メコン圏対象の調査研究書 第18回 「中国55の少数民族を訪ねて」(市川捷護・市橋雄二 著)

メコン圏対象の調査研究書 第18回 「中国55の少数民族を訪ねて」(市川捷護・市橋雄二 著)


「中国55の少数民族を訪ねて」(市川捷護・市橋雄二 著、白水社、1998年1月発行)

著者略歴(本書紹介文より。1998年発刊当時)
市川 捷護 (いちかわ・かつもり)
1941年、茨城県生まれ。一橋大学卒業。日本ビクター、映像プロデューサー。[主要作品]レコード「小沢昭一 日本の放浪芸シリーズ」、CD「地球の音楽」、ビデオ「世界民族音楽大系」「日本古典芸能大系」「大系日本歴史と芸能」
市橋 雄二 (いちはし・ゆうじ)
1962年、三重県生まれ、東京外国語大学卒業。日本ビクター、映像プロデューサー[主要作品]CD「地球の音楽」、ビデオ「世界民族音楽大系」「日本古典芸能大系」「大系日本歴史と芸能」

中国には、漢民族以外に、中国政府が公式に認定した55の少数民族が、主に東北部、西北部、西南部と、国境などの辺境を中心にしながら居住している。本書は、歌、踊り、神話など、それぞれの民族が独自に伝承している多様で豊かな文化を求めて文字通り、これら中国の55の少数民族を訪ね、中国各地の最奥地・辺境を踏査した記録だ。55の公式少数民族の一部だけではなく、本当に55全部の少数民族を訪ね調査したものだ。それも暮らしの中に生きている芸能を映像として記録することが目的であったため、民俗芸能を舞台化した歌舞団によるものを記録するのではなく、実際に少数民族が生活している村を訪ね、独自の習俗文化を残している地域で、日常のなかに生きている歌、踊り、儀式などをありのままに撮影記録する、というものだ。

 当然、これだけの大事業は、普通に簡単に短期で成し遂げられるものでなく、1992年から5年間にわたる日本ビクターと中国民族音像出版社との日中合作プロジェクトによるものだ。そうはいっても、広大な中国に散在する少数民族全体の現在の文化状況を把握することの困難さ、目ざす少数民族の村がほとんど最深部にあり厳しい交通事情の中での、撮影スタッフ、通訳、現地役人や案内人、料理人、運転手などのスタッフの移動、更にこうした仕事を進める上で必要になる様々な許可を取るための手続きの煩雑さと時間の効率の悪さ、常識・習慣の異なる日中両国スタッフの共同作業の摩擦・衝突などと、事は簡単順調ではなかったようだ。

 撮影に先立つ中国側の合作相手機関との契約交渉では、撮影内容の範囲をめぐる考え方に不一致があったという。日本側は過去に日本の民俗芸能や世界の民俗音楽の映像記録を作ってきた経験から、本来芸能とは音楽や踊りが独立してあるのではなく、宗教的儀礼や祭り、結婚式や葬式、農業や漁業、牧畜など人の暮らしに深く関っていることを体験的に知っており、芸能を撮影するという場合、その背景にある暮らしや行事を含めた撮影にしないかぎり、その芸能が本来持っている役割や意味が損なわれてしまうと理解していたのに対し、中国側は最初は極端に、各民族の音楽と踊りだけを取り出して撮ればよい、というような論調だったとのことだ。

 こうした様々な障害・困難を乗り越えて成し遂げられたプロジェクトの記録でもある本書は、雲南省とか中国西南部の少数民族だけをとりあげたものではなく、以下の目次の通り中国各地に散在する公式に認定された55の少数民族すべてが、全11章にわたって紹介されている。このうちメコン圏関連の叙述は、第1章から第4章、第7章・第8章、第10章と、やはり大半の頁に及んでいる。特に雲南省には、漢民族以外の中国55の少数民族のうち、25もの少数民族がある程度の人口で一定の集落を構成して居住しているといわれるが、本書ではラフ族・ジノー族(第1章)、トールン族・リス族・ヌー族(第2省)、ナシ族・ペー族・プミ族(第3章)、タイ族・プーラン族・ハニ族・ワ族(第4章)、ドアン族・アチャン族・チンポー族(第7章)と15の少数民族を雲南省の各地に訪ねている。雲南省に居住する少数民族のうち残りの10の民族については、イ族は四川省に、プイ族・スイ族・ミャオ族は貴州省に、ヤオ族・チワン族は広西チワン族自治区に訪ね、それ以外の4民族とは、モンゴル族・満族・チベット族・回族で、その代表的な居住地である中国西北・東北地方の章で取り上げられている。

 これら雲南省に居住する25の少数民族の中には、雲南省だけに居住する民族もあれば、ミャンマー、ベトナム、ラオス、タイなど国境をまたがって広くメコン圏に散在する民族もある。本書巻末には、“中国55の少数民族一覧”が付されており、55もの中国の少数民族それぞれについての概要説明がまとめられている。雲南省に居住する少数民族以外の民族でも、少数民族の多い地域として有名な貴州省や広西チワン族自治区も、貴州省のトン族・トゥチャ族・コーラオ族、広西チワン族自治区のムーラオ族・マオナン族・キン族と、メコン圏理解には見落とせない。

 広大な中国に散在する少数民族の多様さを知り、各民族の概要を理解することができるが、本書は各民族についての概説書ではなく、本書の醍醐味は、やはり実際に少数民族が生活している村を訪ね、独自の習俗文化を残している地域で、日常のなかに生きている歌、踊り、儀式などをありのままに記録されていることだ。本書巻末には、創世神話、叙事詩・伝説、祭礼・儀式、歌垣(対歌)、子守歌、口琴、シャーマン儀礼、その他の宗教儀礼と、項目別索引(右記参照)があるが、これらの項目以外にも、楽器・衣装などと、各少数民族を訪ね見聞きした内容が、著者たちの感想やエピソードも交え具体的に記録されていて親しみやすい。一般の人がなかなか訪ねることができないような土地をあちらこちらと探訪しており、踏査紀行としても楽しめる。

 本書巻頭には55全ての少数民族のカラー写真が並べられており、これらのカラー写真は、衣装や入れ墨、楽器など、本文の各少数民族の説明の理解を助けてくれるが、本文にも場面場面に応じて白黒写真が配されている。本書の表紙に採用されている写真は、同心酒を呷るリス族の男女を撮ったものだ。また奥地の村を訪ねまわっているが、馴染みのない地名でも、各民族を訪ねた村々の位置関係が分かる地図が何枚も用意されている。1年間の予備調査を経て、1993年から4年間にわたり撮影されたビデオ・テープは、『天地楽舞 -音と映像による中国五十五少数民族民間伝統芸能大系』(全40巻)として完成している。尚、これらの貴重な記録を残すことができた、この日中共同プロジェクトの大事業がスタートするきっかけ、経緯については、本書まえがきに記されている。

本書の目次

まえがき

第1章 雲南をめざす
桃源郷に立つ/少数民族の天地/最初の撮影地に入る/ 芸能をめぐる論争/日中合同スタッフ/新年の風景/ 大地を踏みしめる芦笙舞/ビデオシアター発見/55番目に認められた民族/創世神話と新築祝い/ティモクーの祭り

第2章 怒江上流の峡谷を行く
独龍江をめざして/招待所での宿泊/峠越えの最終判断/最も人口が少ない民族の村/女性の顔面入れ墨/ 猟師ブルーチスの歌/2つの創世神話/芸能大会の夜/ トラクターに乗って/ロープで川を渡る/自由市場と口琴/ 女装するシャーマン/田植えのあとの祝宴/キリスト教の村/ 病気治療の儀式/教会の賛美歌

第3章 大凉山からチベットのふもとへ
宇宙ロケット発射基地の町/自給自足の豊かさ/ シャーマン信仰は迷信か/イ族のたいまつ祭り/ 山奥で見つけた「日本料理」/少数民族観光の町/ 頼もしい4輪駆動車/歌で祝う結婚式/トンパの暮らし/ 納西古楽の響き/松茸のふるさと/ペー族のたいまつ祭り/ 先祖供養の3日間/大脱出行

第4章 ミャンマー国境の山岳地帯へ
民間歌手の伝統/盛んな仏教行事/ 人民解放軍の基地に宿泊/豊かな歌の伝統/ 太鼓と魔除けの踊り/女シャーマンのトランス/ 頓知のような歌垣/失われた木鼓を探して/ 復活した木鼓運び/歌われる創世神話

第5章 西北イスラムの大地
民族の十字路「河西回廊」/白いモンゴル/ 招待所の石炭ストーブ/羊飼いの女/静寂のなかの朝食/ 唯一の質素な寺/絶品のしゃぶしゃぶ鍋/黄河沿いの町/ 断食明けの儀式/砂糖入りの茶/豚は御法度の戒律/ 複雑な背景をもつ民族/ホアルを歌う女/ 女人禁制のイスラム寺院/厳しいイスラムの戒律

第6章 モンゴルと狩猟民の末裔たち
遊牧の民を探して/千頭の羊を飼う/ナーダムのゲルで/ ブリヤート・モンゴルの人々/動物の踊り/ 蘇る旧日本軍の記憶/早口言葉遊び/かつての支配民族/ 定住化政策の村/口琴あれこれ/知られざる苦難の民族/ 漁猟生活の伝統/陽気な「アリラン」

第7章 ミャンマー国境から海南島へ
共働きの女性スタッフ/小乗仏教の村/ 辺境で聞く沖縄のメロディー/歌垣で結婚/ 西南中国の創世神話/歓迎の夕べ/精霊を信じる村/ 旧日本兵への恩返し/リゾート開発の島/ 時代に流され始めた民族/不思議な茶摘み歌

第8章 貴州の山を分け入る
美しい刺しゅう/集団お見合い/糸電話で愛の交換/ 古代の楽器、銅鼓/水車と清流/屈指の芦笙舞/ 道塞ぎ歌の歓迎/謎のポリフォニー/杉山に山歌が響く/ 黒覆面の男たち/差別されていた民族/ 岩山を切り開いた村

第9章 シルクロードの民
異文化への入口/軍事基地と遊牧民/放浪芸人の面影/ 中世の都カシュガル/たくましい楽士たち/ タクラマカン砂漠の村/パミールの自然を愛する/ 貿易商人の暮らし/民族の絆/アルタイ山中の悪路/ 歌の祭典アイトゥス/子守歌考/天山越え/ 民族移動の歴史/途絶えたシャーマンの伝統/ 中国のロシア人

第9章 シルクロードの民
異文化への入口/軍事基地と遊牧民/放浪芸人の面影/ 中世の都カシュガル/たくましい楽士たち/ タクラマカン砂漠の村/パミールの自然を愛する/ 貿易商人の暮らし/民族の絆/アルタイ山中の悪路/ 歌の祭典アイトゥス/子守歌考/天山越え/ 民族移動の歴史/途絶えたシャーマンの伝統/ 中国のロシア人

第10章 山の民と海の民
通訳は美容院経営/伝説の移動する民族/ 愛を伝え合う山歌/強い先祖崇拝/漢語の混じった歌垣/ 葬式に出会う/村は全員、同じ姓/歌自慢の山歌/ 張りぼての馬/即席の「市」/地雷報道とオートバイ/ ホテルの「事件」/ベトナム国境の漁民

第11章 チベット、そしてインド国境地帯へ
高山病の恐怖/チャンタン高原の遊牧民/ 洗練された仮面舞踊/ラサの大道芸人たち/ 入境禁止地区/聖地ラサの今/インド国境地帯へ/ 狩猟民の面影/少数民族の運命/立体曼荼羅の寺/ 五体投地の巡礼/異民族と闘った村/文化を結ぶ道

あとがき
中国55の少数民族一覧
項目別索引 

 項目別索引
■創生神話
ジノー族「アムヒョプ」(天地創造)、(洪水兄妹始祖)
トールン族「チンツンツン・メンジュ」(泥人形)「ムクゥムダム」(洪水兄妹始祖)
ナシ族(トンパ教)
ハニ族 (天地創造)
ワ族「スカンリ」(人類始祖)
ドアン族 (泥人形)
アチャン族「ジェパンマとジェミマ」(天地創造)
ショオ族「ガオファン」(人類始祖)
プイ族(洪水兄妹始祖)
・ロッパ族「ジャジン」(天地創造)
・チャン族「ムジェ」(人類始祖)
*「 」内は神話の名称、( )内は内容を示す

叙事詩・伝説
・ユーグ族「フォンタイチェン」「サラマケ」
・キルギス族「マナス」
・タジク族「タイフン」
・ウズベク族「ウルグ・ベク」
・シボ族「西へ移動する歌」
・ムーラオ族「洛登橋」
・チベット族「ケサル」

祭礼・儀式
ラフ族(新年行事)<コタ>
ジノー族(新年行事)<ティモクー>(新築儀礼)
イ族(たいまつ祭り)<火把節>
ナシ族 (結婚式)
ペー族 <ラオサンリン>
プミ族(先祖供養)<ハツショ>
タイ族(先祖供養)<ダン>
・トゥー族(葬式)<ドティナ>
・サラ族(断食明けを祝う祭)<ルド(開斎節)>
・ホジェン族(民族祭典)<ウジェコン>
チンポー族(先祖供養)
トン族(先祖供養)
・タタール族(民族祭典)<サバントエ>
・カザフ族(歌謡大会)<アイトゥス(アクン弾唱会)>
ムーラオ族(葬式)<ターザイ>

歌垣(対歌)
ラフ族
・ジノー族 (笛)
・ぺー族
・プーラン族
・ハニ族
・ドアン族 (笙)
・アチャン族
・ショオ族
・プイ族
・ヤオ族
・チワン族

子守歌
・満族
ドアン族
・カザフ族
・シボ族

口琴
リス族 <マゴ><ツゥツゥ>
イ族 <リングー>
ハニ族 <ジャーウェイ>
・オロチョン族 <ポンヌーファ>
・ダフール族 <ムクレン>
・ホジェン族 <クカンジ>
チンポー族 <ジャンゴン>
・キルギス族 <オオズ・コムズ>
・ロッパ族 <ゴンガン>
・チャン族 <スタガ>
*< >内は、各民族語による口琴の名称を示す

シャーマン儀礼
リス族(民間治療)<ニパ>
ヌー族(民間治療)<イーグース>
イ族(厄祓い)<ピモ>
ナシ族(厄祓い)<トンパ>
ハニ族(除福除災祈願)<スニャン>
・オロチョン族(祭祀舞踊)<サマン>
・ホジェン族(祭祀舞踊)<サマン>
チンポー族 <トゥムサ>
トン族 <ジィ・サ>
トゥチャ族(願掛け)<土老師>
・シボ族(祭祀舞踊)<サマン>
ヤオ族(願掛け)<師公>
マオナン族(願掛け)<師公>
・チャン族(神話語り)<ビ>
*( )内は内容、< >内はシャーマンに対する各民族語の名称を示す

その他の宗教儀礼
ヌー族(キリスト教の賛美歌)
プーラン族(小乗仏教の読経)
・ユーグ族(チベット仏教の読経)
・サラ族(イスラム教の礼拝)
回族(イスラム教の礼拝)
・ウズベク族(イスラム教の礼拝)
チベット族(チベット仏教の法要)

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