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メコン圏の視点:政治・国際関係
【1998年5月執筆「バンコク週報」初出掲載:清水英明】(*2023年初、本サイトのリニューアル再開に際し、改訂版掲載は整理中。開設時の視点はそのまま再掲載)
政治・国際関係
注目される拡大アセアンの機能と中国の東南アジアでの影響力
1967年設立の東南アジア諸国連合(アセアン)は、1995年にベトナムが加盟し、1997年には、ラオス、ミャンマーの加盟を認め、9カ国体制に拡大した。1997年の外相会議で見送られたカンボジアの加盟も、1998年12月ハノイで開かれる首脳会議までに決定される見込みだ。(注:1999年4月、カンボジアのアセアン正式加盟が認められ、10カ国体制に移行した。) 1975年のインドシナ諸国の共産化の際には、原加盟国間で、反共産主義の政治協力強化が図られたこともあったが、名実共に東南アジア全地域の地域協力機構たるべく、冷戦終結後には、インドシナ諸国の積極的な取り込みを行ってきた。国際社会の反対を受けながらも加盟を認めたミャンマーといい、共産党一党独裁を今尚堅持するベトナム・ラオスといい、また政情が不安定なカンボジアといい、政治体制が異なり、経済発展レベルの異なる国を抱え、今後アセアンが従来のように協議し結束しあい、国際的発言力を高め主導的な役割を果たしていけるのか、当面、カンボジア情勢正常化(注:1998年7月に総選挙が開催され、1998年11月には、フンセン氏を首相とする新政府が樹立された。)、民主化弾圧と人権侵害で西側諸国の批判にさらされているミャンマーへの関与、西沙諸島・南沙諸島の南シナ海での紛争、地域経済安定と統合への対応を試金石として、今後の運営展開が注目される。
一方、その対極として、大国・中国の動きが見逃せない。特にアセアン原加盟国が、通貨・経済危機で元気が無い今、南方海上への権益ルート確保とアジアでの影響力を高めるために、この地域各国に対し、経済協力を武器に個別外交を積極化させている。昨年(1997年)10月末には、呉邦国副首相を団長とする政府・経済代表団が、ミャンマー・タイ・ラオス・ベトナムを訪問し、経済関係の強化を図っている。
国境画定、難民、反政府活動拠点の問題などを抱える域内2カ国間関係
近接する2カ国間では、歴史的経緯を引きずり複雑な関係にあり、未だ種々問題を抱えている。まず国境問題が画定しておらず、係争地周辺では、緊張が続いている地域が幾つかある。タイ=ラオス間では、1,810kmの国境を接し、未だタイのピサヌローク県・ウタラディット県の一部を、ラオス側は、サイニャブリー県の一部と主張し係争中。2,100kmの国境を接するタイ=ミャンマーでも、タイ・ターク県メソットのモエィ川で、1993年以降、衝突が絶えない。タイ南部ラノンの対岸の諸島でも領有権が争われている。また政治的混乱や内戦による難民問題がある。特にミャンマー、カンボジア難民がタイに流入している。タイ北西部では、今約10万人と言われるミャンマーからのカレン族難民キャンプがあり、ここがまた親ラングーン政府と見られる民主カレン仏教徒軍(DKBA)によって襲撃されるという事件が続発した。タイ東部にては、カンボジア難民を1975年から1993年まで約30万人以上収容してきたといわれるが、昨年(1997年)7月の武力政変以降の戦闘で、約6万人の難民がタイに流入したと言われる。
近隣諸国への反政府活動が、タイをベースに行われているとされる問題もある。ラオスからのタイへのモン人難民は、約13,000人と報じられているが、タイ・サラブリ県で収容されているモン人難民に反ラオス抵抗勢力が紛れ込み、タイ側が彼らを支援しているとラオス政府は主張してきた。またミャンマーについても、全ビルマ学生民主前線(ABCDF)の本拠がタイであり、他シャンやカレンなどの少数民族の反政府活動もタイを拠点に展開されていると言われる。しかし、過去数世紀、ビルマの少数民族がタイ政府によってタイ=ビルマ間の緩衝として利用されてきたこと、同様にラオスの少数民族やカンボジアのポルポト派も、政治的目的で他国に利用されてきた歴史的経緯は見落とせない。
開放経済改革をすすめる新指導体制下の社会主義諸国
各国の国内政治状況を眺めてみれば、共産党一党独裁体制を堅持しながら経済開放改革をすすめるラオス、ベトナム、中国において指導体制が最近一新した。ラオスでは、1998年2月に、カムタイ新大統領、シサワット新首相が選任された。ベトナムでは、昨年(1997年)9月にチャン・ドク・ルオン新大統領、ファン・バン・カイ新首相が、更に今年(1998年)2月には、レ・カ・フェ新共産党書記長が選任されている。ベトナムでは昨年(1997年)、タイビン省、ドンナイ省にて、大規模な農民デモが発生。中国でも各地で農民暴動が起こり、官僚の汚職と貧富の差が拡大することへの社会不満が大きくなっている。今後、国営企業の効率化等による失業率の増加や治安悪化も心配され、新指導体制の下、改革派と保守派との間で、どういう政策が遂行されていくのかが注目される。ミャンマーについては昨年(1997年)11月、統治組織の国家法秩序回復評議会が国家平和発展評議会に改組された。昨年(1997年)アセアンへの加盟を果たし、日本・中国との関係も緊密ではあるが、経済制裁を続ける欧米等の西側諸国との関係をどう改善していくのか先が見えていない。軍事政権から民政への移管の方法とタイムスケジュールも未だ示されていない。カンボジアでは、今年(1998年)7月26日に、5年ぶりの総選挙が予定されているが、実施により政情が安定するのかどうか眼が離せない。(注:1998年7月26日総選挙が実施され、その後新政府樹立までには、混乱と政治空白が多少続いたが、1998年11月30日に新政府が発足した。)