第15信「ラオス人の中国語」「桜ちゃんのタイ語」「ラオス人のいじめ」

(2005年4月号掲載)

2005年4月13日

皆さんラオス正月あけましておめでとうございます。
はやいものでお正月の手紙を書いてからもう3ヶ月たってしまいました。この前は日本のお正月でしたが、今度はラオス正月です。時間がたつのはあっという間ですね。ラオスでは毎日暑い日が続いています。皆さんお元気でしょうか。

ラオス人の中国語

寮都の我が家の前で毎朝屋台のおかゆを売っているラオ人のおばさん。(メー・ニー) 彼女はルアンパバン出身の純粋ラオス人、彼女のだんなさんは義理の父の遠い親戚である。つまりおばさんの亭主は客家人(中国人)である。
おばさんは実は客家語ができる。長く旦那さんの両親と一緒に住んでいて覚えたらしい。中国人の家は保守的なのか、自分たちの言葉を大切にするようだ。華僑に嫁いだからにはたとえ中国人でなくても中国語をしゃべらないといけないようである。華僑の一世はラオス語が上手でないので、舅姑と一緒に生活するからには中国語が必要かもしれない。

私の義理の母も同じである。ベトナムのハイフォンに生まれた生粋のベトナム人の彼女は、ラオス華僑の客家人と結婚して中国人になった。結婚して亭主の親戚にベトナム語を禁止されて、義理の母は客家語を覚えたのである。中国とベトナムは仲が悪く、当時のビエンチャンでは中国人の子供とベトナム人の子供のグループがよく喧嘩していたらしい。ひどい時はナイフを使ってチャンバラになったという。そういった環境下で義理の父の親戚から、「子供たちにはベトナム語を教えるな」と禁止されたらしい。

さて、ラオス人のおばあさん(メー・ニーさん)の話しに戻る。亭主の両親は死んでしまったが、おばさん、今でも客家語をしゃべる。旦那のカムおじさんが実は大の酒好き、飲み始めると止まらない。酔いつぶれるまで飲むので奥さんがその前に呼びに来る。「家に帰ろう」(チョ―ン) この時ラオス語ではなく客家語で言う。やはり酔いつぶれた亭主を叱り付けて、早く家にかえろう、というのはラオス語では恥ずかしいらしい。ラオス語だと他の人に聞かれるからだ。

この気持ち、私もよくわかる。「お金ある?」「おしっこに行く」などの会話は場合によっては他のラオス人には聞かれたくないものです。そういった場合は我々夫婦の会話は中国語にスイッチする。例えば在日の韓国人と結婚した人でこういうケースはあるのだろうか?在日の場合はもう何世にもなっているようなので、義理の両親と一緒に生活することもないだろうから、ラオス華僑みたいなことはないだろう。しかしラオスは日本と違ってラオスに住んでいてもラオス語をしゃべらなくても許される、そういった社会の余裕があるようだ。逆に日本は、ここは日本だから日本語を喋りなさい、日本の習慣に従いなさい、そういった硬直した社会に思える。

さてベトナム人の母親、中国人の父親に生まれた私の妻、去年アメリカの華僑と結婚した14番目の姉妹、亮亮の話をしをしよう。前述したように御母さんは純粋のベトナム人だったのに御母さんからベトナム語を習っていない。家庭では中国語で育ったのでベトナム語は全然出来ない。ところが結婚してアメリカのカリフォルニアに行き思ったこと「しまった、御母さんがベトナム語を教えてくれたら」
彼女が住んでいるアメリカのカリフォルニア州はベトナム人が多い。特に彼女の家はベトナムコミュニティーにある。ベトナム語ができれば仕事もすぐに就ける。おまけにお母さんがベトナム人なので顔をみればよくベトナム人に間違われる。アメリカには中国人もいるのだが、ベトナム人が多いところに住んでいるのでベトナム語ができたほうが有利である。

というわけで、後で振り返ってみれば変な民族主義などに拘らないで、ベトナム語を勉強していればよかった。後悔したわけだ。どんな小さな少数民族の言葉であってもできれば絶対にいい。それにより友達も増えて仕事の機会も増えるからだ。特にお母さんの言葉、母国語であるから今になって後悔の念にかられるのである。

桜ちゃんのタイ語

2階の部屋で仕事をしていて、お茶でも飲もうかと思って下に降りたら、聞こえてくるのはタイ語。ここは日本人の家だしタイ人が遊びに来たのだろうか。よく見ると愛娘の櫻ちゃん(9歳)と、裏のケオおばさんの娘(14歳)がお人形の着せ替え遊びをしているではないか。彼女たちが喋っているのはラオス語ではなくタイ語。お人形に着せ替えして、「泳ぎに行きましょう」というのを「パイ・ワーイナーム・マイ・カー?」なんていうタイ語で喋っている。ケオおばさんの娘に、どうしてラオス語で遊ばないの? と聞いてみた。「ラオス語だと面白くないの、タイ語じゃないとつまらない」たしかにラオスに海はないけれど、タイ語をしゃべるほうが彼女たちにとってカッコいいのかもしれない。

これを妻の淑珍に聞いてみた。彼女が桜ちゃんの年には、まだタイ語ができなかったという。何故なら、子沢山の華僑の家だったので彼女の家にはテレビがなかった。タイ語ができるようになったのは14歳から15歳なってからという。そのころには家にもテレビがはいりタイ語もわかるようになった。おそらくテレビの普及と華僑の家での中国語は相関関係があるかもしれない。またラオス革命後の華僑の海外流出も大きな要因だろう。つまり、テレビが普及すれば家族全員タイのテレビを見る。つまり中国語を家族同士で喋る機会が減ってくる。そしてラオス革命により華僑が商売をすることができなくなる。したがって多くの中国人がラオスを去ることによりラオスの華僑社会の人口流出、華僑社会の力が弱まる。これにより中国語を使う機会が減ってくるわけだ。しかし、自分の娘がタイ語を喋りながら着せ替え遊びに熱中しているのを見て、本当にビックリした。これからラオス語はどうなるのだろうか。

ラオスの苛め

正直言ってラオスには日本の苛めみたいなものはないと思っていた。ところが日本人もラオス人も同じ心臓に4つの部屋がある人間(ラオス語ではこのよ
うにいう)つい最近、聞いた例を書いてみる。

義理のお姉さん月鳳、彼女にはXさんという親友がいる。その娘さんのケース。娘さんのお母さんはラオス華僑の2世でお父さんはラオス人。年とって生まれた一人娘ということで、お母さんは娘を可愛がっていた。ラオスの学校ではなくタイのノンカイの学校に入れて寄宿生活をしていた。土曜日曜はお母さんのいるビエンチャンに帰ってきていた。中学を卒業して高校はどうするか。彼女はビ
エンチャンの学校を選んだ。タイの学校は覚せい剤の問題がひどく娘を一人で下宿させるわけにはいかないからだ。

さて、ラオスの学校ではどうか。どうも悪い友達がいてお金をたかられるみたいである。彼女のお母さんは華僑で商売やり手のおばさん。したがって家がお金持ちだということも皆知っているからだろうか。土曜や日曜にやれディスコやら焼肉とか、友達と食事に行ってもいつもお金を払うのは彼女。お金を貸してあげても全然返してくれないし、その金額も馬鹿にならない。たまりたまって何千バーツにもなるとか。

どうしてこういうことになったかというと、奢ってあげないと友達ができないから。特にノンカイで勉強していた彼女はラオスに友達がいない。奢ってあげて友達の歓心を引こうという気持ちもあったようだ。またひどい例では「奢ってくれないと、遊んであげない」などという子もいるらしい。

たしかにラオス人の場合は、だいたい誘った人が奢ってあげることが多いようだ。しかしまだ仕事をしていなく親の脛をかじっている子供が他の子供に奢ってあげることはないと思う。また「奢ってくれないなら、遊んであげない」などという子なら友達にならないほうがいいだろう。

ラオスの諺で「奢ってあげるとついてくる友達はすぐにみつかる。親友が困った時に助けてくれる友達はなかなか見つからない」というのがある。というのは愛娘の桜チャンも同じ問題で悩んでいる。寮都(華僑学校)の同じクラスでも「お菓子を奢ってくれないと、算数を教えてあげない、遊んであげない」とかいう悪い友達がいるとか。ラオスの学校で問題なのは学校の前にお菓子屋さんがあって、子供たち相手に商売をすること。また給食がないので生徒は皆、親からお金をもらって学校に行く。そうすると悪い子は「お金かしてー」と言ってかしてあげても後で返してくれない子がいるらしい。

本当は学校が給食を作ればいいのに。そしてペプシやコーラや身体に悪いお菓子を学校で売らないようにするべきである。この点、日本の給食制度はすばらしい。安いお金で栄養のある食事ができる。子供もお金を学校に持っていかなくていい。次女の蘭ちゃんはペプシやお菓子を覚えてしまい、前歯が全部虫歯になって大変だった。

また親の収入によって子供にあげる金の額が違ってくる。毎日の御昼の食事代、ジュース、お菓子、鉛筆、消しゴムなど、1日に20000キップも渡す親もいれば、1日1000キップしか渡せない家庭もある。そうなると少ししかもらえない子供はたくさんもらっている子にたかる。またたくさんもらっている子でも、ズルイ子になると他の子にたかる子も出てくる。

ただ幸いなことは、桜ちゃんも困った時はお母さんに相談する。またはお母さんの妹の梅ちゃんにも相談している。こういった相談できる人が身近にいるのはいいことである。梅ちゃんの場合も、姉さんの亮ちゃんが同級生だったので何でも二人で相談したそうだ。

ということで、日本人から見るとおとなしいようなラオス人でも子供を通して見ると色々と問題があるようだ。ということで日本人もラオス人も基本的には同じ心臓を持つ人間。いい人もいるし、悪い人もいる。そういったことがわかってきた今日この頃である。

最後に

桜ちゃんの担任の先生は大陸から来た純粋の中国人。ある日のこと、日本人から手紙とプレゼントをもらったのだが彼女は日本語が読めない。桜ちゃんが日本語が読めるというので、桜ちゃんに応援を頼んだ。クラスの皆がいる前で彼女は桜ちゃんに手紙の通訳を頼んだのだが、書いてあることは「愛しているよ」だったとか。これを中国語に訳してあげたら、先生は生徒の前で恥ずかしがっていたとか。

(C)村山明雄 2002- All rights reserved.

村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著

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