西南連合大学(1938年~1946年)

2001年8月掲載

抗日戦争期間中、北京大学・清華大学・南開大学が昆明に避難し開設された戦時連合大学

抗日戦争期間、雲南省昆明市に設置された北京大学・清華大学・南開大学の戦時連合大学。総合大学で簡称は”西南連大”。

 1931年9月18日の柳条湖事件(9・18事変)にはじまる日本の中国侵略は、1937年7月7日、北平(北京)の西南で起こった盧溝橋事件を契機に、日中全面戦争段階に突入する。1937年7月11日、日本は関東軍、朝鮮軍、及び日本本土からの部隊派遣を決定。1937年7月28日、日本軍は中国軍に総攻撃を開始し、北平(北京)、天津地域を占領。1937年末までに日本軍は北平、天津や河北、山東など含めた地域を占領する。日中全面戦争勃発後の1937年7月、北京の北京大学(1898年創立)、清華大学(1911年創立)、天津の南開大学(1919年創立)は、南の湖南省・長沙に避難し、共同で”国立長沙臨時大学”を組成。3校の校長である蒋梦麟、梅貽琦、張伯苓が共同で学校業務にあたった。

 1937年12月13日、南京も日本軍に占領され、戦火が長沙に迫ってくると、長沙臨時大学は安穏に授業を続けることが出来ず、1938年1月20日、更に雲南に移ることを正式に宣布した。2通りのルートで雲南入りすることを決定し、広州、香港、海防を経て昆明にいたるルートと、徒歩で陸路の険しい道を通って昆明に至るルートで、後者の場合、学生は湘黔滇旅行団(湘は湖南省の別称、黔は貴州省の別称、滇は雲南省の別称)を組成し、教師は自由参加であったが、社会活動家・革命家としても名高い学者・聞一多(1899年~1946年)は当時長沙臨時大学の教師としてこの陸路徒歩コースに加わっている。1938年2月19日長沙を出発し、全行程1663キロを68日要して4月28日昆明にたどり着いている。

 国立長沙臨時大学はこうして1938年4月に雲南に移り、”西南連合大学”と改称し、1938年5月4日正式に開校した。しかし開校当初は、校舎が十分ではなく、理学院、工学院を昆明に、文学院、法商学院を暫時、雲南の東南部にある蒙自に置き(一学期後昆明に移る)、1938年8月には師範学院を増設した。全校で5院26系、2つの専修科などがあった。

 聞一多、吴晗、馮友蘭、朱自清、華羅庚などの著名な教授が教鞭をとり、民主気運が盛んで愛国思想を広めた。1940年10月13日には昆明も日本軍に空襲され、1941年1月には、抗日民族統一戦線の下、華中の紅軍部隊が改編された国民革命軍新編第四軍(新四軍)を、国民党軍が裏切り包囲攻撃した皖南事件が起こった。そして抗日民主空気が比較的活発であった西南連合大学も沈静化したかにみえたが、1944年には西南連合大学の民主気運が復活し、様々な活動が活発化した。蒋介石の進める直接支配・中央化工作に抵抗を続けていた雲南地方軍閥の雲南省主席であった龍雲(1888年~1962年)も、この西南連合大学にさまざまなルートで援助を行ったといわれ、抗日戦争期に昆明が民主運動の拠点になった。国民党の反共活動の強化による抗日民族統一戦線の破壊に反対する諸党派の民主同盟の昆明支部が1944年9月に結成されたが、その中心は、聞一多、羅隆基(1898年~1965年)、李公朴(1902年~1946年)など、西南連合大学の教授たちを含む学者・文化人であった。

 特に西南連合大学の名を高めたのが、1945年12月1日起こった12・1事件。日中戦争終結後の1945年11月25日、西南連合大学の学生・教師が雲南大学などとともに挙行した反内戦時事報告会が国民党特務の撹乱破壊や軍隊の武装干渉に遭ったことから反内戦、民主革命闘争が展開され、1945年12月1日国民党当局が、西南連合大学などを攻撃し、学生など4名が殺害され、50名以上が傷害を受けた事件だ。

 抗日戦争終結後、1946年5月4日西南連合大学は解散し、3校は、北京、天津に戻り復校した。連合大学の各校が北に戻る際、”西南連大記念碑”を建て、この碑は、現在雲南師範大学の構内に残っている。

 1941年夏、四川省西南部の大凉山イ族地区を調査したときの見聞をまとめた体験的報告『大凉山夷区考察記』(昆明・求眞者、1945年4月)の著者・曽昭掄も、北京大学教授であり、この西南連合大学の化学系主任教授であった。曽昭掄は、1941年夏、「西南連合大学川康科学調査団」を編成し自ら団長となり、大凉山に入って、鉱物・植物・地質・住民調査を実施している。(尚、『大凉山夷区考察記』の邦訳版が『中国大凉山イ族区横断記』(八巻佳子訳、築地書館、1982年7月))

 

引用参考文献:
『雲南文化芸術詞典』(雲南人民出版社、1997年5月)
『雲南革命英傑』(雲南人民出版社、1987年3月)
『図説 中国近現代史』(新版、法律文化社、1993年5月)

●長征する大学
日中戦争期間、戦火を避けて避難する中国の大学
・国立北平大学 北平(北京)→漢中
・国立北平師範大学 北平(北京)→蘭州
・私立朝陽学院 北平(北京)→巴県
・国立北京大学 北平(北京)→昆明
・国立清華大学 北平(北京)→昆明
・私立南開大学 天津→昆明
・国立北洋大学 天津→昆明
・私立斉魯大学 済南→成都
・国立山東大学 青島→江津
・国立中央大学 南京→重慶
・私立金陵大学 南京→成都
・私立金陵女子文理学院 南京→成都
・私立東呉大学 蘇州→上海
・私立光華大学 上海→成都
・私立復旦大学 上海→重慶
・私立大夏大学 上海→貴陽
・国立同済大学 上海→宜賓
・国立浙江大学 杭州→宜山
・私立之江大学 杭州→上海
・省立安徽大学 安慶→沙市
・国立武漢大学 武漢→楽山
・私立武昌華中大学 武漢→大理
・国立湖南大学 長沙→辰XI
・私立湘雅医学院 長沙→桂林
・私立福建協和大学 福州→邵武
・私立華南女子文理学院 福州→南平
・国立厦門大学 厦門→長汀
・国立中山大学 広州(広東)→澂江
・私立嶺南大学 広州(広東)→香港
・国立四川大学 成都→峨眉
・国立東北大学 瀋陽(奉天)→三台
北山康夫氏「中国の大学と日中戦争」
大阪教育大学歴史学研究室『歴史研究』24号、1987年、41頁より

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