メコン圏関連の趣味実用・カルチャー書 第2回「ベトナム語はじめの一歩まえ」(冨田健次 著)

メコン圏関連の趣味実用・カルチャー書 第2回「ベトナム語はじめの一歩まえ」(冨田健次 著)


「ベトナム語はじめの一歩まえ」(冨田健次 著、2001年10月発行、株式会社DHC)
(化粧品や健康食品、エステ事業などを手がけるが、出版事業も行っている) 

<著者紹介> 冨田 健次(とみた・けんじ)
1947年生まれ。東京教育大学大学院修士課程修了。専門はベトナム言語学。現在、大阪外国語大学教授。また朝日カルチャーセンター講師、ベトナミスト・クラブ代表を務める。主な著者に『ベトナム語基本単語2000』(語研)『ベトナム語の基礎知識』『役に立つベトナム語会話集』『ヴェトナム語の世界ーヴェトナム語基本文典』(以上、大学書林)『旅たび会話1 ベトナム語』(国際語学社)などがある。<本書紹介文より>

ベトナム言語学研究者による『ベトナム語はじめの一歩まえ』と題した本であるが、語学習得のための入門編といったものではない。ベトナムに関心のある人々が集まってベトナムに関する様々なプログラム企画運営するなど大阪を中心に活動しているベトナミスト・クラブ代表でもある著者が、”コトバはその背景とともに存在するものであり、その背景には必ずコトバの影があることをしっかり認識して、外国のコト、そして外国のコトバの学習に取り組んでいただきたい”と、「はじめに」で述べているが、ベトナムのことやコトバについて幅広く且つ深く紹介されている。ベトナムやベトナム語をこれから知っていきたいという人にはもちろん、ベトナム語も豊富に収録されていてベトナム語の学習歴のある人にとっても十分楽しめ且つ役にたつ書であろう。

第1章では、ベトナム人のものの考え方を示すような風景やエピソードが、第2章では、ベトナムを解くキーワードは”ハイブリッド(雑種)”として、特徴的な文化の各様相が、紹介されている。それは、下記目次内容の通り、医療意識、宗教事情、占い事情、文芸、アオザイ、音楽、水上人形劇、民具、女性の地位などなど、話は多岐にわたるが、特にベトナム料理やコメ、メンといった食べ物に関しては非常に多くのページが割かれている。他にも、「日常表現と簡単な会話①②」「ベトナムのコーヒー・お茶」「喜ばれる贈り物、嫌われる贈り物」「パンもおいしいベトナム」「ベトナムの漬物あれこれ」「ベトナムの度量衡」などと題した、実用的で便利な情報を含むコラムも掲載されている。

ベトナム語そのものについても、第3章で、その声調、発音、文法、表記、漢越語など、コトバの一般的な特徴をしっかりを紹介しているが、加えて成語のことや隠喩の事も詳しく述べられ、ベトナム語既習者にとっても深いものになっている。「狭い穴に出入りするネズミ(のように)笑う」とか「役所も集会所も倒れ、傾く(ように)笑う」などという表現法に至っては、驚くばかりだ。

他にもコトバにまつわる面白い話もいろいろと交えているが、時計の話もその一つだ。現代ベトナム語で時計を「ドーン・ホー」と呼ぶが、これが漢語「銅壺」のベトナム語読みで、昔、銅の壺に水を入れた水時計で時を計っていたころのなごりだというもの。さらに日本語で時計を正しい漢字音「ジケイ」と呼ばず「トケイ」と呼ぶのはどうしてか、同じ漢字文化圏の朝鮮語では、日本製の漢語「時計」を、そのまま音読みして「シゲー」と呼ぶが、現代中国では「鐘表」と全然違う形で呼んでいるという話など、普段気にしないコトバの由来ではあるが、確かに考えてみるとコトバは奥深いものだと改めて思えてくる。

本書では、著者・冨田健次氏自身の履歴や考え方が、「ベトナムとともに走り続けた私の三十五年」として終わりの部分で述べられている。著者がベトナムの歴史や政治について勉強し始めた1966年の春からの話であるが、1960年代後半の大学生活の様子や学問の対象に言語学を選んだいきさつなどは、特に興味深い。

ベトナムをどういう観点から見るかについても著者の意見が、述べられている。一般に日本人は、ベトナムを他の東南アジアの国々と同列にとらえがちであるが、東南アジア文化圏を形成しつつも、一方では、中国、朝鮮・韓国、日本とともに東アジア文化圏(中国文化圏、漢字文化圏)を構成する重要な国でもあることを強調している。そして著者にとって学問的テーマの一つは、ベトナムにおける中国文化の受容の諸相を、同じ文化圏内の日本、朝鮮・韓国と比較研究することで、それをライフワークの一つと思い定めていたとのことだ。しかし、ベトナムを東洋的な側面からだけで見ていたのは不十分で、やはりもう一つの側面、近代西洋文化の影響という側面を見落とすわけにいかず、ベトナム人の生活の中に浸透しているフランス的なものをも探りたいとしている。

本書の目次

はじめに
第1章 遠くて近い国ベトナム -日本人とベトナム人ー
ホンネとタテマエ
見知らぬ異国人を<同志>とよぶベトナム人/統一後の苦難続き/ ヤミ経済の功罪
自国への誇り
ベトナム人、日本人に共通の”中華思想”?/ 南→北→東→西の順に優先する医療意識/特異なベトナムの宗教事情/ 占い好きなベトナム人
言霊の幸わう国
言葉による縁起かつぎ
大切な旧正月テト
上を下への大騒ぎ/平和のなかの”テト攻勢”と”革命「蟻」勇軍”
女性の地位
”姉さん女房”はありえない?/一周遅れの”夫婦別姓”/優美な民族衣装にひそむ女性の命運
ベトナム文芸に見られる新しい潮流
映画『退役将軍』に見られる”内なる敵”の自覚/ 国語字の獲得と文学との関係/ 四段階の思考の流れが見える『獄中日記』
日本とベトナムの交流
茶屋船が結ぶベトナムと尾張名古屋/ 悲劇の近江商人・西村太郎右衛門/からゆきさんとベトナム

第2章 東西融合のハイブリッドな文化 -ベトナムへのいざないー
巨大な文明たちのはざまで
中国文化を滋養源として/フランス文化を深く浸透させて/衣食住に見られる、東洋と西洋の融合/歴史のなかで磨かれた食と言語/ 五線譜に写しとれる音楽的言語/冷や汗の流れる十六弦琴の思い出/ ベトナムの雅楽/水の国ベトナムの水上人形劇/ ベトナムのシンデレラ譚
世界一おいしいベトナム料理
ベトナム料理との出合い/最高のもてなし、揚げ春巻/ 朝食は外で買ってくる/街で気軽に味わえる多彩な食
ベトナム料理のエッセンス
食べる人も料理に参加するベトナム料理/捨てるのは鳴き声だけ/ 万能調味料ヌオック・マム
コメの王国ベトナム
南部では三期作も可能/ベトナム流白米の炊き方、食べ方/ 変幻自在なベトナムのコメ/もち米とうるち米がそろって幸せ/ 必死でつくり必死で消費
めんをめぐる一大食文化
めん料理は、立派な一品料理/フォーは礼節をつくして食べる/ 条件反射で食べたくなるフー・ティエウ/バリエーション豊富なブーン
新旧の入り混じる暮らし
あふれる自転車とバイクの波/ベトナム名物人力三輪車シクロ/ ショッピング/就職も食事もファーンの上で/冷蔵庫のいらない暮らし/ 農村部の暮らしと伝統的民具
もう一つの二重構造
南北二つの世界を残したベトナム戦争/ベトナムの新たな課題
ベトナム訪問案内
南部の聖地タイニン/海水浴のメッカ、ブンタウ/高原の保養地ダラット/異国情緒の港町ホイアン/ベトナムの京都フエ/ハノイは河内/ 世界的奇景ハロン湾

第3章 ベトナム語入門
もっとも声調が複雑な言語
言語の聴覚的”美”と音楽性/ベトナム語の音楽性と声調/異端児ベトナム語と声調/声調言語のチャンピオン
ベトナム語は難しいか?
日本人にとってのベトナム語/豊富なベトナム語の母音/ ベトナム人にとって難しい発音もある/音楽性に富むトーン/ 語形変化なしの世界一やさしい文法
日本人に親しみやすいベトナム語
ベトナム語の表記はローマ字/語彙の約7割が漢語
言語に反映されるベトナム人の心
ベトナムの時計は銅の壺?/時の表し方に見られるベトナム人の感覚/ 笑いをどう表現するか/豊富な擬声・擬態語/ズバリたとえる直喩の表現法/外国人にはなぞなぞのような隠喩/ 結果としておこるほかのことと結びつける表現/副詞との結合も慣用化される/心身の動きなどをつけ加える表現
”成語”と”修辞”による豊かな表現
間接的な表現を好むベトナム人/洗練されたレトリック/言葉の表層と深層を往復して『意を食べあう』/「黒い意味」と「影の意味」/<意>の世界と成語/ベトナム語習得に成語は欠かせない/ 単純な比喩成語は日本語にも多い/比喩成語の範囲/ 比喩成語は単語にまで極まる/直喩が同時に隠喩という例も/ 成語によく使われる数字/数字の喚起するイメージ/「犬猿の仲」は「犬猫の仲」
日常表現について
ベトナム人のあいさつ
国際化時代のベトナム語の課題
”意”と”義”の統一への動き/英語教育はこれから/ 日本語教育をはばむ現地の日本企業の姿勢

おわりに -ベトナムとともに走り続けた私の三十五年ー
ベトナム語索引
日本語索引

■日本とベトナムの交流(本書65頁~70頁)
「茶屋船交趾渡航貿易絵巻」
ベトナムを含めた南蛮貿易で名をなした江戸時代」の豪商・尾州茶屋家に伝わるもので、尾州茶屋家初代の発願で建立された、茶屋家の菩提寺である情妙寺(名古屋市東区筒井町)に保管されている。この絵巻は、2代目茶屋新四郎のベトナム渡航の様子を描いたもの。長さ45m、幅約8mの船体に、3百人あまりの船員と商客をのせたという茶屋船が、長崎港を出帆し、五島列島を経て、ベトナム中部にあった交趾国のとろん(ツーラン、現在のダナン)に40日をかけてたどり着くまでを描いたという絵巻。この絵巻の中に描かれた日本人町がホイアン。
西村太郎右衛門
ベトナムとの貿易で巨富を築いた近江の豪商。現在、滋賀県近江八幡市の郷土資料館が立っている場所が、西村家の邸宅といわれるが、その近辺に散在する松前屋西川家、恵比寿屋岡田家などと並んで、安南屋西村家の主として知られた近江豪商の一人。豊臣秀次が開いた城下町を見下ろす八幡山の南麓に鎮座する日牟礼八幡宮に残る「安南渡航船額」(重要文化財)を寄進した人。西村太郎右衛門は、若干20歳で、京都の豪商・角倉了以の朱印船に便乗し、ベトナムとの貿易で巨万の富を築くが、徳川家光の鎖国令により、長崎まで帰り着いていながら上陸を許されず、かわりに自分の乗った船を絵師に頼んで描いてもらい、絵馬として奉納する事により、帰郷の実現を祈願する。結局、彼は故郷の土を遂に踏まぬまま、5年後の1651年、安南の地で病死したと伝えられている。八幡公園には、その死をいたむ供養塔も建っている。
広田言証とからゆきさん
北はシベリアから、西はインド、さらには中国、東南アジア各地をめぐり、からゆきさんの相談相手となり、また異国の土となった幼いからゆきさんの霊をなぐさめ、郷里の島原にそれらの霊を迎え入れるための天如塔とよばれる燈台のような巨大な塔を建てて、”お大師さま”として国内外に多くの信者を集めたお坊さん。その塔の周囲には、玉垣がめぐらされ、その1本1本に朱書きで、多くのからゆきさんとその関連の人々の名と寄進額が残されている。そこには、当時最大の拠点であったシンガポールの名に次いで、アンナン、トンキン(ベトナム北部)、ツーラン(ダナン)など、ベトナムがらみの名が多く見られる。

ベトナム語での「笑い」の表現
ベトナム語が、どのような方法によって、表現の豊かさを確保しているか
●動詞「笑う」 クォイ
●擬声・擬態語を用いる表現法
●比喩法のうちの直喩法
「大声でけたたましく笑う」の意味で
・クォイ ニュー ファーウ ザーン(砲声がとどろくように笑う)
・クォイ ニュー ナック ネー(夜明かりに集まる蛾の羽音のように笑う)
・クォイ ニュー コーン ティン セールア(妖怪が絹をさくように笑う)
「無気味に笑う」の意味で
・クォイ ニュー ドゥオイ ウォイ(オランウータンのように笑う)
●比喩法のうちの隠喩法
・クォイ ターウ ターウ(曹操のように笑う)「害悪な、人を見下した笑いをする」
・クォイ チュオッツ ズーック(狭い穴に出入りするネズミのように笑う)「クスクス笑う」
・クォイ ドー クアーン シエウ ディン(役所も集会所も倒れ、傾くように笑う)「夢中で笑う」
●結果としておこるほかのこととむすびつける表現(笑ったあとにおこることが予想される事態をもちだして、その笑いの程度を強調する、という表現法)
「大笑いする」の意味で
・ベー ブーン(腹が破ける)
・ダウ ブーン(腹が痛くなる)
・ドゥーッツ ズオッツ(腹が切れる)
・ネー ズオッツ(腸にさけ目ができる)
・ノーン ズオッッツ(腸を吐き出す)
・タッツ ズオッツ(腸がくびれる)
・ボーン ターイ(耳をやけどする)
・ヴァーイダーイ(小便をばらまく)
・ホーローイ(歯ぐきがあらわになる)

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