メコン圏の視点:歴史・民族・文化

【1998年5月執筆「バンコク週報」初出掲載:清水英明】(*2023年初、本サイトのリニューアル再開に際し、改訂版掲載は整理中。開設時の視点はそのまま再掲載)

歴史・民族・文化

現在の国境、国力、主要民族分布にとらわれない歴史の世界
メコン圏の歴史に入り込めば、その多くの民族と大小多数の国の興亡、多様な文化伝播に驚かされ、現在の国境、国力、主要民族にとらわれない新しい世界が開けてくる。先史時代の新石器時代遺跡は、カンボジアのサムロンセン、タイ・カンチャンブリ近くのバンカオ、東北タイ・ウドンタニ近くのバンチャン、ベトナム北部のドンソン他、雲南省各地で発見されている。古代史の世界は、古代地名の現在地探索を含む漢籍の解釈、建国神話・説話・伝説の解釈があり、筆者のような単なる歴史好きの素人には、勝手な想像を展開でき、ロマンが掻き立てられる。現在では、影が薄くなってしまった感のある先住民族の南亜語族(オーストロアジア語族)であるモン・クメール系や、南島語族(オーストロネシア語族)のチャム人が、林邑、扶南、真蝋、ドバーラバティー、ハリプンチャイ等の初期国家を形成し、その後のタイ族(シャム人・ラオ人等)、ビルマ族、ベトナム族等に大きな影響を与えた。現在メコン圏に生活する南亜語族には、クメール人や、ミャンマー・タイに住むモン族以外に、タイ東北部・ラオス中南部、タイ北部、ラオス北部の先住主要民族であったクイ族、ソー族、ラワー族、カム族等がいる。ベトナム人(京族)は、ベトナム語が、中国語・タイ語・ラオス語のように声調を持つ言語であったため、色々と議論があったが、現在では、タイ・カダイ諸語ではなく、南亜諸族であるとされている。

その後、現在この地域の支配民族、即ちタイ族ーシャム人・ラオ人・シャン人・ムアン人(北タイ人)等、ベトナム族(京族)、ビルマ族が移動し、先住民を侵略。建国あるいは従来の国土の拡張を行っていった。13世紀には、元(モンゴル)による大越・チャンパへの侵攻があり、大理国及びパガン国が倒壊させられた。またそれまでパガン朝に服属していたシャン人による自立・建国や、クメール人の真蝋アンコール朝の西北辺境地区でのタイ族によるスコタイ王国の独立、更にタイ族によりランナータイ王国が建てられ、タイ北部ランプーンに栄えたモン族の国・ハリプンチャイの滅亡があった。翌14世紀には、クメール帝国の影響下にあったラオスで、ラーンサーン王国が、ルアンパバーンを王都として建国され、ラオ族による南部を除くラオスが統一された。

現在では小国のラオスであるが、雲南南部やシャン族諸国を属国あるいは友好国としたり、北タイのランナーと一体化したこともある。17世紀には南部を含む全ラオスとタイ東北部の半分を勢力下に置く内陸の大国にまでなっていた。

しかし19世紀には、インドシナ・ビルマを英・仏の植民地主義が制覇し、波乱の近・現代を迎えていくことになる。これほど色鮮やかな歴史が、身近なアジアで展開されているのに、日本での世界史教育では、一部の近・現代史を除き、ほとんど取り上げられていない。これはメコン圏の歴史・文化が他世界に大きなインパクトを与えてきたものではなかったとの認識からきているのであろうか?今この歴史研究の分野において、地方や少数民族からの歴史考察や、国を越えた研究交流などが進んでおり、より一層深く新しい歴史世界の登場が期待される。

政治的に利用されたタイ族の起源論議と大タイ主義
中国の辺境にあり開発の遅れてきた貧しい地区と思われがちな雲南省には、メコン河のみならず、紅河、サルウィン河、揚子江(長江)というアジアの4大河川が、昆明、大理、永昌の広大な盆地を貫いている。稲作文化の発祥とも言われ、照葉樹林文化圏として日本文化のルーツとの関連が論じられもした。この地で唐・宋の時代に南詔・大理王国が繁栄した。タイ族のルーツに関し、タイ族はこの南詔国の主要民族でありその後東南アジア北部に南下したという学説が、従来長らく支持され、いまだタイの学校教育の中で教えられている。1932年のタイの立憲革命を敢行し、第2次世界大戦期前後の首相であったピブーンは、タイの独立維持の為に、仏印植民地にいる広義のタイ族の解放のみならず、糾合して大国化しなければならないという大タイ主義を唱え、クメール人は長く高度な文明を持つタイ族の一種族であるとさえ主張した。ピブーン政権下、ドッド氏による広義のタイ族に関する研究著作が、大タイ主義政策を進めるタイの国家歴史認識に利用され、如何にタイ族の文明は中国人の文明より古いか、如何にタイ族は、古代漢籍に記載のある哀牢人と同一であるか、タイ族は如何に南詔国を建国し支配したかが、タイでは語られ教えられてきた。しかし、南詔国の主流は、チベット系ロロ族やペー(白)族であるとする説が今では強く、またタマサート大学による近年の遺伝子の研究では、狭義のタイ族は、先住民族であったモン、クメール等の混血から生成してきた民族で、チベット系中国人よりもクメール人により近いとの発表があった。いずれにせよ、タイ族はどこからきたかあるいはどうやって生まれたか、タイ語はどうやって生まれたかというテーマは興味は尽きないが、国益とか優越民族意識から離れた純学問的見地からの研究の進展が待たれる。

一方、歴史の表舞台には登場してこない山岳民族が多数、このメコン圏で、国境をまたがり、独自の生活を営み独特の文化を継承してきた。メコン圏は民族の宝庫とも言われ、政治の産物たる国境や過去の歴史・政治的経緯から、同一民族が国をまたがって生活をしている。シャン族やカレン族のようにいまだ反政府活動を行っている民族もあれば、主要支配民族への同化が著しい少数民族もある。また過去の歴史的経緯で、カンボジア・ラオスへのベトナム人、タイへのミャンマーからのモン人の移住などのケースもあり、中国人(各地)、インド人(特にタイ・ミャンマー)の移住が多いのは言うまでも無い。また英・仏の植民地支配政策から、カレン族がビルマ人に、ベトナム人がカンボジア人に反感をもたれることになり、第2次世界大戦後、米国もインドシナの共産化を食い止めるために少数山岳民族を利用した。歴史的経緯から、タイ人はビルマ人を恐れ嫌悪し(タイのテレビドラマなどでもビルマ人が残虐非道に描かれがちであった)、タイ人とベトナム人の間も、ベトナム戦争時からベトナムのカンボジアからの撤兵時まで反目しあっていた。また最近(1998年上期)北タイのドイインタノン付近でももめているように、高地に住む山岳民族と低地に住むタイ族との間でも、森林伐採、焼畑、水利等で利害が対立している。このように人為的、強行支配的に決められた国家・国境のもとでの異民族間の共生は容易ではないが、一民族一国家は不可能であるし、少数・異質の絶対排除が決して賢明なやり方ではない以上、多民族の共生という道をこのメコン圏は歩まねばならない。

おすすめ記事

  1. メコン圏関連の趣味実用・カルチャー書 第10回「ベトナム雑貨と暮らす Vietnamese Style」(石井 良佳 著)

    メコン圏関連の趣味実用・カルチャー書 第10回「ベトナム雑貨と暮らすVietnamese Style…
  2. メコン圏と大東亜戦争関連書籍 第8回「神本利男とマレーのハリマオ マレーシアに独立の種をまいた日本人」(土生良樹 著)

    メコン圏と大東亜戦争関連書籍 第8回「神本利男とマレーのハリマオ マレーシアに独立の種をまいた日本人…
  3. メコン圏対象の調査研究書 第29回「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ー ファン・ボイ・チャウとクオン・デ」(白石昌也 著)

    メコン圏対象の調査研究書 第29回「日本をめざしたベトナムの英雄と皇子 ー ファン・ボイ・チャウとク…
  4. メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第31回「メコン川物語 ー かわりゆくインドシナから ー 」(川口 敏彦 著)

    メコン圏の写真集・旅紀行・エッセイ 第31回「メコン川物語 ー かわりゆくインドシナから ー 」(川…
  5. メコン圏が登場するコミック 第23回「密林少年 ~Jungle Boy ~」(著者:深谷 陽)

    メコン圏が登場するコミック 第23回「密林少年 ~Jungle Boy ~」 (著者:深谷 陽) …
  6. メコン圏を描く海外翻訳小説 第18回「ヴェトナム戦場の殺人」(ディヴィッド・K・ハーフォード 著、松本剛史 訳)

    メコン圏を描く海外翻訳小説 第18回「ヴェトナム戦場の殺人」(ディヴィッド・K・ハーフォード 著、松…
  7. メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第31回 「アキラの地雷博物館とこどもたち」(アキ・ラー 編著)

    メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第31回 「アキラの地雷博物館とこどもたち」(アキ・…
  8. メコン圏を舞台とする小説 第50回「バンコク喪服支店」(深田祐介 著)

    メコン圏を舞台とする小説 第50回「バンコク喪服支店」(深田祐介 著) 「バンコク喪服支店」(…
  9. メコン圏現地作家による文学 第16回「田舎の教師」(カムマーン・コンカイ 著、冨田竹二郎 訳)

    メコン圏現地作家による文学 第16回「田舎の教師」(カムマーン・コンカイ 著、冨田 竹二郎 訳) …
ページ上部へ戻る