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- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, コラム・エッセイ
- 第3信 ポンサワンより 2002年5月
第3信 ポンサワンより 2002年5月
- 2002/6/10
- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, コラム・エッセイ
- 村山明雄
(2002年6月号掲載)
2002年5月
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄
皆さんお元気ですか。村山@ポンサワン シェンクアン県です。
こちらに来てはや1ヶ月以上経ちました。
先日、水道の調査のためにベトナム国境に近いノン・へードに行ってきました。山岳民族が70パーセントを超えるこの町は、ラオスとはいっても特殊な環境の町でした。
言葉
我々の国連のプロジェクトには色々な国の人のボランティアが参加しています。 以前いた人をいれると、エチオピア、ケニア、ネパール、フィリピン、タイ、ミャンマーなどの人が働いていたようです。タイ語とラオス語は似ているので、タイ人はどうだったかラオス・スタッフに聞い
てみました。 そうするとどうも評判がよくなかったようです。他のUNVはラオス語ができなくて皆 苦労していますが言葉の点でタイ人はハンディがないのですが、どうもあまり性格がよくなかったようでラオス人に嫌われたようです。
ということで、確かに仕事をする上で言葉は大切ですが、その前にその人の人間性が大切だと思いました。いくら外国語が上手でも性格の悪い人は嫌われる、言葉があまり上手ではなくても人柄のいい人は皆に好かれると思います。逆に言葉が上手になるとその人の人間性がすぐに伝わるから本当に危険である。
植村直己さんという冒険家は世界のどの国に行ってもその国の人に好かれたらしい。だから彼は冒険家として素晴らしい業績をあげたのだろう。きっとやさしい性格の人だったのだろう。私も気をつけて、言葉だけでなく人間性も磨いていきたいと思いました。昔、大和定住センターでラオス語・ベトナム語の通訳として働いていた那須泉さんが 私に「村山さん、心の通訳デスヨ」と僕に話してくれたことがある。彼の言いたい事が20年経ってやっとわかったような気持ちになった。
ヨンさん
先程、タイ人のことを書きましたが、すべてのタイ人が悪い人ではありません。逆に親切なタイ人はたくさんいます。私自身、女房の姉がタイ人と結婚してバンコクにいますが、自分で親戚を誉めるのもなんですがいい人です。その旦那さんもいい人です。
親戚の話では身びいきになるので別のケースについて話しましょう。ヨンさんは中国系のタイ人、生まれはバンコクですが、1975年以前にラオスの寮都学校に留学してラオスで中国語とラオス語をおぼえました。その後、台湾と日本に留学したのですが、縁があってまたラオスでビジネスをはじめることになってビエンチャンに戻ってきました。彼は、少年時代ビエンチャンで過ごしたので、ラオス語もできます。ある日、友達になったラオス人がヨンさんに、「あなたみたいないいタイ人もいるのですね」と誉められたらしいです。ラオス人の間ではタイ人の評判はよくないのですが、実際にヨンさんと つきあってみて彼の人柄がいいので好きになったようです。
私の妻もタイ人のことをあまりよくいいません。だけどタイ人の友達がいるかといえ ばそうでもなく 結局、偏見、イメージが出来上がったもののようです。ちなみにヨンさんには華僑の習慣、ラオス人との違い、華僑の考え方、生き方などについて色々と教えてもらって本当にお世話になった人です。実際につきあってみないと人間はわからないのであろう。
華僑
妻と結婚する前に、東南アジアの本などを読んでいると華僑は、商売がずるがしこくて、その国の政権の偉い人に賄賂などを贈ってあくどく儲けている。このようなイメージが強かったのも事実です。だけど東南アジアの華僑が全部、商売がうまくて賄賂をつかってあくどく儲けているかといえばそんなわけではないことがわかりました。逆にいえばお金にきれいな人もいます。もう少しうまくやれば儲かるのにしない人もいます。
私の義理の兄も非常にお金儲けの下手な人です。そして騙されやすいタイプです。以前、バンコクでタクシーに乗って友人の家に行こうとした時です。こちらが地理に不案内だとみるとタクシーの運転手はわざと回り道して、人に尋ねたらいいのにちゃんと聞きもしないで料金を高くしようとしているのです。やっと目的地に着いたら、メーターはかなり回っていて義理の姉や妻は怒っていました。それなのに義理の兄は「コープ・クン・マーク」(どうもありがとう)と言ったのですから、義理の姉が怒っていました。どうしてありがとうなの、あの人は道を知っていたのにわざと知らないふりしてメーターを稼いでいたでしょう。どうしてそれがわからないの? 義理の兄いわく 「一生懸命、道をさがしていたようだったから」
ああ、この人は一生お金持ちにはなれないな、だけど人を騙したりする人ではないなと思いました。華僑といっても色々な人がいると思いました。インドネシアのスハルトについた 華僑からバンコクの義理の兄まで。ステレオタイプで見てはいけないと感じました。
タイ人の微笑み
昔、JVCのボランティアではじめてタイに行った時の話です。20年以上も前のことです。アランヤプラテートで日本人のボランティアがタイ人の強盗に殺される事件がありました。その時に御葬式がバンコクのお寺であって、その時のことです。中国系のタイ人が御葬式に参加していて、私から見ると彼らの態度がヘラヘラしていて不謹慎に思えたのです。そのことを20年たったあと、友人でタイでビジネスをしている人にきいてみまし
た。どうも私の印象が誤解だったようです。タイ人がそのような場で見せる態度は決して日本流の不謹慎ではなく彼ら流のやさしさだったようです。どうも日本人はシリアス過ぎるようです。そういった場所ではわざと悲しそうな顔をしなければいけない、逆にタイ人はその場の雰囲気を考えて日本人からみるとヘラヘラしているような感じになったのかもしれません。
ラオスに来る日本人で、タイ人はわりかしピシッとしているけれど、ラオス人はヘラヘラしている感じだと言っていたのを覚えています。ラオスとタイとを比較してみてラオスの方がまだ緩やかなのでしょうか。それと日本ではヘラヘラしているのはよくないようである。
25年以上前のことであるが、ある女性に「村山くんは何かヘラヘラしていて嫌だ」といわれたことがある。それで思い出したがこの前、自分が通訳しているビデオを後で見せてもらった。画面で見る自分を見てみて「あーやっぱりヘラヘラしている」と思った。ということでヘラヘラ明雄は日本人と結婚できなかったのかもしれない。
さてお葬式でのエピソードだがその後、ビエンチャンで義理の母が死んだ時のことです。ある人にそのことを伝えに行ったのだが、その人はお通夜にもお葬式にも来てくれなかった。普通ラオスのお通夜は日本のように一日ではなく何夜もやる。忙しくても一晩くらいはいけるはずなのだが。ということでわざわざ日本のボランティアが亡くなったお通夜に来てくれたタイ人のほうがずっとやさしい人だったと今になってわかったしだいである。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著