・サイゴンの酒場のマネージャーらしい男性とママ風の肥満女
・酒場のホステスで、ベトナム人とフランス人の混血女性
・酒場のホステスで、ベトナム人と中国人の混血女性
・フォン(南部の女性らしい酒場のホステス)
・大男の白人のアメリカ兵と酒場のベトナム女性
・フォンの家族たち(老夫婦、中年の母親、赤ん坊と少年)
・前歯の抜けた怪しい顔つきのシクロの運転手
・娼婦の館の痩せた小柄な男
・娼婦の館で一番前にいた娼婦
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・私の家族(祖母、祖父、27歳で上海で客死した父、実母)

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