第1回 2000年1月上旬号掲載

メコン圏と日本地方部との繋がり
中国革命音楽の先駆者といわれる昆明出身の聶耳氏(1912年~1935年)が藤沢市鵠沼海岸で水死したことに端を発し、両都市は、1981年友好都市締結調印に至る

 東京駅から東海道線で約50キロの距離にあり、江ノ島など風光明媚な観光スポットを擁するとともに、多くの文教施設があり活気を保つ神奈川県藤沢市が、中国雲南省・昆明市と友好都市関係にあるのを、ご存知であろうか?鵠沼海岸に中国革命音楽の先駆者といわれる聶耳氏の記念碑が建てられているが、昆明市と藤沢市との友好関係のきっかけは、実はこの聶耳氏にある。

 中国国家となった「義勇軍行進曲」の作曲家として知られる聶耳氏は、1912年、昆明市の漢方医の家に生まれた。母親はタイ・ルー族であった。その後、上海での映画、舞台劇などの音楽活動を経て来日した。しかしながら、1935年7月17日、藤沢市鵠沼海岸で遊泳中、不幸にも帰らぬ人となった。

 異国の地にあってその短い生涯を終えた中国青年の死を悼んだ多くの藤沢市民により、聶耳氏の記念碑建設運動が起こり、1954年11月1日、記念碑の除幕式が、中国赤十字会会長・李徳全女史を迎え行われた。1958年当地を襲った台風により記念碑は一旦流失してしまうが、聶耳記念碑保存会により、記念碑再建運動が起こり、1965年に現在の記念碑が再建された。聶耳氏の友人であった建築家の山口文象氏により、「耳」字をかたどった花崗岩の記念碑の設計が行われ、「聶耳終焉の地」の揮毫は、郭抹若氏によって為された。

 こうした一連の記念碑建設運動を知った昆明市側は感動したといわれ、中国の開放が進むにつれ、藤沢市との間で友好訪問団が行き来をし友好を深めた。そして1981年8月、昆明市長から、友好都市提携を希望する文書が寄せられ、同年11月5日、藤沢市において、友好都市締結の調印式が行われた。

 その後も今に至るまで、両都市間では、多分野での活発な交流活動が行われている。藤沢市側からは、経済交流親善考察団、国際交流青年団、市議会代表団、市ジュニアオーケストラ友好訪中団、藤沢囲碁連盟、市卓球協会等が昆明を訪問している。一方、昆明市側からは、市当局関係者の来日以外に、工業研修生、医療技術研修生、日本語研修生、行政視察団、経済視察団、商工業視察団、水道研修生、女性政策関係者視察団等が、藤沢を訪れている。こうした行政・経済・文化・スポーツ・芸術・教育等の分野での交流活動以外に、藤沢市側では、1988年と96年に雲南省を襲った大規模地震災害の救援義援募金を行っている。

 尚、1986年3月には、聶耳没後50周年記念事業として、聶耳氏の胸像(レリーフの作者は市内鵠沼に在住の菅沼五郎氏)が建立されるとともに、記念碑とその周辺の整備が為された。

(参考:藤沢市資料「昆明市との友好提携と交流の経過について」)

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