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第1信 シェンクアンからのご挨拶
- 2002/5/10
- エッセイ(村山明雄さん)「ラオスからの手紙」, コラム・エッセイ
- 村山明雄
(2002年5月号掲載)
2002年3月 シェンクアンにて
国連ボランティア 地下水開発エンジニア
村山明雄
シェンクアンに来てもう10日ほど経ちました。
来てすぐにバイクを買い、土曜日曜にツーリングで郊外(ジャール平原の石壷群)にも行ってきましたし、プロジェクト・サイトのあるノンへットまでも行ってきました。
私が昔、通訳の仕事でサムヌアに行った時のこと、その時はサムヌア行きの飛行機が出なかったので、ビエンチャンからシェンクアンに飛行機で行き、そこから車に乗ってムアン・カム経由でサムヌアに行った日のことを思い出しました。たしか4年くらい前でしょうか。昼過ぎにポンサワンをでてムアンカムに着いたのがもう夕方くらいでした。ムアンカムの三叉路から6号線でサムヌアに着いたのはもう12時をすぎていたと思います。
現在は道路が舗装されてものすごく短い時間で行けるそうです。実際私の場合はポンサワンからムアンカムまでも50kmでバイクで一時間半くらい
でいけました。去年くらいはまだ舗装工事が終わっていなく4時間くらいか
かったとのこと、いまでは4輪車でとばしていけば一時間以内でいけるそうです。
こちらに来て気がついたこと
ビエンチャンみたいに埃っぽくない
これは地質と気候のせいでしょうか。石灰岩が風化した土壌のうえに気候が涼しいのでビエンチャンのように風化したラテライト質の土壌ではないようです。実際ビエンチャンはパウダー状になったのが飛んで、ラオス人は化学調味料みたいだといっています。そういった埃が少ないのはいいことです。
お寺が少ない
戦争のせいか、とにかくポンサワンにはお寺が少ない。従ってお坊さんもあまりみかけない。仏教の行事などはビエンチャンのように行われているのだろうか。托鉢などやっているのか興味がある。(早起きして見にいかないと)シェンクアンの県庁は革命前はポンサワンではなく、ムアンクーンであった。ここは空爆で無茶苦茶に破壊されたし土地が狭いということもあって、革命後に県庁をポンサワンに移したという。ということでまだ完全に復興されてはいないので人々もお寺の建設まで余裕がないのか、また中地ラオ、高地ラオも小乗仏教ではないのでその影響もあるのだろうか。こういったところがビエンチャンと違っていると思った。
不発弾
私が来る前に不発弾処理をしていたUXOラオの職員2人が亡くなられた。このニュースは私が来た後もシェンクアンのFMのニュースで報道された。本当に悲しいことである。ご冥福を祈りたいと思います。地元の人の話では、このごろ不発弾の残骸を廃品として利用したものはあまり見かけられないようである。以前は村人がそれで家の柱を作ったり色々なものに利用した。
しかし不発弾は依然地中にたくさんあるようである)今では処理した不発弾は屑鉄としてタイやベトナムに売ってしまい、一般には見られなくなったとのこと。あるラオス人が言っていたが、こういった戦争の跡はちゃんと保存して将来に伝えていかなければいけないのではないか。まったく同感である。
シェンクアン県には戦争の記念碑としてタムピュ-という洞窟があります。是非ラオスに住んでいる日本人の方には見に行ってもらいたいと思います。ということでまだ住み始めて10日ほどしか経っていません。これから一年、シェンクアンの人たちに色々なことを教えてもらって、かつ私の技術がこの地の人の生活向上に役に立ってくれたらと思っています。
(C)村山明雄 2002- All rights reserved.
村山明雄さん(むらやま・あきお)
(桜ちゃんのパパ、ラオス華僑と結婚した日本人)
シェンクアン県ポンサワンで、地下水開発エンジニアとして、国連関連の仕事に従事。<連載開始時>
奥さんが、ラオス生まれの客家とベトナム人のハーフ
地下水開発エンジニア (電気探査・地表踏査・ 揚水試験・電気検層・ 水質検査)
ラオス語通訳・翻訳、 エッセイスト、経済コンサルタント、エスペランティスト、無形文化財上総掘り井戸掘り師
著作「楽しくて為になるラオス語」サクラ出版、翻訳「おいしい水の探求」小島貞男著、「新水質の常識」小島貞男著