メコン圏と大東亜戦争関連書籍 第1回「ビルマ大ジャングル戦」(服部卓四郎 閲、秋永芳郎 著 )

メコン圏と大東亜戦争関連書籍 第1回「ビルマ大ジャングル戦」(服部卓四郎 閲、秋永芳郎 著 )


「ビルマ大ジャングル戦」<物語太平洋戦争・2>服部卓四郎 閲、秋永芳郎 著 、鱒(ます)書房、1956年6月発行)

著者略歴:秋永 芳郎(あきなが・よしろう)
関西学院大学(旧制)に学び、毎日新聞記者を経て作家となる。昭和16年、航空小説「翼の人々」により第1回航空文学賞受賞。太平洋戦争には陸軍に徴用され、第3飛行集団づき報道班員としてマレー作戦に従軍した。戦後、地方新聞小説に主力を注ぎ「柔道開眼」「虹の階段」「異人館の女」などの著書がある。(本書紹介文より。1956年発刊当時)

本書は、鱒書房による「物語太平洋戦争」(全6巻)シリーズの第2巻で、終戦後11年目の昭和31年(1956年)、定価220円で刊行された。この出版社は、昭和20年8月設立され、故・増永善吉社長が、敗戦にいたる昭和の裏面史の出版企画を敗戦と同時に考え刊行された『旋風二十年』(著者は森正蔵 氏)は、戦後の1946年の大ベストセラーとなった。(その後、同社は諸事情により、社名を変え、現在はアダルト出版を手がけるビデオ出版になっている)。本書の著者は、太平洋戦争時、陸軍に徴用され、報道班員としてマレー作戦に従事した人であるが、大本営参謀だった服部卓四郎氏の名前が、本書の閲として挙げられている。

 マレー半島の側背ということから南方要域の北の拠点として大切なところであり、また中国に対する援蒋ルートを切断し、一方ではインドに対する対英離反工作をうながすという、大きな政略的な意義を持ったビルマ作戦。本書では、このビルマ戦線について、タイ進駐から南部ビルマへの侵攻の最初の時期から、1945年7月の敵中突破のシッタン渡河までと、ビルマ戦の推移・全貌がつかめる。

 第15軍(第33師団・第55師団)の軍司令官・飯田祥二郎中将は昭和16年12月9日バンコクに入り、そこでぞくぞくと到着してくる部下各部隊を掌握。まず第55師団の主力部隊をビルマ国境に近いラーヘン、メソット間に、その一部をカンチャナブリ西方地区に集積させ、昭和17年1月10日、海路バンコクに上陸した第33師団をラーヘン付近に集結させた。すみやかに南部ビルマに侵攻する作戦をきめ、第55師団、歩兵第112連隊の一部からなる沖支隊は、昭和17年1月4日、国境を出発し、カンチャナブリー方面からタボイに向かい、第55師団の主力は、メソット付近から国境を突破してモールメンへ向かい、第33師団は第55師団につづいてパアーン方面に前進した。

 このように開始された南部ビルマ攻略は、沖支隊が昭和17年1月19日タボイを占領、第55師団主力は昭和17年1月22日カウカレーを占領、1月31日モールメンを占領、第33師団は2月4日パアーンを占領した。飯田軍司令官はモールメンが落ちると第55師団と第33師団に対し、すみやかにラングーンを攻略するよう命じた。サルウィン河、シッタン河を渡って第33師団主力は首都ラングーンを攻略。昭和17年3月8日ラングーンを占領し、飯田軍司令官は、3月9日ラングーンに入城した。一方第55師団は3月7日ペグーを占領した。

 ラングーンが陥ちると、第15軍司令部では、中部および北部ビルマ作戦を進め、マレー方面の作戦も終わり第15軍は第18師団、第56師団をあらたにその指揮下に加え兵力は充実しつつあり(第56師団は1942年3月25日ラングーン上陸、第18師団は1942年4月8日ラングーン上陸)、各兵団は北進行動を続けた。第56師団は1942年4月29日、援蒋物資輸送の要地で罹卓英の率いる重慶軍ビルマ遠征第一路軍が駐屯していたラシオを占領、第18師団は1942年5月1日、中部ビルマの要衝マンダレーを占領した。そして第56師団主力はビルマ国境を越えて雲南に入り、1942年5月5日怒江(サルウィン河の上流)の線に達し、援蒋ルートの動脈ともいうべき恵通橋を爆破した。こうしてビルマ作戦開始以来たったの半年で、ビルマの要衝は日本軍の領有に帰す事になった。

 こうして全ビルマを支配下におきビルマ防衛にあたるが、米英支連合軍の大反攻作戦が開始されるに至り、日本軍の勢いの良かった当初の戦況の様相はガラリと一変する。本書でも、第18師団(田中新一中将が師団長)が奮戦したフーコン地区の死闘、第56師団の歩兵団長水上源蔵少将が悲壮の自決を遂げることとなったミートキーナ篭城戦、拉孟、騰越の守備隊が玉砕する雲南地区での戦闘、牟田口軍司令官率いる第15軍の3個師団(第31師団、第15師団、第33師団)によるインパール作戦の悲劇、シッタン突破作戦と、悲劇の戦闘についても、本書の半分以上と十分に頁を割いて述べられている。

 本書では全般的に日本軍の将兵のすさまじい敢闘精神、強靭な精神力、厳しい軍規を称える記述が随所にみられる。また、本書の他の特色としては、以下の通りいろんな人の手記・日記などがかなりのページにわたって引用されていることであろう。

◆第55師団の長谷川部隊について、ジャングル行軍をともにした若林陸軍報道班員の手記 本書12頁~25頁 <1941年1月19日~1942年1月24日>
◆モールメンを攻略した宇野部隊の本庄勢兵衛大尉の戦闘日記  本書25頁~45頁 <1941年1月29日~1941年2月10日>
◆第33師団の中隊長・本庄大尉の戦闘日記  本書57頁~68頁<1941年5月28日~1941年6月1日>
◆中国中央日報の従軍記者としてマインカンの戦闘に参加した張仁中氏の手記  本書98頁~99頁
◆ビルマ方面軍参謀 後(うしろ)少佐のインパール作戦に関する回想録  本書148頁~149頁
◆インパール作戦に加わる第31師団に従軍した記者による従軍記  本書150頁~153頁
◆インパール作戦での第15師団の進撃ぶりを読売新聞の飯塚正次氏が伝える  本書154頁~157頁
◆第31師団の伊藤挺身隊の戦闘報告  伊藤挺身隊が、インパール=コヒマ道路上のミッション北方のカンチッププールの英印軍水源地を爆破した1ヶ月間の戦闘経過報告 本書161頁~165頁
◆山本支隊の一員であったS軍曹の体験談  本書197頁~202頁
◆当時ビルマ方面軍後方参謀であった後(うしろ)少佐の回想録  本書209頁~210頁
◆東条参謀総長が秦参謀次長をたしなめた場面に列席していた大本営参謀 種村大佐の回想 本書210頁~211頁
◆辻政信第33軍参謀の日記  本書231頁~235頁

ビルマ戦線の記録であり、厳しいジャングルを抜けたり、サルウィン河、シッタン河、チンドウィン河など、いろんな川を渡る場面も多いが、戦略的に重要だったビルマ各地の町では激しい攻防戦が繰り広げられる。そのような土地の戦略重要性はまた興味深い。たとえばアキャブ。アラカン山脈の西側にあるベンガル湾沿いの狭い土地であるが、日本軍から言えば、海陸両方から併行してインドに侵攻するときには、この地があればたやすく攻略でき、英印軍からいえば、当時海上勢力が不十分であったから、ビルマ中心部に向け反攻するには、この地が最も大切な場所であった。それにアキャブ付近には、飛行基地にめぐまれ、また船舶を入れる港がいくつもあった。また、ミートキーナでは、凄惨な攻防戦が1944年5月から80日間にわたり繰り広げられたが、ミートキーナは、イラワジ河とミートキーナ鉄道の終点が交叉するところにあり、北ビルマにおける印支空地連絡上大切なところで、またバーモ、ナンカンを経て滇緬公路につらなり、あるいは瑞麗河谷、騰越を経て保山に至るなど、印支地上交通路の要害でもあった。

 本書には、第33師団、第55師団、第18師団、第56師団による1942年前半の”ビルマ方面作戦要図”が記されており、各師団がどういうルートでいつビルマ各地を転戦していったかがわかるようになっている。この地図以外にさらに第1次アキャッブ作戦要図”(昭和18年1月~昭和18年5月)付きの”ビルマ方面彼我の態勢要図”(昭和18年1月~4月まで)及び”北ビルマ方面作戦要図”(昭和19年5月~12月)がついており、日本軍の転進経路とともに英印軍・中国のビルマ遠征軍・米支軍・英空挺兵団の進攻経路が地図上で理解できる。

本書の目次
ヒルの雨を浴びて進撃
岩を削って道つくり
白塔、赤塔の激戦
首都ラングーン陥落
壮烈、マン会戦
無気味なライ患者の町
軍神、アキャブに散る
第一次アキャブ作戦
ビルマ方面軍新設
フーコンの死闘
魔の谷の殺気
第十八師団退却
ミートキーナ篭城戦
雲南地区の玉砕戦闘
片手、片足の守兵
騰越守備隊も玉砕
恨みのむハ号作戦
死のインパール作戦
トンザンの包囲戦
英印軍水源地爆破
敵はチーズとバター
魔の雨の中の激戦
三師団長を更迭
ついに退却作戦に転ず
モレーの死の門
ジンギスカンの夢破る
日本、暗雲にとざさる
盤決戦も利あらず
印支ルート再開
ラングーン奪取さる
死のシッタン渡河
あとがき

本書で紹介されている軍人と部隊の一部

加藤健夫 中佐(1903年9月-1942年5月)
明治36年9月、屯田兵二等軍曹として北海道開拓に従事した鉄蔵の二男として北海道上川郡旭川村に生れた。父・鉄蔵は日露戦役に召集され、乃木第3軍に従い奉天会戦に参加、大寒屯に戦死。父の感化からか、幼少より軍人を希望してやまなかったという。支那事変勃発とともに北支各地に転戦、感状をうけること3回、大東亜戦争勃発とともにマレー、スマトラ、ジャワ、ビルマに転戦、感状をうけること4回、加藤部隊の撃墜機数は2百数十を算し、陸鷲の至宝として、高邁なる人格とともに上下の信頼が厚かった。陸士・陸大専科卒。飛行第二大隊中隊長として日中戦争で活躍。太平洋戦争では飛行第64戦隊長となり、一式戦闘機「隼」で編成された加藤隼戦闘隊を指揮して戦果を重ねたが、昭和17年5月22日ベンガル湾上空で戦死。太平洋戦争初期に南方戦線で活躍した加藤健夫中佐率いる陸軍飛行第64戦隊。通称「加藤隼戦闘隊」 戦死後2階級特進で少将、軍神とされる。

●長橋部隊の奮戦
1943年10月30日、第18師団の一捜索中隊が、突如、兵力不明の中国軍と衝突。両軍衝突のしらせをうけた田中新一中将(第18師団長)は、これを撃破するために、まず南部フーコンの第56連隊に急進を命じた。両軍が衝突した地点はチンドウィン河の支流でフーコン峡谷の奥深く切れ込んでいるタロー河畔。交戦した相手は、アッサムで米軍式訓練をうけた孫立人の中国軍一個軍(2個師)のうちの第38師団。強大な米軍工兵のほか歩兵部隊、戦車部隊、衛生部隊によって補強せられ、その補給は米空軍によって行なわれていた。第56連隊は、敵の挟撃をうけて苦戦におちいったので、カラム、マインカンに後退し、戦死傷者が相次いだ。この中で、長橋中佐を長として各部隊から適任の者をえらびだし編成した大謀略部隊であった長橋部隊は、タロ平地の原住民工作中、中国軍の攻撃をうけ、孤立無援のまま1ヶ月ものあいだ惨烈な戦闘をくりかえしながら、ジャングルの中の孤島にもひとしいマインカンの一部落を守りつづけた。

宮崎兵団長
インパール作戦にあたり、コヒマの惨烈ナ戦線でたたかった勇将で、1945年5月下旬、率いる兵兵団は、カマ付近でイラワジ河を強行渡河し、敵の包囲を突破する。

●桜井徳太郎少将
かつて日華事変当初の険悪な空気の中で排日機運の最もつよい中国第29軍の軍事顧問をつとめあげた経験があり、ビルマ戦線では第55師団の歩兵旅団長(桜支隊)としてアラカン戦線で勇猛ぶりを発揮した猛将。1945年2月、ビルマ国防軍最高顧問沢本理吉郎少将にかわって就任。

干城部隊
歩兵第112連隊、野戦重砲兵第5連隊第1大隊、同第3連隊第2中隊、南方軍築城部ビルマ地区工事隊、独立工兵第6,7中隊、第55師団集成自動車小隊、同防疫給水部の一部、同衛生隊の一部より成る。部隊長古谷朔郎。干城部隊はボパ山付近の要域を確保し、来攻する敵を撃砕せよとの命を受け、あらゆる困難にたえながら陣地を構築し、1945年3月下旬、ニヤング、ピンビンおよびメークテーラの3方面から攻撃してきた優勢な敵の機甲部隊と激戦をまじえて、1歩も陣地に入れず、出でては独特の斬込み戦をもって敵をなやまし、大きな戦果をあげつつ、敵の正面を押さえた。1945年4月下旬、敵が大攻撃を行って、前以上の大部隊により、砲爆撃を加え、機甲部隊で突撃してくると、これを敢然と何度もしりぞけ、大損害を与えつつ、2旬以上もボパ山陣地で頑張りつづけた。この方面の戦闘は、エナンジョン油田地帯に対する敵の進攻作戦をおくらせ、また一方ではラングーン、マンダレー街道を敗走しつつあった方面軍主力の側背をまもるという大きな意義があり、同地を死守した干城部隊の力戦苦闘は桜井軍司令官を感激させ、のち感状を授与された。

向井芳雄大佐の率いる独立歩兵第542大隊
1945年3月上旬、独立混成第72旅団が二ヤング方面を攻撃しはじめると、同大隊は旅団の中縦隊となってミランビヤ付近に進出し、空爆にさらされながら、何度も来襲する20数輌の敵戦車隊と一個旅団の大敵を向こうにまわして死闘をつづけ、その激戦は10日に及んだ。が、向井大隊は寸土もゆずらず、最後には隊長以下十数名になるほど損害をうけたが、それでもなお強硬に頑張りつづけて、その任務を全うした。この部隊はさらにチョーク油田地帯の確保を命ぜられ、ここでも死闘をつづけて、第72旅団の作戦を助け、その手柄は全部隊がそれをみとめた。のち桜井軍司令官より感状を受く。

桜井省三中将
第28軍(策兵団)司令官

北村久寿雄中尉
第55師団の中尉。かつてロスアンゼルスのオリンピック大会で1500mに優勝した水の王者で、安全な渡河点をさぐるための河川偵察で活躍

物語太平洋戦争<全6巻> 鱒書房・刊 《出版社による宣伝文》
はじめて世に伝える正確貴重な太平洋戦争の真の全貌!
昭和16年12月8日 それは日本にとって歴史の朝であったし、米英はもちろん、世界の歴史の朝でもあった。その日から4年間、世界は大旋回をつづけたのだ。その歴史の大旋回の中で、われわれの父は、子は、兄弟たちは、どんな姿で”愛国の道”を歩んできたのだろうか。その真の姿を伝えるために、本書は正確豊富な史料にもとづいて編まれた最初の貴重な秘録である!

●第1巻  ハワイ・マレー沖海戦   マレー電撃戦
開戦と同時に、ハワイに、マレーに飛び立った海の荒鷲たちとマレー半島席巻の進撃!
●第3巻  比島攻防戦
激戦コレヒドール島、バターン半島死の進撃! そして南海の大空に繰りひろげられる凄絶果敢な一大空中戦絵巻!
●第4巻  南太平洋の激戦
ソロモン海戦をはじめ、ガダルカナル島の死闘、ミッドウェイ、グアムに激突する日米海軍主力艦隊阿修羅の血闘!
●第5巻  中部太平洋玉砕戦
サイパンに、硫黄島に、そして沖縄に、島容変る大激戦!悲愴痛哭、涙なくしては読むことのできぬ玉砕部隊の最後!
●第6巻 B29迎撃戦
本土に来襲するB29の大編隊を迎えて寡兵よく奮戦する空の荒鷲の勇士!そしてアツツ、キスカに展開する血戦!

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