メコン圏を舞台とする小説 第49回「サイゴンの悪夢」(佐伯泰英 著)


「サイゴンの悪夢」(佐伯泰英 著、祥伝社文庫<祥伝社>、2005年7月発行)
(*本書は1995年9月、祥伝社ノン・ノベルから『背徳の標的』として新書判で刊行されたものを改題)

<著者紹介> 佐伯泰英(さえき・やすひで)<本書著者紹介より。本書発刊当時>
1942年、北九州市生まれ。闘牛カメラマンとして海外で活躍後、国際的スケールの作品を次々と発表する。1999年に初の時代小説『密命ー見参! 寒月霞斬り』(祥伝社文庫)を発表後、刊行する作品がことごとくベストセラー入りする人気作家に。本書では犯罪通訳官アンナが、パートナーである根本警部とともに暗い過去を背負った殺し屋に挑む。

本書著者の佐伯泰英氏は、1999年、初の時代小説『密命』を発表以降、数多くの時代小説の人気シリーズを立ち上げているベストセラー作家だが、時代小説を書き始める前は、もともと、映画・テレビCMの撮影助手を経て、カメラマン、ノンフィクションライターとして活躍。1976年『闘牛』を発表。1981年『闘牛士エル・コルドベス 一九六九年の叛乱』でドキュメント・ファイル大賞を受賞。1987年、初の小説『殺戮の夏コンドルは翔ぶ』を発表以降、多数の国際謀略小説、ミステリ小説を執筆。本書も、時代小説を書き始める前の国際謀略長編サスペンスで、「犯罪通訳官アンナ」シリーズとして、本書は1995年9月、祥伝社ノン・ノベルから『背徳の標的』として新書判で刊行された作品の文庫版。(「犯罪通訳官アンナ」シリーズが、文庫化の際に「警視庁国際捜査班」シリーズに改題され、本書は文庫本5巻シリーズの第3弾)

本書は、ドイツ系移民の父親と日本人の母親の間に生まれ日本で言語学を勉強する学生であり犯罪通訳官の安奈(アンナ)・マリア・スタインベルグ・ヨシムラが、恋人の警視庁国際捜査官・根本清麿警部とともに、ベトナム戦争の暗い過去を背負ったベトナム人のプロの殺し屋に挑む話で、主役の1人である安奈(アンナ)は、アルゼンチンに生まれ、スペイン語はもちろん、ドイツ系移民の父親の教育方針で両親の母国語を自由に使えるように教育され、さらに英語、イタリア語、フランスをマスターする上に、アルゼンチンのコロニーで韓国人の武術家に習った武技も凄い多才で勇敢な女性。

本書のストーリー展開は、スペイン国立舞踊団の全17公演の1ケ月におよぶ日本公演で、新宿での第5回目の舞台のフィナーレで、出演中のスペイン期待の星の若手女性主役ダンサー・ホアキイナ・ヴィエントスと公演スタッフの1人が何者かに刺殺される事件が発生。公演中のフィナーレで刺殺されてプリマが最後に登場という衝撃的な事件は、この事件にとどまらず、壮大で練りに練られた大事件の序章に過ぎず、その後に明らかにされていく壮大で練りに練られた大きな計画の背景や計画の内容には非常に驚愕する。大事件の序章たる殺人事件の発生前に、そのプリマは、来日中のスペイン国立舞踊団のメンバーの1人に、日本で、なにか恐ろしいことを計画している犯罪者が紛れ込んでいると、怯えていた。

本書の主なストーリー展開場所は、事件に関わるスペイン国立舞踊団の日本公演期間中の東京を始めとする日本各地で、ストーリー展開時代は、スペイン国立舞踊団が日本公演で来日したという設定の1995年5月の1か月間。ストーリーにとても重要な意味を持つ、1975年4月30日のベトナム戦争のサイゴン陥落(解放)から20年という1995年の設定。またストーリーのメインではないが、サブ的なストーリーでミャンマーの民主化運動が多少絡んでくるが、本書のメインとなる壮大な事件終結から40数日後の7月10日、ミャンマー軍事政府はアウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁解除発表とあり、これは1995年7月10日の事実。

ストーリーの主な展開場所は、スペイン国立舞踊団が来日中の日本で、終盤には、東京・上野の上の文化会館と国立西洋美術館を舞台とした壮大な仕掛けの復讐劇が用意されていて、よく練られた計画も非常に劇的で印象的なシーンとなっている、ただ、作品の前半は、主役のアンナの恋人であり事件捜査のパートナーである警視庁国際捜査班所属の根本清麿警部が、別の事件で出向いていた英国スコットランドから、日本で起ったスペイン国立舞踊団絡みの事件の背後を捜査するため、スペインとフランス各地に出張。物語は、日本での展開と同時並行的に、ヨーロッパ各地に及び、ヨーロッパ旅情も楽しめる。

アンナと共にもう一人の主役である根本清麿警部は、ジュネーブを経て帰国し、途中から、日本で、アンナや警視庁国際捜査班のメンバーたちと共に一緒に捜査にあたるが、ヨーロッパだけでなく、CIAはじめとするアメリカや、ベトナムでのアメリカ兵の捕虜・行方不明兵(POW・MIA)問題を残すベトナム政府、ベトナムの秘密組織、ベトナム戦争時代のベトナムでのアメリカの犯罪などに、1977年9月のダッカ日航機ハイジャック事件を想起させる1977年のハイジャック事件で海外逃避していた日本赤軍の残党や、更には、ミャンマー軍事政権とミャンマー民主化勢力の問題なども絡み、多数の登場人物も含め、非常に国際色豊かな内容となっている。

特に、著者の佐伯泰英氏は、もともと1971年から74年、スペインに滞在し、闘牛カメラマンを生業としていた時期もあり、のち、スペインや南米など、スペイン語圏を舞台としたノンフィクションや冒険小説・国際謀略小説を数多く発表しており、本書も、スペインやスペイン語圏がふんだんに登場している。来日のスペイン国立舞踊団の人たちがスペイン人たちが主であるだけでなく、マドリードから、アンダルシアのコルドバ、ヴァジャドリー、シマンカスと、スペイン各地に捜査が及び、また、南フランスでも、マルセイユ近郊には、市民戦争の直後に故国を逃れた共和国側の人々がスペイン・コロニーをつくっていて、そこで生まれ育ったスペイン系フランス人が、本書でも重要な登場人物の1人となっている。

ただ、やはり、本書タイトルを『サイゴンの悪夢』としている通り、本書ストーリーの底流と言うか、一番重要な背景や起点は、ベトナム戦争での過去の忌まわしい時代や記憶、裏切りと積年の復讐で、その内容は凄まじい。1958年頃から1975年4月30日のサイゴン陥落まで17年もの間、北ベトナム、ヴェトコン対策のアメリカの海外情報局ヴェトナム支部の生え抜きの古手で、ハーディング少佐と名乗っていた男は、工作員として、南ベトナム側に潜む北側のシンパを借り出しては情報を集め、暗殺に手を貸していた。中でも、北ベトナムが南への侵攻に際して組織化した秘密の工作員部隊・南部中央局の秘密工作員は、顔をさらすことなく、南に潜入して一般市民に化け、ヴェトコンなどに武器弾薬を供給していた秘密の部隊で、ハーディング少佐と名乗っていた男は、南部中央局の秘密工作員メンバーを探し出して暗殺し、情報は米軍に渡すだけでなく、財産は私的に強奪していたという設定。

更に、本書ストーリーの陰の主役と言うべき、そのハーディング少佐と名乗る男の工作の良き相棒となる1960年頃に古都ユエ(フエ)に生れ、後に、ベトコンを「チャーリー」とスラングで米国側が呼んでいたことから、「リトルチャーリー(幼い殺し屋)」と呼ばれる少年の悲惨で悲しい人生。7歳の時、両親は北ベトナム軍に殺され孤児になり、ヴェトコンや北ヴェトナム軍に大いなる憎しみを抱き、南ベトナム政府軍やアメリカ軍からわずかな賞金をもらい、プロの殺し屋として生計を立てはじめる。1968年1月31日から2月24日にかけて展開されたテト攻勢でのフエでの戦闘で、テトの街は多大な被害を被り、一時的に南ベトナム解放民族戦線側に占拠され、テト包囲戦の中で、フエ事件(フエ虐殺)と呼ばれる多数の市民学生が南ベトナム解放民族戦線の兵士によって殺害されるという事件が起こっている。

目次
プロローグ 根本刑事の失策
1.試射は二発
2.ブランコは死に揺れる
3.天使の顔の謎
4.サイゴンの悪夢
5.消えた新型銃
6.アメリカの介入
7.殺し屋マヌカン
8.蘇る少佐
9.最後の狙撃手
10. 裏切りの清算
エピローグ アンナ通訳官の決着

関連テーマ・ワード情報
・テト攻勢とフエ虐殺(1968年)
・フエ陥落とサイゴン陥落(解放、1975年4月30日)
・ミャンマー軍事政権と日本での民主化運動。ミャンマーの民主化運動
・アウン・サン・スー・チー女史の自宅軟禁

ストーリーの主な展開時代
・1995年5月
ストーリーの主な展開場所
・東京(霞ヶ関、桜田門、赤坂見附、赤坂、学習院下、新宿、高田馬場、代々木上原、下北沢、芝浦、六本木、新宿区河田町、上野、羽田、台東区根岸)
・名古屋、金沢、横浜、大阪、札幌、箱根、成田
・北陸自動車道北鯖江パーキング・エリア(福井県鯖江市)
・スペイン(マドリード、アンダルシアのコルドバ、ヴァジャドリー、シマンカス)
・フランス(マルセイユ、カシ)
・英国(スコットランドのアイレイ(アイラ)島、グラスゴー)

ストーリーの主な登場人物
・根本清麿(東京・芝浦に住む警視庁国際捜査課所属の警部)
・安奈(アンナ)・マリア・スタインベルグ・ヨシムラ(代々木上原に住む犯罪通訳官)
・多岐武雄警視(警視庁国際捜査課課長)
・服部茂正警部補(英語が専門の警視庁国際捜査課)
・鎌田良三刑事(広東語、北京語が専門の警視庁国際捜査課)
・川越悦子刑事(フラン語が専門の警視庁国際捜査課の女性捜査官)
・高木由兼警部補(警視庁国際捜査課発足期からの数少ないメンバー)
・油谷春信刑事(警視庁国際捜査課の最年長刑事)
・秋谷百合子(フラメンコ舞踊家)
・後宮貴子(秋谷百合子経営の高田馬場のスタジオの代教)
・ホアキイナ・ヴェエントス(スペイン国立舞踊団の期待のプリマ)
・ペパ・モンテス(スペイン国立舞踊団の日本公演のBプログラムのプリマ)
・フェルナンダ・オリビエ(スペイン国立舞踊団の演出兼プロデューサーの元女性舞踊家)
・アタパ(スペイン国立舞踊団のペルー人の元々の打楽器奏者)
・ナノ(本名ヘン・バン・ルオン。スペイン国立舞踊団のフランス国籍ベトナム人打楽器奏者)
・マリアおばさん(スペイン国立舞踊団の輸送担当)
・フェレル・リステル(スペイン国立舞踊団のドン・キホーテ役の男性舞踊手)
・ガァジート(スペイン国立舞踊団のサンチョ・パンサ役の最長老男性舞踊手)
・青木(スペイン国立舞踊団日本公演の舞台監督補佐)
・藤枝五郎(スペイン国立舞踊団日本公演の舞台スタッフ)
・チャタ(フェルナンダ・オリビエの娘でスペイン国立舞踊団のマネジメントを仕切る女性)
・リコ(スペイン国立舞踊団日本公演の大道具係)
・篠山昭子(スペイン国立舞踊団日本公演の照明係助手)
・アンtニア・ガラン(マヌカン、スペイン国立舞踊団のスペイン系フランス人の衣装係)
・ホルヘ(スペイン国立舞踊団の歌い手)
・ヘスス(スペイン国立舞踊団のギタリスト)
・リベラ(スペイン国立舞踊団のギタリスト)
・ジェジェ(スペイン国立舞踊団の照明ディレクター)
・花崎啓子(秋谷百合子の弟子で、金沢に嫁いでいる女性)
・マヌエル・マルティン警視正(スペイン国家警察本部の公安捜査のボス)
・コステ警部補(スペイン国家警察本部の公安部捜査官)
・スペインの民間の銃器メーカーのプラス社銃器開発研究員
・ラモン(スペインのマヨルカに本拠がある銃器の密売組織のボス)
・アントニオ・バウティスタ(ガン・マニアの若いスペイン人男性)
・ネリ刑事(スペイン・ヴァジャドリーの県警殺人課の初老の刑事)
・シマンカス(スペインのヴァリャドリド県)に住むアントニオ・バウティスタの両親
・ホセ・バウティスタ(アントニオ・バウティスタの弟)
・リール刑事(フランス・マルセイユ市警察)
・マルセイユの小さなブティック「マタドール(殺し屋)」を経営するマヌカンの母親
・ピエッホ(マヌカンの父親)
・南フランスのカシの町に住むナノの音楽家仲間のアラブ系フランス人
・ゴク夫人(南フランスの港町カシの入江近くに住むベトナム人の67歳の老婦人)
・ボビット(駐日アメリカ大使)
・シンシア夫人(ボビット大使の妻)
・クレア・ヘイル(ボビット夫婦の養女)
・ケビン・ライヤル(根本清麿のCIAの古き友人)
・ミッチェル・マクガイヤ(CIAから東京に派遣された極東アジアの総責任者の外交官)
・ブランガ(CIA長官の秘書)
・ウー・チーマウン(日本滞在のミャンマーの元国費留学生でフリージャーナリストの青年)
・ボ・トゥンオー(モン州モールメイン出身のミャンマーの日本滞在の29歳青年)
・ソーミィン陸軍中佐(在日ミャンマー大使館駐在武官)
・ゾージ(ソーミィン陸軍中佐の部下)
・渋谷淑子(アンナと同じ国立大学の修士課程の学生でチーマウンの法廷通訳を務める)
・吉谷永淳(チーマウンの弁護士)
・豊島(吉谷弁護士事務所メンバーで民主化国際ネットワークのメンバー)
・キュウニン(シャン高原タウンジーに実家がある元ミャンマー陸軍軍曹)
・平賀徹(7年前に海外逃亡した放火殺人及び保険金詐取容疑者)
・ポール・ヤマセ(スコットランドのアイレイ島に住む日系アメリカ人の絵描き)
・マクラウド巡査部長(スコットランドのアイレイ島の初老の大男の警官)
・スコットランド・アイレイ島(アイラ)のポートエレン村村長
・ラッド機長(セスナ機のパイロット)
・13年前のマドリードの小柄な中国人らしいバイトの郵便屋(cartero)
・ディエゴ・コラル(13年前の南アメリカ銀行マドリード支店強盗殺人事件の犯人)
・ミゲル・フェルナンデス(13年前の南アメリカ銀行マドリード支店強盗殺人事件の犯人)
・ディエゴ(ホアキイナ・ヴェエントスの3つ上の兄)
・ハーディング少佐(ベトナム戦争時のアメリカの海外情報局スタッフ)
・スティーブン・ギンズバーク(ボアマン財団理事長で国連機関の国際開発戦略議長)
・クリーア・ボアマン夫人(鉄道王ボアマン一族3代目当主の妹で銀行界の大物の娘)
・熱狂的なスペイン人ファンの名古屋のスナック「アンダルシア」のママ
・梨江(名古屋のスナック「アンダルシア」の茶髪のホステス)
・山根建夫(日本赤軍メンバーの残党)
・劉勇(横浜中華街の「恵福楼」経営者の息子)
・南田かなめ(東京・下北沢のフラメンコ衣装専門のブティック・アルルの経営者)
・秋谷百合子の東京・学習院下のマンションの老人の管理人
・永田(池袋署の捜査一家のベテラン刑事)
・辻義治(上野駅構内に生活するホームレス)
・ハメネイ(変造テレカ売りのイラン人若者)
・根岸のアパートで昼間は地下鉄の工事現場で働きハメネイと共同生活する3人のイラン人
・グエン(ベトナム戦争後に祖国ベトナムを逃れ日本の大学で自国語を教えてきた言語学者)
・織田(東京・上野の国立西洋美術館の学芸員)
・比留間高継(上野署刑事課の刑事で鎌田良三刑事の警察学校時代の同級生)
・丹地刑事(警視庁警護課)
・ユミ(パリに5年住んでいたというテキスタイル・デザイナーの日本人女性)
・村上(東洋テレビのディレクター)
・那珂川(東洋テレビクルーのビデオ・カメラマン)
・細田(東洋テレビクルーのビデオ・カメラマン助手)
・翔子(アンナの母親)
・イシドロ・ポセ(スペインのフラメンコ舞踊団のソリストで秋谷百合子の元恋人)
・ポーおじさん(ベトナム南部中央局のボスでフエの市場の魚屋)

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