メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第11回 「色のない空」(久郷ポンナレット 著)

メコン圏題材のノンフィクション・ルポルタージュ 第11回 「色のない空」(久郷ポンナレット 著)


「色のない空」虐殺と差別を超えて(久郷ポンナレット、春秋社、2001年4月30日発行)

著者紹介》久郷(くごう)ポンナレット  
1964年、カンボジア・プノンペンに生まれる。1975年、ポル・ポトによる暴政開始。両親、きょうだい4人を失い、自らも苛酷な強制労働に従事させられ、死の瀬戸際で一命を取りとめる。1979年、ポル・ポト政権崩壊。混乱の中、タイに脱出。留学中の姉を頼って80年に来日。その後苦学して小学校・中学校を卒業、1988年、日本人男性と結婚。90年、日本国籍を取得。現在、平塚市に在住し、在日カンボジア人子女の教育援助や講演などに活躍している。(本の紹介文より)

本書の著者は、史上まれに見るポルポト時代に両親や兄弟を亡くし、自らも10代前半の少女期を強制労働・大虐殺の中、辛うじて生き延び、タイへ脱出後、難民として来日し、日本で言葉・文化の壁と戦いながら力強く生き抜いてきたカンボジア女性。本書はその彼女自身による、日本語で書き下ろした感動的な半生記で、数々の辛い思いを乗り越えて著者が本書を如何に大切に書き上げたかということが伝わってくる書だ。今の日本では当たり前でその有り難味が分からないほど忘れがちな平和の大切さを改めて感じるとともに、戦争や殺人の恐ろしさ、人間集団の狂気など、嫌になるほど痛感させられる。本書自体は第1部と第2部に分かれ、第1部は、カンボジアでの大虐殺が行われていた日々を、第2部では、それを逃れ、日本に来てからの生活と活動が記されている。また著者や家族の大切な写真が、プノンペン時代、タイ・カオイダン難民キャンプ時代、大和難民定住促進センター時代などと掲載されているが、特に虐殺が始まる前の幸福なプノンペン時代の家族の写真は、その家族の身に降りかかった不幸を思うと、とても哀しくなる。著者は出版記念の講演会でも、多くの日本の人は関係ないと思っているかも知れないが、平和が崩れると言うのは一瞬で、そのもろさを身をもって知ったと何度も強調されていた。

  著者は、日本に来日後苦学中の折、励ましの手紙をくれた日本人男性と国際結婚したため、男性の日本人姓を名乗られているが、カンボジア姓名はペン・ポンナレット。ペン・ポンナレットさんは、1964年カンボジアの首都プノンペンで、国立図書館の館長の父親と女学校の先生だった母親との間に8人兄弟の7番目で4人目の女の子として生まれた。何も不自由することなく、優しい両親に見守られ仲の良い兄弟たちとともに幸福な幼少時代を過ごしていた著者の生活が一変するのが1975年4月。4月17日プノンペンにクメール・ルージュが入城後、ロン・ノル政権を倒した急進的共産主義者のポルポトを首魁とするクメール・ルージュは、農本主義による国土開発を叫び、プノンペンなど都会の住民を数日中に、老若男女を問わず地方に連行して苛酷な強制労働に駆使し、旧支配階級やインテリ層など、2百万とも3百万人ともいわれる数の同じ国民を虐殺するという暴政を行う。

 プノンペン在住のインテリ層の家庭であった著者の家族も、この惨劇の対象から逃れることはできず、まずプノンペンの強制退去命令に、父と母、10歳の著者、他6人の兄弟の家族計9人(長姉セタリンさんは、1974年に国費留学生として日本に留学していた)がわずかな荷物とともにプノンペンを追い出される。そのうち、「軍人、政治家、役人」に、国家再建のため政府に出頭するようにという新政権の呼びかけに、国立図書館長だった父が名前登録に応じるが、翌日2人の黒い軍服姿の男に連行され、他の多くの学者・知識人同様2度と戻ってくることはなかった。

 それから次姉の病死、カンボジア北部の地方への移動という「オンカー」の新たな移動命令、強制労働体制に組み込まれ家族の別居生活(著者は子供グループに配属され、母や他の兄弟達もそれぞれ別のグループに分けられる)、妹に起こった事件、結果2度と会えない長兄の仕事場からの逃亡、農村に住む「旧住民」による都市から強制移動させられた「新住民」への差別、そして遂には母、三姉、妹の3人までもが、連行される(新住民が連行され行方不明になるということは、殺害処刑された可能性が非常に高かった)というまさに惨劇が続いた。10代前半の少女であった著者にとってこうした家族に降りかかった惨劇の事実を、先の希望も持てない生き地獄のような冷酷な社会現実の中で受け止めなければならなかったと言うことは想像を絶するが、この厳しく苦しい時期の様子も大変辛い思いを振り返りながら細かに綴られている。

 カンボジアで猛威をふるったクメール・ルージュに危険を感じたベトナムは、1978年12月大軍で国境を越えてカンボジアに侵攻。1979年1月にはプノンペンを陥落させ、クメールルージュをタイとの国境地帯に追い払い、ヘン・サムリン政権が誕生。しかし著者と共に生き残った次兄、三兄の兄弟3人にとり、プノンペンに戻っても食べていけるあてもなく、農村に住む遠い親戚の糸をたどって世話になるが、この時、「生きているなら直ちにタイの難民キャンプに向かうように」と書かれてあった日本に留学していた長姉からの手紙が、奇跡的にNGO「幼い難民を考える会」をはじめ何人もの手を経て著者たち兄弟の下に届く。そしてタイ東部の国境地帯にあったカオイダン難民キャンプへの国外脱出をすべく、まだ内戦状態、しかもタイに近い方はポルポト派の拠点が多く地雷も多いという危険な状況での命がけの旅をすることになる。そしてなんとか無事タイ側の難民キャンプに入り、半年過ごした後、日本への入国許可が出、1980年8月に長姉のいる日本に、旅たつことができた。

 しかし希望を抱いてきた日本の生活も、16歳で来日した著者にとっては言葉の問題をはじめ実際には非常に大変であったようだ。日本は大変平和ではあるが、住みにくく近づきにくくとにかく受けつけてくれないと感じつづけてこられたようで、日本に来てからの苦労や日本社会の無理解・閉鎖性などについては、本書第2部にその様子が書かれている。尚、ポルポトの酷い時代の体験から「色のない空」と言うタイトルが本書についているが、本書カバー表紙は、著者が一番好きな色の衣装という素敵な民族衣装を着た著者の写真。カンボジアというと暗く地味なイメージをもたれがちだが、カンボジアの女性も世界に負けないぐらいカラフルな民族衣装を好み、カンボジアにも素敵なものがたくさんあることを多くの世界の人に知って欲しいと著者は語る。自ら酷い目に遭い、どれだけ犠牲を出せばよいのかと内戦が続いたカンボジア民族の弱さを嘆きながらも、カンボジアの土地を愛し、カンボジア国内に残ってまだ苦しんでいる人や日本で差別を受けている同胞たちに思いを寄せる著者は、親や世話になった人への感謝の念を強く持ちつづける人であることが、本書からもよくうかがえる。

本書目次
まえがき
第1部 色のない空
生まれ故郷/惨劇の始まり/プノンペン強制退去/父が連行される/母の決断/最初の村/オーク姉さんの死/新たな移動命令/運命の分かれ道/妹の事件/タル兄さんの逃亡/明らかになる差別/色のない空/一時の救い/母からのお守り/そして母たちが・・・/まさに生き地獄/虫けら以下の命/生と死の分かれ目/兄たちとの再会/大きな変化/プノンペンへ?/親戚の糸をたどって/果物の実る庭/奇跡の手紙/新たな守り手を恵まれて/国境へ向けて/密入国/難民キャンプ/日本へ向けて

第2部 「外国人」の壁を超えて
「希望の星」へ/難民定住促進センター/夜が怖い/16歳の小学生/19歳での小学校卒業/「人種」の壁/カンボジア・レストラン/結婚/国籍取得/国際夫婦のバトル/故郷のむくもり/50ccでの強行軍/オーク姉さんの供養/ピンおじいちゃんのお墓で/奇妙な願い/初めて「体験」を語る/カンボジア語教室/日本語指導協力者/自宅でのカンボジア語教室/書くことへ/家庭という幸せ/祖国への想い/意外な宝物/おわりに
あとがき

幼い難民を考える会(CYR)
 (Caring for Young  Refugees)
戦乱により難民となったカンボジアの子どもたちが懸命に生きようとする姿に触発され、1980年に設立された民間の国際協力団体(NGO)。現在は、カンボジアの農村で保育所を運営しながら保育者の育成、保護者への育児指導、女性のための織物技術指導を行っている。 同団体ホームページ

■著者の主な親族
・父
・母
・セタリン(長姉)
・タル(長兄)
・オーク(次姉)
・マオ(三姉)
・トー(次兄)
・トラ(三兄)
・ポンナレット(著者)
・ナェット(妹)

■著者の略歴
・1964年プノンペン生まれ
・1975年プノンペン強制退去
・1979年ポルポト政権崩壊。その後タイへ脱出
・1980年8月来日、大和難民定住促進センターに入所
・1981年4月、神奈川県海老名市立海老名小学校4年生に編入
・1984年3月、神奈川県海老名市立海老名小学校卒業
・小学校卒業後、働きながら夜間中学に通う
・1988年8月、日本人男性と結婚
・1990年、日本国籍を取得
・1992年、祖国カンボジア訪問
・1994年~98年、在日カンボジア人子弟へのカンボジア語教室
現在は、在日カンボジア人子弟への日本語指導協力、自宅でのカンボジア教室、通信制の高校、カンボジア舞踊の稽古と披露、各地での講演などと多忙な日々を送る

ペン・セタリンさん(著者の長姉)の略歴  Penn Setharin
・1954年11月16日、プノンペン生まれ
・1973年、プノンペン大学文学部フランス語学科および教育学部フランス語、クメール語学科入学
・1974年、日本文部省の国費留学生として来日、東京外国語大学付属日本語学校に入学
・1975年、東京学芸大学教育学部学校教育学科入学
・1979年、同大学教育学部学校教育学科卒業。同年、東京学芸大学大学院教育学部社会心理学科入学
・1981年、同大学大学院修了
・1981年~83年、社会福祉法人セイワ川崎授産学園の指導員として勤務
・1985年~ エスニックレストラン「アンコール・トム」を東京都町田市に開店
・1988年~ 大学書林アカデミーカンボジア語講師
・1989年~ 大和市教育相談委員
・1992年~  東京外国語大学講師
・1997年~  桜美林大学生涯学習センターカンボジア語講師
通訳・翻訳やNGO活動、各地での講演活動など多彩な活動をされている
主な著書
「私は水玉のシマウマ」(講談社)、「カンボジア語テキストップ」(カンボジア語)、「アンコール・ワットの青い空の下で」(カンボジア語、1997年シハヌーク国王文学賞受賞作。同名の日本語版はてらいんく社より1999年12月刊行)

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