情報DB(現代史)「 日本・ベトナム100年の絆 ー ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎」毎日新聞企画特集記事<毎日新聞2012年5月19日>
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情報DB(現代史):「 日本・ベトナム100年の絆 ー ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎」毎日新聞企画特集記事<毎日新聞2012年5月19日>
<毎日新聞 2012年(平成24年)5月19日(土)企画特集>
独立目指し「東遊運動」
欧米列強がアジアを植民地化した100年ほど前、日露戦争(1904~05年)で列強の一角を破った日本には、独立を目指すアジア諸国から多くの革命家が学びに集まった。アジア初の共和国を樹立し、辛亥革命を成し遂げた孫文が有名だが、ベトナムの英雄、ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠、1867~1940年)もその一人だ。日本に学ぼうとベトナムから日本へ留学生を送り出す「東遊(ドンズー)運動」を提唱した。来年(*2013年)の日越国交樹立40周年を前に、両国の交流の礎を築いた人物に光が当てられ始めている。
ベトナム最後の王朝「阮(グエン)朝」(1802~1945年)の都があった中部・フエ市で(2012年)3月、ファン・ボイ・チャウの巨像が引っ越しをした。同国のチャウ研究者らが「公的な場所に」と当局に働きかけ、チャウが晩年に暮らしたフエ近郊の家から、(フエ)市内の公演に移転した。欧米列強がアジアを分割支配する中、1887年にフランスの植民地となったベトナムで、チャウは抗仏運動を始めた。立憲君主制を目指し、阮朝のクオン・デ皇子も運動に引き入れた。武装闘争に必要な近代的武器を入手しようと、欧米に対抗する日本に注目した。1905年に来日したチャウは、後に首相となる大隈重信、犬養毅らと面談。武器支援は断られ、代わりに独立運動の盟主クオン・デ皇子やベトナム人の日本への留学を勧められた。独立運動のための人材育成へと切り替えたチャウは日本に学ぶ「東遊運動」を提唱した。ベトナムからの留学生は、最盛期の1908年には、200人に上った。この間、医師、浅羽佐喜太郎(あさば さきたろう)と出会い、支援を受けた。本国ではチャウの呼びかけで、日本の教育を意識した学校が各地で開校した。無償で教育を施し、愛国心を生徒に教えた。チャウは日本で学ぶアジア人革命家とも交流した。孫文とも会談したが、双方とも自国の革命を優先して成果はなかった。東遊運動は、1907年に日仏が手を結ぶ日仏協約が成立し、衰退した。日本を拠点に独立運動を行うアジア人も行き場を失った。「同じアジア人で手本としていた日本が欧米列強と手を結び、自分たちを抑圧する側に回る」。当時の外相、小村寿太郎に抗議文を送った。日本を退去後に逮捕され、フエに軟禁されたチャウは、文書で日本滞在時をこう振り返った。「最も幸福な時代だった。
<写真キャプション> 高さ約3メートル、重さ約5トンの巨大なファン・ボイ・チャウの像。ベトナム・フエ市内の公園にある
ファン・ボイ・チャウ
1867年、ベトナム中部ゲアン省生まれ。初代国家主席のホー・チ・ミンとともに、独立の英雄とされる。複数回来日した。1940年没。(写真:浅羽ベトナム会提供)
情に厚い「英雄」
「国のため市民のため革命の道を探しに行きました。人々にとても慕われていた」。チャウが晩年、軟禁生活を送った家の隣にある記念館には、活動をたたえる銘文が掲げられている。日付は1925年。初代国家主席のホー・チ・ミンのペンネーム、「グエン・アイ・クォック」の名が刻まれていた。チャウは、教師だった父の影響で幼少時から儒学の手ほどきを受け、神童と呼ばれた。思春期から青年期の多感な時期にフランス支配の激化を体験。30歳代で革命運動を本格化させ、日本などアジア各地を転々として運動を主導した。情に厚く、1918年の来日時に、かつての支援者で医師、浅羽佐喜太郎の死を知ると、警察の監視を逃れ墓のある静岡県まで訪れた。ホー・チ・ミンとは同郷で、チャウはホーを日本に留学させるように進言したとされる。チャウ研究の第一人者、チュンタオ教授は「チャウの独立運動も重要だが、大きな功績はベトナムと日本の関係の始まりを作ったことだ」と指摘する。
浅羽佐喜太郎
1867年、静岡県袋井市(旧浅羽町)生まれ。帝国大学医科大学(現東大医学部)を卒業し、神奈川の国府津(こうづ=小田原市)で大きな病院を開業。(写真:岡本家提供)
物心両面で留学生支援
東京の路上で倒れていたファン・ボイ・チャウ門下生のベトナム人留学生を、浅羽が助けたことがきっかけで、チャウとの交流が始まった。留学生らを自分の病院に寝泊まりさせるなど、物心両面で支えた。ベトナムを支配していたフランスは明治政府に、独立運動に関わる在日ベトナム人の監視と取り締まりを要請。母国では留学生の親族が次々に逮捕され、チャウを巡る環境は悪化していた。それでも浅羽は支援を続けた。旧浅羽町史によると、チャウの求めに応じ「手元の金を集め、とりあげず送ります。必要があれば、遠慮なく申してください」という手紙とともに、1700円を送った。当時、地元小学校の校長の月給は18円。チャウがどれだけ感激したか想像に難くない。浅羽の顕彰活動を行う浅羽ベトナム会の安間幸甫代表(68)は、「結核を患っていた浅羽は留学も断念し、自らの運命も悟っていた。命をかけて独立のため戦う彼らがまぶしく思えたのではないか」と話す。チャウが国外退去処分となった翌1910年死去した。
明治維新の志士の姿 重なる 白石昌也 早稲田大学大学院教授(ベトナム現代史)
ベトナムのどの町にもファン・ボイ・チャウの名が付いた通りがあり、今も尊敬されている英雄だ。ベトナムが非常に親日的なのは、両国間に領土紛争など争いがなく、東アジアで最初に経済発展したイメージが強いからだが、チャウがかつて慕った国という面も大きい。100年前の記憶は今も生きている。チャウは1905年の最初の来日直後、中国の辛亥革命を主導した孫文と横浜で2度会談した。革命への支援を求めたが、目指す政治体制が異なり、両者とも自国の革命を優先させようとして、会談は物別れに終わった。しかし、両国の革命運動史における意義は似通っている。チャウは(日本軍の敗戦後革命政権を樹立した)ホー・チ・ミンの一つ前の最も重要な活動家であり、孫文も同様に(現在の中国を建国した)毛沢東より前の世代の一番重要な指導者だ。チャウは「ベトナムの孫文」と言ってよい。チャウは同じアジア人として、欧米の列強に対抗しロシアと戦う日本からの支援を期待し、犬養毅や大隈重信らを頼った。しかし、ベトナムを占領していたフランスと日仏協約を締結したことで日本に失望。犬養らの支援にも限界があった。それでも、チャウは恩義を一生忘れなかった。5・15事件での犬養暗殺の報を聞くとすぐに追悼の詩を作ったほどだ。海を渡り日本で学ぶ東遊運動を起こしたチャウは、幕府を倒した明治維新の志士の姿とも重なる。(談)
■ファン・ボイ・チャウを巡る主な出来事と国際情勢
・1867年12月 ベトナム中部ゲアン省で生れる
・1868年10月 明治維新
・1884年8月~85年4月 ベトナムの宗主権をめぐる清仏戦争
・1887年10月 仏領インドシナ成立
・1894年7月~95年3月 日清戦争
・1904年2月 日露戦争開戦
・1905年1月 ベトナム出国。香港・上海などを経由して神戸港から日本に入国。たびたびベトナムに一時帰国し、資金集めなどを行う
・1905年6月頃 後に首相となる犬養毅や大隈重信と東京で会談
・1905年7月~8月頃 横浜で孫文と2度会談
・1905年9月 日露戦争終結
・1906年3月 一時帰国後、ベトナム最後の王朝のクオン・デ皇子とともに横浜へ
・1907年6月 日仏協約締結
・1907年7月 日露協約締結
・1908年秋 医師、浅羽佐喜太郎がチャウに資金援助
・1909年2月 仏は日本に対し、チャウとクォン・デ皇子の身柄引き渡しを要請
・1909年3月 横浜港から国外退去。広州へ
・1909年11月 クォン・デ皇子、国外退去
・1909年12月 チャウから小村寿太郎外相あての抗議の手紙届く
・1910年8月 日韓併合
・1910年9月 浅羽病死
・1910年秋 タイの農場に入植
・1911年10月 武昌蜂起で辛亥革命始まる
・1912年2月 南京で孫文と3度目の会談
・1912年5月 広州でベトナム光復会結成
・1914年1月 広州で逮捕される
・1914年7月 第一次世界大戦開戦
・1915年1月 日本政府が対華21ヶ条要求
・1917年春 出獄し、杭州へ
・1918年3月 再来日し、浅羽記念碑建立。1924年にかけて数回にわたり来日
・1918年11月 第一次世界大戦終結
・1924年後半 広州でベトナム国民党結成
・1925年5月~7月頃 上海で逮捕される
・1925年11月 ハノイで終身刑を言い渡され、フエに幽閉
・1931年9月 満州事変勃発
・1937年7月 日中戦争勃発
・1939年9月 第二次世界大戦開戦
・1940年9月 旧日本軍、北部仏領インドシナ進駐
・1940年9月 日独伊3国同盟締結
・1940年10月 フエで死去
・1945年8月 第二次世界大戦終結
・1945年9月 ホー・チ・ミンによる革命政権樹立
・1951年4月 クォン・デ皇子、東京で死去
・1954年7月 ジュネーブ協定でベトナムが南北に分断される
・1965年2月 米軍北ベトナム爆撃開始
・1973年1月 パリ和平協定に調印。3月末までに米軍完全撤退
・1973年9月 日本、北ベトナムと国交樹立
・1975年4月 サイゴン陥落。ベトナム戦争終結
・1976年7月 南北統一政府樹立
・1986年12月 ドイモイ(刷新)政策開始
・1989年12月 米ソが冷戦終結宣言
・1995年7月 ベトナム、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟
・2005年 東遊運動100年