雲南省・西双版納 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形”

岡崎信雄 タイ・ルー族のナーガ(龍)の”色と形”

雲南省・西双版納

中国雲南省西双版納タイ族自治州シーサンパンナ(Xishuangbanna)の仏教寺院に見る仏陀を守護するナーガの造形に、インドのヒンズー文化と中国西南少数民族(ミャオ、チワン等)、いわゆる百越族の文化との異文化交流により形成されたのではないかと考えられる多様な造形を観察することが出来ます。佛教の南伝ルートと中国西南少数民族の民族移動を重ね合わせると、南インドをルーツとするナーガと東南アジア(ミャンマー,カンボジア、ラオス、タイ,中国西南部の地域)のナーガ(龍)の造形のトランスフォーメーションが解明されるような気がしています。

1989年の春節に西双版納の景洪を訪問し、仏教寺院を調査しましたが、当時は文化大革命の影響が影を落とし,寺院の復興が始まった時期で、十分な調査ではありませんでした。その後、1998年11月にタイ北部、東北部および中国雲南のシーサンパンナを、1999年11月にはミャンマー、ラオス、タイ中部を訪問しナーガの造形を調査しました。今回は、シーサンパンナのナーガ(龍)の造形(色と形)に焦点を当て、紹介したいと思います。

1.はじめに

中国西双版納タイ族自治州には上座部仏教を信仰するタイ・ルー(Tai Lue)族が多く居住するが、タイ・ルー族独特のナーガの造形(色と形)を見ることが出来る。西双版納は雲南省南部に位置し、ミャンマーのシャン高原、ラオス北部に国境を接し、タイ北部、ラオスを含め、この地域一帯に居住するタイ族は、民族的、文化的に密接なつながりのある地域と言われている。第二次世界大戦後永らく、外国人の入域は困難であったが、東西冷戦の終結、中国の改革開放時代の幕開けとともに、1980年代後半、一般に開放されるようになった。

1989年の春節、西双版納タイ族自治州に入り、景洪(Jinghong)、大モン龍(DaMengLong)、モン海(Menghai)、モンハン(Menghang)の各地を巡り、タイ・ルー族のナーガ文化を調査した。しかし、中国の文化大革命の時期、四旧(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣)の対象として破壊された寺院の復旧が始まった時期にあたり、西双版納の代表的な文化財である景真八角亭、曼飛龍筍塔、大モン龍黒塔が修復された直後で、仏教信仰と結びついたタイ族特有のナーガ文化を垣間見るにとどまった。

一方、西双版納のタイ・ルー族は、タイ北部のタイ・ユアン(Tai Yuan)族のルーツであると言われており、1991年タイ北部チェンマイの仏教寺院のナーガの調査を行ったが、日程の都合で最北部のチェンライ、チェンセン、メーサイまで足をのばすことが出来ず、調査不十分のまま、題記テーマはその後10年間放置されていた。

その後、1998年11月、20日間の日程でバンコクー昆明ー景洪ー昆明ーチェンマイーチェンライーチェンセンーメーサイのルートで各地を訪問した。10年ぶりの西双版納の州都景洪、社会主義市場経済の波は、この辺境の地にも怒涛の如く押し寄せているのであろう、中心部の変貌ぶりには一驚させられるものがあった。周辺農村部へのその経済効果は大きく、文革の影を払拭するかのように、寺院が修築あるいは新築され、そこにはタイ・ルー族独特のナーガの造形、”色と形”の世界を見ることが出来た。

2.百越族の文化、モン・クメール文化および西双版納タイ族文化の異文化交流

西双版納は地理的に中原文化とモン・クメール文化との接点に位置している。先秦時代の古書”竹書 紀年”、”逸周書”にもタイ族文化と中原文化との交流が記されている。司馬遷の”史記”には、当時、テン越の乗象国と蜀の国、即ちタイ族居住地区と四川との間で経済活動が行われ、商品の交易に伴う文化交流が記されており、タイ族文化と中原文化が相互に影響を及ぼし合っていた。

この原タイ族とも云える人々は、古代、長江の南、折江、福建、広東、広西、雲南、越南(ベトナム)に居住した百越族と密接な繋がりがあり、8~9世紀頃その一部がインドシナ半島に南下を始め、その後定着したとされる。中国内の少数民族、壮族(チワン)、布依族(プイ)、水族(シュイ)、ラオスのラオ族、ミャンマーのシャン族は民族的に密接な関係があると云われている。

北方より南下し、西双版納に定住したタイ族の人々は、上座部佛教(南伝佛教)の信仰篤き人々である。上座部佛教の伝来時期については、諸説あり明確ではないが、スリランカを経由し、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスに至り、その後、この地域に伝来  したとされ、タイ族の史書”ルー史”によると、12世紀この地域において上座部仏教を信仰したとの記述がある。南伝佛教の伝来はインド文化の影響を受けたモン・クメール文化の流入をもたらし、ナーガ文化も同時期に伝来したと考えられる。

タイ族の民族移動

3、西双版納タイ族のナーガ(龍)の”色と形”

西双版納の景洪を拠点にモン龍、モンハン、モン海およびその周辺の村々にある仏寺ー曼閣(Mange)仏寺、曼聴(Manting)仏寺、曼景(Manjing)仏寺、曼景クァン(Manjingkuang)仏寺、曼湯(Mantang)仏寺、曼養緬(Manyangmian)仏寺、景モン(Jingmeng)仏寺、曼飛龍(Manfeilong)仏寺、曼那ナン白塔(Mannananbaita)寺、曼井パオ井塔(manjingbaojingta)寺、西双版納総(Xishuangbannazong)仏寺など、十数ヶ寺を訪れた。

筆者が訪問した西双版納の仏寺 1.曼景クァン仏寺 2.寺院名不詳 3.曼閣仏寺 4.曼听仏寺 5.西双版納総仏寺 6.曼井堡井塔寺 7.寺院名不詳 8.寺院名不詳 9.曼湯仏寺 10.曼養緬仏寺 11.曼那ナン白塔寺 12.曼飛龍塔寺 13.曼飛龍仏寺 14.小寺 15.大モン龍黒塔寺 16.景真六角亭

仏寺は一般に、仏陀像を安置し僧侶が念経拝仏する維旱(仏殿)、仏教経典を収蔵する哄担(経蔵室)、僧侶が学習し睡眠をとる哄暖(教室と寝室)、高僧が会議を行う仏亭、仏塔より構成されるが、仏寺への参道の入り口、仏殿や仏亭の門前、仏塔の四周、戒壇や光背にナーガ(龍)や獅子の像が拝され、仏陀を守護する。西双版納タイ族のナーガは、鶏冠、象牙、獅子の顎鬚(あごひげ)、蛇の体系、魚の背鰭、尾鰭などの要素より構成され、その顔に相当する部分は人面であったり、鶏であったり、獅子であったり、コブラのようであったりするが、かなりの程度デフォルメーションされており、特定できないケースも多い。ナーガ全身の造形には、ナーガがマカラの口から吐き出される、ナーガとマカラが一体化し造形と、ナーガ単独の造形とがある。また雌雄を一対とする造形、雌雄の別のない造形等、仏寺によって異なる。共通する特長はナーガの頭部に鶏冠を戴くが、その彩色は赤色とは限っていないようである。また、その全身像の”色と形”は村々により大きく異なる。赤、黄、緑、青、黒、白の原色による躍動感あふれる彩色、その”色と形”が人々の心を支配しているようであった。

4.まとめ

中国、春秋・戦国時代、長江流域から南西部にかけ居住した百越族の原初の龍の”色と形”が、北や南への民族移動、民族交流により伝播し、中国北方においてはソフィスティケートされた中原文化の龍の”色と形”が形作られ,東南アジア方面に南下した百越族の龍の”色と形”は、インドのバラモンや仏教文化の影響を受けたモン・クメール文化との異文化交流により、タイ北部のチェンマイやラオスの仏寺に見る佛教加護のナーガの体型に様式化されたのではないかと考えられる。西双版納タイ族のナーガ(龍)の”色と形”は異文化交流の影響を受けながらも、この地域の辺境性から部族のトーテム的な性格を色濃く残し、独特な”色と形”のナーガ文化を形成したように思われる。異文化交流による文化の融合と、独自文化の形成、ナーガの”色と形”のトランスフォーメーションは異文化交流のプロセスを象徴しているようである。

参考資料
1.タイ族文学簡史、西双版納タイ族自治州民族事務委員会、雲南民族出版社(1988)
2.西双版納風情奇趣録、西双版納タイ族自治州民族事務委員会、雲南民族出版社(1986)
3.THE DAI,Z.Liangwen,D.K.Book House in Thailand(1992)
4.盆地世界の国家論ー雲南、シプソンパンナ-のタイ族史、加藤久美子、京都大学学術出版会(2000)

ナーガ文化はさておいて、東南アジアの政治的安定とともに、新たな人と物の流れが東南アジアを目指し怒涛の如く押し寄せているようです。タイのチェーンセンにはメコン川の上流、中国雲南の思芽港から超浅底船が陝西省産のリンゴ、なぜか商品名は”富士”を運び込んでおり、シプソンパンナは中国沿海地方の富める人々の観光ブーム、ラオスのルアンプラパンには中国雲南から雑貨を積んでやってきた行商のトラック、ミャンマーのマンダレーには華人用の高級フラットの建設等々、かっては列強の植民地主義に、第二次世界大戦後は中国共産主義や文化大革命に振り回された国々は、今や中国の社会主義市場経済や、グローバリゼイションの波に飲み込まれようとしているようでもあります。

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