メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第33回 「望郷 皇軍兵士いまだ帰還せず」(三留理男 著)

「望郷 皇軍兵士いまだ帰還せず」(三留理男 著、ミリオン出版、2005年7月発行)

<著者紹介> 三留理男(みとめ・ただお)(*1938~2022)<本書著者紹介、本書発行当時>
報道写真家。1938年、北朝鮮・沙里院生まれ。1948年、佐世保へ引き揚げ。1983年、<「国境を越えた子供たち」(集英社)をはじめとする一連の作品で第三世界の国境線上の状況を広く世界に伝えた>ことにより、第1回土門拳賞を受賞。現在、国内の新聞、雑誌のほか、ヨーロッパ最大の週刊誌「シュテルン」と特約。国連が恒久IDカードを発行している世界でも数少ないジャーナリストの一人。<本書紹介より、本書発刊当時> *2022年3月22日、前立腺がんのため死去、

本書は、1988年8月に東京書籍より刊行された「<日本への遠い道・第一部> 望郷 ー 皇軍兵士いまだ帰還せず」(三留理男 著、東京書籍)の復刻版で、戦後60年の年にあたる2005年にミリオン出版より刊行。本書の原形は、昭和61年(1986年)に『週刊ポスト』(小学館)に「望郷日本人」というタイトルで、30回(4月4日号から10月4日号)にわたって連載された記事。連載前には、『毎日新聞』昭和61年(1986年)2月23日、連載終了後には、『毎日グラフ』(毎日新聞社)の昭和62年(1987年)9月13日号、昭和63年(1988年)5月29日号の『アジアからの手紙』で報告を掲載。戦後43年目の1988年に原書が刊行された本書は4部構成で、「第一部 43年目の証言(タイ・ビルマ国境の未帰還兵を追う)」が本書の前半約半分の頁を占めている。後半約半分は、「第二部 父の国と母の国が戦った(フィリピンにもいた日本人残留孤児たち)」「第三部 祖国を捨てた日本兵(インドネシア解放戦線に身を投じた若き日本兵たち)」「第四部 日の丸貯金を返せ!(台湾人にとっての還らざる戦後)」と、取材は、タイのみならず、フィリピン、インドネシア、台湾に及んでいる。

「<日本への遠い道・第一部> 望郷 ー 皇軍兵士いまだ帰還せず」(三留理男 著、東京書籍、1988年8月)と同時に刊行された「<日本への遠い道・第二部> 満州棄民ー 孤児たちの”戦後”いまだ終わらず」(三留理男 著、東京書籍、1988年8月)は、本書と一対のセットとなっていて、中国の残留孤児、残留婦人を取材した内容。本書の著者は、報道写真家の三留理男氏(1938年~2022年)。1938年、北朝鮮・沙里院生まれ。1948年、佐世保へ引き揚げ、日大芸術学部中退。在学中に写真集「小児マヒの記録」を発表、以後アジア・アフリカを中心に取材を続け、1982年「国境を越えた子供たち」(集英社)をはじめとする一連の作品で第三世界の国境線上の状況を広く世界に伝えた>ことにより、第1回土門拳賞を受賞。1988年、長期にわたるアジア・アフリカ取材活動に対して、<第4回アジア・アフリカ賞>受賞。1997年には『辺境の民 ー アジアの近代化と少数民族』(弘文堂、1996年)で第9回アジア・太平洋賞特別賞受賞。

1988年刊行の本書原書「まえがき」では、”十数年前に東南アジアの取材を始めて以来、かなり多くの元日本兵がこれらの各国に残留し、ある者は望郷の念に身を焦がしながら、ある者は日本を拒絶して生きていることを知った。元日本兵は、タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどの各地に散在していた。そして、そうした日本人だけでなく、帝国軍人として戦場に赴いた台湾の人々、日本軍に徴用されたアジア各国の人々にも少なからず会うことができた。国境を越えて、彼らに共通していることがひとつあった。それは、彼らの戦争はいまもなお終わっていないことである。現在の彼らの生活は、まぎれもなく戦争に束縛されているし、砲弾のとびかっていたあのときを、つい昨日のように覚えているのである。所属していた部隊に置き去りにされたまま40数年を生きている日本人もいるし、日本軍に強制されて異国に渡り、帰国できないまま、その地に住みついているアジア人もいるのだ。そうした人々のほとんどは、貧しい。そして、日本国からの、どのような種類の保護を受けることもなく、誰の助けも借りず、言葉も習慣も、生活様式も異なる国で彼らは生きていた。なによりまず、生きることが昨日と今日の命題であり、団欒とか潤いということと無縁のまま、40数年が経っている。・・・”と著者は記している。1988年刊行の本書原書の時点では、本書で取り上げられた取材対象のタイ領内に住む未帰還兵の方々は、殆どが生存で、異国で「戦中」を生きていた。

が、2005年刊行の本書復刻版の「あとがき」では、”今年で敗戦60年を迎える。だがいまだにアジア各地には多くの未帰還兵が静かに暮らしている。この間、私自身も取材を続けてきた。”新しい未帰還兵”にも、数人ではあるが出会うことができた。当時取材に応じてくれた未帰還兵たちの半分以上はすでに他界している。・・・「復刻」に当たって、その後気がかりだった数人の未帰還兵に連絡をとってみた。・・”と書かれている。本書の第一部で紹介された16名中、「メナムの赤ひげ」と村人から慕われた利田銀三郎さん、タイ・ビルマ国境付近のメソットで暮らす中野弥一郎さん、インパール作戦の生き残りの藤田松吉さん、泰緬鉄道建設のためにマレーシアから連行されたトム・ユーさん、「戦場にかける橋」の工事に通訳としてかかわった永瀬隆さんの5名については、その後の様子も「復刻判あとがき」で紹介されている。

原書まえがきでは、以下のようにも文章を続けている。”ただ、断っておかなければならないのは、だからといって、彼らが一様に不幸だということではない。彼らの回りには、国籍や人種だけでなく、過去のいまわしい歴史にこだわることなく、日本軍の兵士や異国の貧しい民を受けいれ、あたたかくつつんでくれたアジア人の人々がいたのだ。彼らは、元日本兵をかくまい、仕事を与え、家族として迎えいれてくれた。元日本兵のなかには、そうしたつながりを捨てることができず、半ば自分の意志で帰国することを諦めた人さえいる。もちろんその一方で、日本人であったり、日本人とつながりがあるというだけで、虐待されたり、冷遇された人々もいる。環境の恵まれた人びとも、敵対的な環境で生きてきた人々も、頼れるのは自分だけだった。自分だけで自分の人生を切り拓いてきたこともまた、彼らに共通している。”と。著者は、ひとりひとり彼らの家を訪ね、写真を撮り、話を聞いてまわっているが、戦前・戦中の話とともに、残留した戦後の話の中では、残留元日本兵たちをかくまい、仕事を与え、家族として迎えてくれた無数のアジアの人々がいたことがよく分かる。

「第一部 43年目の証言(タイ・ビルマ国境の未帰還兵を追う)」では16人が取り上げられているが、本書のサブタイトルにあるような「皇軍兵士」というべき日本兵・軍人だけが取り上げられているわけでもなく、連行され残留しているアジア人労務者たちも取材しているし、また、「第一部」のサブタイトルには、「タイ・ビルマ国境の未帰還兵を追う」とあるが、取材対象はタイ領内ではあるものの、ビルマ戦線で敗走したタイ・ビルマ国境の未帰還兵だけに限っていない。「第一部」での取材対象16名のうち、一人当たりの記事分量が10数ページ以上と、数頁だけの他の人達より多いのは、利田銀三郎さん、中野弥一郎さん、藤田松吉さん、三谷忠志さん、永瀬隆さんの5名で、この方々と、坂井勇さんは、比較的、いろいろなところで取材や紹介含め、知られてきた方々かと思う。サブタイトルの”タイ・ビルマ国境の未帰還兵”に該当するのは、タイ・ビルマ国境のメソット在住の中野弥一郎さん(1920年~2009年10月26日 *本書復刻版発行時は存命)と坂井勇さん(1907年~2007年5月9日 *本書復刻版発行時は存命)、北タイのランプーン在住の藤田松吉さん(1918年~2009年1月25日 *本書復刻版発行時は存命)で、この3人の方については、タイ国内に暮らす6名の未帰還兵を追った2009年公開の記録映画「花と兵隊」(監督・撮影・編集: 松林要樹)にも収められている。

インパール作戦の生き残りの元衛生兵の新潟県小千谷出身の中野弥一郎さんは、敗戦を迎えるのはビルマ領内で、捕虜収容所から脱走しビルマのカレン族の地域に逃げ込み潜伏。やがて現地で家庭を持つも、ビルマ領内の少数民族と対立するビルマ政府軍の迫害から逃げ難民としてタイとの国境を越え、タイ側のメソットに住み、宝石仲買などの商売を始める。中野弥一郎さんと同じように、インパール作戦生き残りの自動車兵の元上等兵の坂井勇さんは、敗戦をビルマのカレン州サトンで迎え、収容所に監禁される前に逃亡し、カレン族の集落に身を隠し、カレン族の武装闘争にも協力参加し、農業にも従事し現地で家庭を持つも、ビルマ政府軍の迫害から逃げ難民としてタイとの国境を越え、タイ側のメソットに住むことになり、中野弥一郎さんとも似たような境遇となるが、坂井勇さんの召集に関わる話は非常に特異で驚愕の内容。福井で機屋を営んでいたが倒産し新天地を求めてブラジルに渡った移民二世でブラジル生まれながら、昭和15年(1940年)最終的に中止となってしまう東京オリンピックを見物兼ねて初訪日したが、日本国籍のため、タイミング悪く福井の実家で召集令状が届いてしまう。坂井勇さんの話に”悪夢のオリンピック”という一見意味不明の不思議なタイトルが付されていることに納得。長崎出身の元二等兵で戦後、北タイで生活を続けた藤田松吉さんも、インパール作戦に従事するが、タイまで敗走し、北タイで友軍から置き去りにされ、その後をタイで生き抜く。建設工事などの仕事の傍ら、時間を作って、「白骨街道」と呼ばれた旧日本軍の敗走路での遺骨収集を続けられた。

本書の数多くの取材対象者の中で、一番最初に紹介掲載されているのが、大阪出身の元上等兵・利田銀三郎さん(1918年~2004年12月26日、*本書復刻版発行時は死亡)。ビルマ国境に近いタイのジャングルで敗戦を迎え、タイ軍に投降するが捕虜収容所を脱走。生きるためにいろいろな仕事をし、後に、バンコク近郊のメナム河の水上生活者の中に住み、貧しくて治療代を払えないような患者を分け隔てなく診療したきた、正式な資格はない医者となる。著者が名付けた愛称「メナムの赤ヒゲ」もなかなか良いネーミングかと感心。広島生まれで大阪外国語大学で戦前、マレー語、インドネシア語、オランダ語、英語を学び、インドネシアに熱帯農業の研究で留学経験もあった三谷忠志さん(1913年~1988年5月4日 *本書原書刊行直前に逝去)は、昭和15年(1940年)召集され、開戦時はタイの田村浩大佐・黒川中佐率いる日本大使館付陸軍武官室所属での諜報活動員。敗戦後、戦犯容疑からも免れ復員できるが、昭和24年(1949年)にはタイ政府から農業開発のために招かれ、以後、タイに住み続け、タイの事情通として名が知られていた。戦場の前線に駆り出され収容所から脱走し、現地の人たちに助けられながら戦後を異国で生き抜いてきたタイの残留未帰還兵とは、かなり異なる経歴の人と思えるが、元残留日本兵が日本の恩給を受給できるようにするために尽力されていたということが、本書原書&復刻版のあとがきに記されている。

2005年刊行の復刻版あとがきで、”『戦場にかける橋』の工事に通訳としてかかわった永瀬隆さんは、取材当時から続けていたビルマ(ミャンマー)の学校づくりのために、今もタイとの国境付近を駆け回っている。”と紹介された岡山県出身の永瀬 隆さん(1918年~2014年)は、戦時中、憲兵隊通訳として泰緬鉄道建設に深く関わる。復員後、米軍の通訳、高校の英語教師などを務め、昭和30年(1955年)倉敷に帰り、私塾の英語学校を作るが、多くの犠牲者を出した泰緬鉄道建設の悲劇を償うとともに、復員にあたってタイ政府より受けた恩義に報いようと、私財を投じた奨学金によるタイ人学生支援や現地の高齢者施設運営、医療奉仕活動を長年にわたって続け、日本とタイ、日本と英国の和解と友好に貢献しているタイ国財団法人「クワイ河平和基金」代表としても著名な社会活動家。泰緬鉄道建設には連合軍捕虜だけでなく、その鉄道建設のために連行された25万人以上のアジア人がいて、連行されながら、戦後それぞれの母国へ帰ることができずにいるアジア人残留労務者の存在に気付き、元アジア人残留労務者を探し援助の手を差し伸べていく。本書の「第一部」でも、日本軍の残留兵士だけでなく、日本軍に異国に連行されて戦後も取り残されたアジア人労務者として、二人のマレーシア人が取材で取り上げられている。本書「あとがき」によると、この2人のタイ領残留マレーシア人は、バンコクのマレーシア大使館の尽力で、40数年ぶりに故国に一時帰国できたとのこと。

その他にも、8名の元日本兵が紹介されているが、全員がタイ残留未帰還兵ながら、残留に至った経緯や戦後の生活状況などは各人それぞれ大きく異なっている。三重県生まれの鉄道連隊所属の鈴木保さんは終戦直前はバンコクに駐屯していたが、偶々不運にも、ビルマのモールメインに部隊から重要書類を受け取りに行く命令を受け、帰路に列車が脱線転覆し、武装強盗に襲われ山の中に入り込み帰国できなくなってしまう。日本の戸籍では終戦直後に離隊逃亡の失踪者として抹消されてしまっていたという運命の非情さに言葉を失う。日本人ながら台北市出身で福建語が話せ華僑との交渉に力を発揮し、食糧調達のための通訳をしていた吉川武夫さんは、終戦時、バンコクの野戦貨物廠で投降しその後逃亡。以来、タイの人々に支えられ、タイに残留生活。宮城県出身の元上等兵の小林栄治さんはタイからマレー半島へ転戦しようとした時に敗戦。投降し収容所から脱走しタイ残留未帰還兵となる。奈良県出身の宮本茂さんは、泰緬鉄道の起点バンポンで捕虜の食料の調達の仕事をしていて、敗戦後の捕虜収容所を脱走し、日本に残してきた妻子と連絡が取れるも、現地に家族もできタイ残留のまま。

敗戦後、タイの捕虜収容所を一人で脱走した岡山県出身の笹部綱夫さんは、金を出して中国人の戸籍を買い、タイで中国系タイ人として生活してきた元伍長。笹部綱夫さんと戦友で既に亡くなってしまった沖縄出身のタイ残留未帰還兵の佐久川昌繁さんについては、残された現地の家族に取材をしている。タイのスコタイ近郊で暮らす和歌山県出身の村上純次郎さんは、元日本軍の技術大尉で、スマトラで敗戦を迎えているが、なぜか病院を脱走しタイに行きついた残留未帰還兵。更に、元日本兵が北タイのビルマとの国境に近いファンという町に住んで、路上の屋台で、まんじゅう売りをしているという噂が以前からあり、その人にも取材を試みている。だれも彼の日本名を知らないし、彼自身語ろうとせず、「サラパオ・ニープン」(日本のまんじゅう)という通称しか分からず。日本とほぼ断絶し、日本のことをかなり忘れているタイ残留未帰還兵たちでも、望郷の念はあっても、日本とのつながりを否定したり、日本人であり元日本兵であることを拒否していないが、この「サラパオ・ニープン」の日本人男性は、かろうじて日本人であることは認めたものの、元日本兵であることは認めようとせず。

なお、第二部では、第2次世界大戦の激戦地となったフィリピンが取り上げられているが、残留日本兵ではなく、戦前、米領時代に開拓建設で海を渡った日本人労働者の移民が終戦で日本に送還され、置き去りにされたフィリピン人の妻や混血2世たちの問題で、特にルソン島中部のバギオが取り上げられている。還暦後にバギオに赴任し、残留混血孤児に後半生を捧げた修道女・テレジオ海野さん(1911年~1989年)の紹介が第二部の書き出し。第三部では、アジア各国では戦況の推移なども大きく違っているが、インドネシアでは、宗主国のアメリカとともに日本軍に敵対したフィリピンと大きく事情が異なり、インドネシア国民党軍が日本軍と協力関係にあり、手を組んで宗主国のオランダと戦っていた事があり、また敗戦当時、インドネシア地域は連合軍の上陸作戦がなく、日本軍はほぼ無傷のまま敗戦を迎えたこともあって、独立を認めないオランダとの戦後4年間のインドネシア独立戦争に約700名の日本兵が自らの意志で参加。そのうち戦死または戦病死した者が約400人、300人は生き残り、未帰還兵の半数は小さな島に散って消息が不明と言われるが、インドネシア独立戦争に参加しインドネシアに残留した元日本兵たちを紹介。第四部では、台湾人元日本兵の問題を取り上げているが、”同じ日本人”として戦争に駆り出されるが、遺族補償や恩給の支給対象から外れている補償の問題だけでなく、なかば強制的に軍人、軍属としての”給料”の大半を貯金させられ、戦後、日本国籍で亡くなったという理由でその払い戻しが一切ないという事も問題視している。フィリピンのルバング島で元陸軍少尉の小野田寛郎さんが見つかった同じ年の1974年12月、元陸軍一等兵の台湾「高砂族」出身の”元日本兵”中村輝夫さん(台湾原住民アミ族、1919年~1979年)が、東インドネシア・モルッカ諸島のモロタイ島で発見された衝撃の出来事にも触れている。      

目次
まえがき
第一部 43年目の証言(タイ・ビルア国境の未帰還兵を追う)
メナムの赤ひげ  利田銀三郎
日本人だからこそ  中野弥一郎
悪夢のオリンピック  坂井 勇
置き去りにされた二等兵  藤田松吉
「中国人」でとおす元伍長  笹部綱夫
タイに生き、タイの土に  佐久川昌繁
身重の妻に申し訳ない・・・  村上純次郎
日本の味のするまんじゅうを売る  サラパオ・ニープン
「逃亡兵」との無情な通知が  鈴木 保
タイに救けられ、タイのために生きる  吉川武夫
40年変わらぬ「愛国心」  小林栄治
軍籍を抹消された諜報員  三谷忠志
訪ねてきた妻、そして「日本」との訣別  宮本 茂
贖罪の旅を続ける元憲兵   永瀬 隆
死の鉄路に徴用されたアジア人   トム・ユー
「戦場にかける橋」のために   チュー・ヤッパー

第二部 父の国と母の国が戦った(フィリピンにもいた日本人残留孤児たち)
残留混血孤児に人生を捧げる   テレジオ海野
父親の墓の上で暮らす   加藤たつ
父の国と母の国との戦争   塚本 勇
父はゲリラに殺された   椿タツ子
日本人であることを隠しとおした運転手   長岡良男
初恋の日本兵の消息を・・・   メリー木口
「父の国」の国籍を捨てて   寺岡マリエ
「山の子」たちの校長先生   加藤利男
「移民成功者」として   大沢 清

第三部 祖国を捨てた日本兵(インドネシア解放戦線に身を投じた若き日本兵たち)
収容所を脱走 ー インドネシア独立軍へ   志田安雄
インドネシアの日系人社会で生きる   乙戸 昇
生きのびるために独立軍へ   吉良勝利
「生きて虜囚の辱を受けず」   安藤万次郎
「勝利戦」の陰で   藤山秀雄

第四部 日の丸貯金を返せ! (台湾人にとっての還らざる戦後)
戦死傷補償訴訟にかける   洪 火■
「日本人」として戦い、傷つき   洪 坤圳
二十五年目の戦争   中村輝夫
還らざる戦後
「麻薬作戦」に徴用されて   林 萬姓
「高砂族」兵士の誇り   荒井里志

資料1.インドネシア独立戦争に参加した未帰還兵名簿
資料2.家族・知人を探すフィリピン残留孤児名簿

あとがき
復刻版あとがき

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