メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳)

メコン圏現地作家による文学 第11回「メナムの残照」(トムヤンティ 著、西野 順治郎 訳)


「メナムの残照」(トムヤンティ 著西野 順治郎 訳、1978年8月、角川書店(角川文庫)) タイ語原書「クーカム」(Samnakphim na Ban Wannakam)1995年の映画でコボリ役を演じたタイの国民的スターのトンチャイ・マックインタイ(バード)の写真が本の表紙を大きく飾っている

本書の原作は『クーカム(kuukam)』(「運命の相手」)で、タイの人気女性作家トムヤンティ(1937年生まれ)が1965年に書き、1969年に雑誌「シーサヤーム」で発表された作品。タイでは大ヒットし、これまでに何度もテレビドラマ(1970年、78年、90年)、映画化(1973年、88年、95年)されていて非常に知られた作品で、この作品の主人公の姓である「コボリ」も、タイで非常に有名な日本人の姓になっている。邦訳作品については、1978年の角川文庫(抄訳)以外に、大同生命国際文化基金から全訳本として1987年、『メナムの残照 上・下』(<アジアの現代文芸・タイ4>)が刊行されている。

 太平洋戦争期のバンコクを舞台に、バンコクに駐留した日本海軍大尉のコボリと、タイ人女性アンスマリン(アン)との悲恋を描いた物語。文学部に通う女子大生アンはチャオプラヤー河のほとりの古いタイ式の家に祖母と母親とともに住んでいる。海軍士官であった父親のルアンはアンが生まれた直後、イタリアに単身留学するも帰国後まもなく離婚となり、アンは貧しい生活の中で母親と祖母に愛され育ち大学に進学していた。アンとは小さい時からの遊び友達で村長を務める資産家果樹園主の一人息子である工学部に通う大学生ワナスは、アンへの変わらぬ愛を告白し、5年間のイギリス留学に発つ。

 その後、1941年12月8日に日本軍はタイに進駐し、同日、日本軍の単なる軍隊のタイ領通過のみの協定が成立、その後日タイ間の交渉は急速に進み、日タイ同盟条約は1941年12月21日に正式に調印された。日本軍のマレー方面の作戦を容易にし、あわせてビルマに対する侵攻作戦を展開するためにタイ国の安定確保が必要であったためだが、こうして日本軍がバンコクにも駐留することになり、アンは自宅近くの川で、日本海軍大尉コボリと偶然出会う。

 アンの家のすぐ近くのトンブリにあった小さな造船所を日本軍が買い、沿岸や河川を航行する小型船を造っていたが、コボリは若くしてその造船所の所長を務めていた。コボリは折にふれてはアンスマリンの家を訪ね、アンに魅かれ好意を示すようになり、アンも次第にコボリに好感を抱くが、タイに進駐している日本軍への反発が強いアンは、かたくなにコボリを冷たくはねつける。しかしながら2人の関係について事実無根の噂が村に広まったことを機に、コボリが日本軍司令官の甥であることや、アンの父親がタイの高級海軍将校であったことから、タイ日親善という政治にも利用され、アンはコボリと結婚することになる。

 こうした中、地下抗日運動、「自由タイ」運動も活発化していき、連合軍捕虜の脱走兵をアンが匿ったことからアンの父親が自由タイの一員であることがアンにもわかる。また恋人だったワナスも海外で自由タイ運動に参加しており、タイでの地下工作活動の為落下傘でタイに潜入を図る。戦争末期になると、連合軍によるバンコクの日本軍拠点を狙った空襲が激しくなり、コボリが仕事でバンコク・ノーイに行っていた時に連合軍によるバンコク・ノーイへの空爆が行われる。この空爆で瀕死の重傷を負ったコボリとバンコク・ノーイに駆けつけたアンとの2人の場面が悲しいラストシーンとなっている。(完訳本では火葬のための寺の場面がラストシーン)

 コボリは人間的にも「立派な」日本軍人として描かれており、このような日本軍人像がタイ人作家によって描かれたのも興味深いが、若い時から苦労し続けたであろうアンの母親オーンも素敵なタイ人女性だ。ポンおじさんとプアおじさんという2人組のタイ人男性もちょっとコミカルであるが、脇役ながら本作品の中でのいろんなストーリー展開で存在感をもって登場している。この2人組が日本軍造船所のガソリンを盗んで売っているのがばれ、日本軍の処罰の方法が犯人の口をあけてガソリンを注ぐという形で描かれているのは驚いた。また連合国捕虜を棺桶を使って逃がす方法や、捕虜を匿っていた掘立小屋を取り除いたあとを隠すために村でラムウォン(民謡にあわせて踊る盆踊りのようなもの)を行う話も面白い。

 冒頭のシーンは、寒季の朝、アンが家の前の川で水浴する場面であるが、このシーンを含め村の果樹園や川の様子など、トンブリにあるアンの家の周辺の様子が度々描かれている。この辺りについては訳者あとがきに興味深い補足説明が付されている。

 「小説はフィクションであるが、史実に従って忠実に書かれている。首都バンコクの西岸トンブリ側にあるバンコク・ノーイ駅はマレー半島を縦貫する南部鉄道の起点である。旧トンブリ県も今は大バンコク首都圏に合併されている。日本の円借款によって1973年に完成したピンコラウ橋を渡れば旧王宮前から一瞬の内にバンコク・ノーイやシリラード大学病院の辺りに到達することが出来る。そしてこの辺りも今では市街区の一部となり殷賑を極めているが、第2次世界大戦当時は静かな郊外の果樹園地帯であった。当時、メナム河にはラマ1世記念橋と上流のラマ6世橋(鉄道のみ)との2本の橋しか架せられておらず、この地区へ行くにはター・ティヤン(タマサート大学近くの渡し場)辺りから舟で渡るのが普通であった。戦争勃発後進駐して来た日本軍はこの付近にあった華僑経営の小さな造船所を買収して南方戦場の沿岸や河川で使用する木造船を建造していたのも事実である。」

 尚、『クーカム』(邦題:「メナムの残照)が大ヒットしたこともあって、トムヤンティ氏は、続編『クーカム2』を書き上げており、この続編もテレビドラマ化されている。コボリが連合軍の空爆で亡くなったとき、アンのおなかにいた子供が主人公。1970年代初頭、反日運動や反政府活動がタマサート大学を中心に盛んになっていたが、日本人(コボリ)の血が流れるタマサート大学講師となったコボリとアンの間の生まれたヨウイチと、学生運動のリーダーとして活躍する女子学生サラワンニーとの悲恋の物語。1973年10月14日の「血の政変」で悲劇が起こり、アンスマリンは一人で育ててきた最愛の息子にも先立たれてしまうことになる。

著者紹介:トムヤンティ
本名ウィモン・シリパイブーン。1937年、バンコクに生まれる。タマサート大学商学部卒。14歳より文筆になじみ、20歳で長編発表。現在までに長編56編を発表。そのうち「メナムの残照」で国王より最高文学賞受賞。タイ作家協会幹事、同女流作家協会会長、他に国会上院議員(官選)、バンコク運輸公社総裁を歴任。(大同生命国際文化基金発行書籍での著者紹介より、1987年発刊当時)

訳者紹介:西野 順治郎
1917年、大阪府に生まれる。1937年、横浜専門(現・神奈川大学)在学中に外務省留学生試験合格。タマサート大学法学部に留学後、在タイ日本大使館勤務。戦後、外務省、通産省に勤務後、(株)トーメンに入社。現在、タイ・トーメン会長の他、在タイ日系企業の法律顧問として活躍している。公職として8年間タイ国日本人会長を務め、現在バンコク日本人学校理事長。タマサート大学東アジア研修所理事、泰日協会副会長などの要職にある。著書「日タイ四百年史」増補新版(1984年、時事通信社)。1984年タイ政府より勲三等王冠勲章、1987年日本政府より勲三等瑞宝章を授与される。(大同生命国際文化基金発行書籍での訳者紹介より *1987年発刊当時)

主な投票人物
・アンスマリン(アン)
・小堀(日本海軍大尉)
・オーン(アンの母)
・アンの祖母
・ワナス(アンの幼友達)
・ワナスの父親(村長で資産家の果樹園主)
・ルアン・チャラーシントゥラート(アンの父)
・コーブとケーオ(再婚したルアンの二人の娘)
・吉田医師
・日本軍の軍医
・ポンおじさん
・ブアおじさん
・ミヤン婆さん
・マイケル・ウォルデン陸軍中尉(連合軍捕虜)
・在タイのドイツ人
・日本官憲の指揮官

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