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メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第29回「ナガランドを探しに」(坂本由美子 著)
メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第29回「ナガランドを探しに」(坂本由美子 著)
「ナガランドを探しに」(坂本由美子 著、社会評論社、1995年12月発行)
<著者紹介>
坂本 由美子(さかもと ゆみこ)<発行掲載時、本書紹介より>
1963年東京生まれ。武蔵野美術短期大学美術科卒業。文化財修復の仕事を経て、1987年に初めてインドを訪ね、3度目の旅でナガランドに入る。現在(本書発刊当時)、日本とナガの2つの名前を持つ1児の母。長崎で染色の仕事をしている。
本書の著者で1963年生まれの坂本由美子さんは、20代前半の1987年に初めてインドを旅し、1年後の1988年インド滞在中の旅先にて、偶然、一人のナガランド人のおじさん「アンクル」と出会い「ナガランド」という名前を耳にする。ナガランド人「アンクル」とその周りの人たちと家族と呼ぶほどに親密になり、それまで、まったく聞いたこともなかったその国に対して、その後、深く関わっていくことになる。当時、激化する独立戦争の影響で入国規制やメディア規制があった中、ナガランドの人達の協力のもとに、何十年も外国人の出入りを禁じられていたナガランドの地に、1989年には潜入実現。1995年12月刊行の本書『ナガランドを探して』は、著者の「ナガランド」との奇妙な出会いから、1988年の貴重なナガランド潜入の旅、そしてその旅の後も続くナガランドとの交流を綴った紀行文。
インド北東部に位置するナガランドそのものについての説明は、本書の第2部冒頭にまとめて紹介され、ナガの言葉について、宗教、農業、ナガの衣食住と芸能,食べもの、衣服と装飾について述べられている。また、見開き8ページにわたり、著者のナガランド潜入に同行することとなった著者の後の伴侶・坂本浩人さんの手になるナガの村と人々の生活の様子を詳細に著したイラストが掲載され、第2部の終わりには、下記の「ナガランド小史」も付されている。本書の帯の裏面には、「ナガランドってどんな国?」「ナガ人ってどんな人たち?」「ナガランドの意味は?」「ナガランドってどんな国?」と、まずは基礎知識の簡単な紹介文を掲載。
本書刊行時(1995年)現在、「ナガランド」は、インド連邦の州の一つとなっているが、インド政府軍の駐留、弾圧を受け、外国人の出入りは禁じられている紛争地とされていて、本来ナガ族は、この地域の先住民であり、独立した民族のため、インドからの独立運動を何十年も続けていて、インド政府軍の弾圧下で、メディアも何もかも閉ざされている。尚、ナガには様々な武装勢力があり、長年の分離独立運動が続いたものの、その後、1990年代後半からインド政府との対話が開始され、1997年8月には一部勢力と停戦合意、2015年8月には、インド政府との間で暫定和平協定に大枠合意がされ、和平に向けた動きは見られたものの、和平完全実現にはまだ課題が残っているようだ。また長年のナガランドへの外国人入域制限も、2011年に一部緩和が行われた。
<*本書の帯の裏面文章より>
●ナガランドってどんな国? 東にビルマ、北にチベット、西にブータンやバングラデシュが隣接する標高
2000mの山岳地帯。日本では戦時下の「インパール作戦」でよく知られている。
●ナガ人ってどんな人たち? ナガランド州には16の部族が住んでいるが、すべてチベット・ビルマ語族のモンゴロイド。だがら顔も日本人に似た人が多く、主食も米。各部族が独自の言語を話すため共通語は英語。宗教は90%以上がキリスト教である。
●ナガランドの意味は? 説は様々あるが、平地に住むアッサム人が「山」を意味する「ナガ」を山に住む人々に使っていた呼称。また、イギリスが19世紀にナガ高原地帯を植民地にした時にアッサムの呼称から「ナガランド」と地方名をつけた。(ナガという部族名はない)
●ナガランドってどんな国? インド連邦下でナガランド州となっているが、インド政府軍の駐留、弾圧を受け、外国人の出入りは禁じられている。(*本書発刊当時)
■ナガランド小史 (本書掲載、本書発行1995年時点)
・1839年:イギリス軍のナガランドへの攻撃始まる
・1881年:イギリスの統治下に入る。
・1929年:イギリス政府はジョン・シモン調査団をナガランドに派遣した。将来、イギリスがインドから、撤退した際に、ナガ人は、インドに加わる意思があるか否かを諮問した。ナガランド側は、覚書を提出して独立を要求した。
・1944年:日本軍がコヒマに進駐した。イギリス連合軍対日本軍の凄絶な戦い。
・1947年:イギリス撤退。インド独立。ナガ派遣団はニューデリーで、マハトマ・ガンジーに会い、ナガランドの独立を伝えた。ガンジーはその独立に賛意を表し、もし、インド政府が暴力を用いて弾圧するならば、自分の生命をナガ人に委ねると約束した。
・1948年:ガンジー暗殺される。
・1951年:国民投票で99%のナガ人が独立を希望。インド政府は、10万人の政府軍を送り込み、弾圧した。
・1952年:インドが独立国として初の総選挙始まる。(このとき、ナガは含まれない)
・1953年:インドのネール首相とビルマのヌー首相が、コヒマで会談。ナガの分割統治始まる。
・1954年:インド政府軍による大量虐殺始まる。
・1986年:コヒマで学生の抗議デモに政府軍が発砲し、100人近い死傷者がでる。
長年の分離独立運動が続き厳しい入域制限が続くインド東北部の先住少数民族地域への潜入記と思うと、厳しく重々しい文調で綴られていくのかと思いきや、20代の若い女性による、軽やかでユーモアあふれ、人間的な付き合い感情あふれる親しみやすく読みやすい紀行文。前書きに著者が書いているように、1988年当時でのナガランド潜入という希少な旅経験についても、著者自身、文化人類学者ではないし、冒険家でもなく、ましてやジャーナリストでもなく、民族学的見地から興味を抱いたわけでも、未開の地を踏破したかったわけでもなく、ただ、自分のもう一つの家族や友人たちが自分には想像もつかない世界で悲惨な目に遭っているなら、その現実をこの目で見ておくべきだと思ったと語っているのだが、その思い切りが良いタフな行動力には驚嘆する。
著者がナガランドと出会うそもそものきっかけは、20代前半の著者が、美大を卒業して、文化財の修復や、近所の子供たちを集めての図工教室やらボランティアなどをしながらも、何かがたりないような日常生活を送っていたが、ある日突然、無性に旅がしてみたくなり、1987年2月に初インド(タイ、ネパールも含む)を約1か月半旅し、1年後の1988年、もう一度インドに、それも1年前と同じ場所に行きたくなる。この2回目のインド滞在中の旅先にて、偶然、奇妙な出来事から、一人のナガランド人のおじさん「アンクル」と北インドの街で出会い、奇妙な出会いから、ナガランドという「国」を知り、北インドの街でのナガ人のおじさんの家に居候することになってしまう。この居候してしまう著者の行動にも驚くが、更に、このおじさんは、ナガランドの反政府グループの指導者だったが今は国を離れてこの北インドの街の家をアジトにしているらしい事にもビックリ。
それから、チベット難民キャンプに、チベット式糸の紡ぎ方を習いに何度も通いながらも、ナガランド人のおじさん「アンクル」の家での居候生活で、ナガランド人「アンクル」とその妻「アンティ」や「アンティ」の弟「サキ」たち周りの人たちと、家族と呼ぶほどに親密になって様子が、「第1部 インドへの旅」の大部分に綴られる。一緒に暮らす中での交流は、時には微笑ましく暖かく、時にはハッとする会話があり、ナガランドの置かれた厳しい現実や歴史を知り理解を深めていくことにものになっていく。
この約2ヶ月の2度目のインドの旅を終え日本に帰国した著者は、気がぬけたようになって、何もする気がしなくなっていき、頭の中はナガランドのことで一杯で、かといってどうすることもできず、悶々とする日々を過ごしていたという。この間、ナガランドやインドのことで、1936年生まれの著名なクリエィティブディレクター・小池一子さん(1936年~)が銀座の西武百貨店で「ナガランド展」コーディネーターとして、また、1944年生まれの彫刻家・三上浩さんとも接点が生まれていることも面白い。そして、とうとう、著者は、ナガランド人の「アンクル」に手紙を書いて、「自分はナガランドに行きたい。本当に入れるものなら、ぜひ行って、この目でナガランドが見てみたい。私を一緒に連れて行ってもらえないだろうか」と懇願する。
そして1989年初に、3度目のインドの旅で、ナガランドの地に入ることとなる。わずか1年前の1988年初に、それまでまったく聞いたこともなかったナガランドに対して、ここまで一気に深く入っていく著者の純粋さ、若さ、気持ちの強さ、行動力などに驚くが、さらに、これまで著者のインドへの旅に毎回強く大反対する交際相手のサカモト君がナガランドに同行するという条件で著者のナガランド入りを認めるという展開もなかなか凄い話。北インドの街からバスや汽車を乗り継ぎ警察のチェックも回避しながらのナガランド潜入行きの様子もハラハラするが、やはり、10日間余りの日程ではあったが、ナガランドの州都コヒマやディマプールだけでなく、ナガランドの文化が色濃く残るいくつかの村も歩き回ることが出来、1989年時点でのナガランドの村の訪問の記録は、いろいろと写真も掲載されていて貴重な内容。
本書の紀行文は、1989年時点で大変希少となるナガランド探訪記では終わりとならずに、帰国後も続く、ナガランドとの交流、ナガランドが取り持つ出来事や人との出会いなどと、文章が更に続く。北インドでナガランドの事を初めて知った1年前の2度目のインドの旅からの帰国後は、ナガランドのことで頭がいっぱいでナガランドをもっと知りたい、理解したいという気持ちが行動の源泉だったようだが、ナガランド訪問の3度目のインドの旅からの帰国後は、ナガランドを日本で紹介していかねばという気持ちが強くなったようだ。そして、1990年春、ナガランドに同行したサカモト君と結婚をし東京から長崎に移り住むことを経て、ナガランドの旅から2年後の1991年に、日本で写真展や講演会を行うために、ナガランド人の「アンクル」おじさん(アンガミ族)と、「アンクル」おじさんの妻の「アンティ」(アオ族)の2人を日本に招くまでに至る。
ただ、ここで、ナガランド人の2人を日本に招いて、それで暖かい友情交流の話として終わることはなく、「アンクル」おじさんが来日後、しばらくして「いったい、いつまでここでのんびりしていればいいいのだ。私の国の人々に、日本に行って何をしてきたと聞かれた時、なんと言えばいいのだ! ただ遊んできたとは言えない」とイラ立ちをぶつける場面には、「ナガランド」の置かれた厳しさを強く突き付けられる。更に、”親愛なるユミコ ナガランドの状況は最悪です。そして日に日に悪化しています。”と始まるアンティから一通の手紙が1995年2月に届いたとして、ナガランドの現状を伝える手紙の全文で、著者あとがきに入る前の最後の文を〆ている。
なお、本書は、社会評論社の【ちいさなところから世界を見つめる本のシリーズ】第3弾として、1995年12月に刊行されているが、このシリーズは。”先住民は昔から、その地に生まれ、育ち、暮らしていました。自然の恵みに育まれ、現代人の失いつつある、豊かな精神世界や文化を持っています。それなのに国際政治に翻弄され住むところを追われることになった少数民族の人々。彼らと長く一緒に過ごしてきた人々が、力強く、感動的に描く等身大の話をお届けします。”というもので、シリーズ第1弾は、ラオスのモン(Hmong)族のことで「空の民の子どもたち」(安井清子 著)、シリーズ第2弾は、チベット族のことで「ぼくのチベット・レッスン」(長田幸康 著)。
目次
まえがき
1.インドへの旅
遠距離恋愛とインドへの旅/ 2度目のインド、だまされた牧野さん救出作戦/ アンクルとの出会い/ アンクルから聞いた初めてのナガランド/ チベッタンキャンプのおばさんたち/ いつのまにかアンクルの娘になっていた/ 「娘」離れできないアンクル?/ 3人の生活は楽しくて愉快だった/ 「インドはデモクラシーじゃない・・・」/ アンクルの友人たち/ 食卓のごちそうとアンティとの出会い/ ダニのかゆさとサキのおきみやげ/ 「家族」の愛情/ 子犬のオーナー/ アンティのつぶやき/ ニガウリのこげめ/ ポチの行き先/ 再びチベッタンキャンプヘ/ とうとう別れの朝がきた
2.ナガランドへの旅
ナガランドという「国」/ ナガの衣食住と芸能/ 「ナガランド展」のナガランド/ ナガランド行き志願/ 三度目の正直? ナガランドへの旅/ けんかばかりの日々/ カレンダー作りのひさびさのチベッタンキャンプ/ 私とナガのかけ橋だったポチ/ コピールの散髪とおこづかい
3.ナガランド潜入
ナガランド行き前夜の葛藤/ 「サト」と「ナルロ」のナガランド潜入/ なんとかアンティの家に無事着いた!/ ナガファイヤーマンとの再会/ コヒマに着いて「インパール作戦」を考えた/ 最悪のなかの二件のディナー招待/ 初めてのナガランドの村/ モラングの青年たちの出迎えの歌と踊り/ ミトン牛との不思議な出会い/ ナガの女たち/ かいまみたナガの平和な日々/ みんなが笑う「マドンナ」/ 雨が降っているのはアンクルがお母さんに会うのを守っているから・・・/ アンクルのお母さん/ 村で見つけたナガの酒の作り方/ ナガのビジネスマン/ ナガランドを去る日/ 帰りのバスの中のけんかおさめ/ ナガランドがとりもったサトとの結婚/ アンクルたちが日本にやって来る!/ 我が家にやってきたアンクルとアンティ/ アンクルの苦悩と願い/ ジャーナリストや知識人との”有意義”な話し合い/ 「もしこの先、ナガが平和になったら・・・」
あとがき
ナガマップ
ナガイラスト
ナガ小史
主な登場人物(*ナガランドの人々の安全のため、人名や地名は一部、仮名)
・ユミコ(著者)
・サカモト君(著者の彼氏で後に結婚。東京の美大で出会い、卒業後、実家の長崎で生活)
・「アンクル」(ナガ人のおじさん。アンガミ族)
・「アンティ」(「アンクル」の妻。アオ族)
・「ナガファイヤーマン」(コヒマ在住)
・「サキ」(「アンティ」の弟)
・ルベル(「アンクル」と同じ組織メンバーのナガ人男性)
・トンゾック(アンクルの12歳の甥)
・ナローラ(アンティの妹の娘)
・イサク(「アンティ」の弟)
・ワチバ(「サキ」の長男)
・中尾さん(最初のインド旅の女性同行者で学生。都内のインド楽器店で著者が出会う)
・牧野さん(著者の会社の同僚の女性)
・西川さん(著者の2度目のインドの旅で同宿する貧乏一人旅をしていた日本人女性)
・インド人女性(北インドでの「アンクル」の借家の大家)
・コマラ(北インドでの「アンクル」の借家の大家のインド人の高校生の娘)
・コピール(北インドでの「アンクル」の借家のインド人大家の母娘の使用人の少年)
・チリディキおばさん(チベッタンキャンプ)
・「アンクル」の知人の北インド在住アメリカ人の女性(長年、インドで看護婦)
・北インドの「アンクル」の家から塀の向こうに見える掘立て小屋に住む家族
・小池一子さん(銀座の西武百貨店での「ナガランド展」コーディネイター)
・三上浩さん(彫刻家)
・京都の若山さん(教師を辞めてから世界中を旅してインドにも詳しいおじいさん)
・東さん(若山さんの知人で、パレスチナ問題やビルマのカレン民族のアドバイザーなど)