2000年7月号掲載

コラム(江口久雄さん)「メコン仙人だより」

~地域と時代を越えて~ 海の彼方に日本文化の原像を想う

タミル人が倭国に入っていたということから、万葉集の難訓歌をタミル語でも読み解いてみると・・・

韓国の女流の李寧煕が『万葉集』の歌を韓国語で読み解いて、賛否両論をまきおこしてから、かれこれ10年がたちました。それは『もう一つの万葉集』というタイトルの本で文春文庫になっています。ハングルによる振り仮名が入っていて、韓国語を多少さわった人たちにとっては、とりわけ興味深かったのではないかと思います。

さて、百済を通じて扶南のタミル人らしき人たちが倭国に入っていたことを前回書きましたが、実際、古代の文献を見ていると、ときどき「タミル語ではないか」と思われる言葉に行きあたります。たとえば大和三山のひとつである畝傍山。「ウネビ」とは、タミル語で丘を意味する「ウニブ」にそっくり。また秋田の蝦夷を討った阿倍比羅夫や、白村江の戦いの日本水軍の総大将だった阿曇比羅夫の名前についている「比羅夫」は、タミル語に貴人を意味する「ピラブ」という言葉がありますが、これではないでしょうか。6-7世紀の倭国の知識層の中に、タミル語が使える小さな集団がいたような気になってくるのです。

ところで李寧煕は、歌の前半がまったく意味不明とされている「莫ゴウ円隣」で始まる難訓歌を韓国語で読み解きました。詳しくは『もう一つの万葉集』をご覧ください。この「ゴウ」という漢字は真ん中に「頁」という字があって、その上下に「口」が二つづつ並んだ複雑なものです。李寧煕はこの全部で二十五の漢字から成り立つ万葉仮名の歌に、ハングルの振り仮名をつけて読み下しました。おもしろい試みだなあ、と考えながら、この二十五字の漢字の羅列を見ているうちに、なんとなく「タミル語でも読めるのではないか」という不逞な感覚がむくむくと勃起してきました。早速読んでみましょう。

    莫ゴウ・円隣之      マッカル・エリッサル   

                 (人間・嫉妬)

    大相・七兄爪・謁気吾   ターサン・シキッサイ・アイッキヤム

                 (奴隷・看病・友愛)

    瀬子・之射立・為兼    セディ・サンジャリ・イガム

                 (罪・さまよう・この世)

    五・可新・何本      コー・カシ・カバム

                 (王・しみでる・冷淡)

左の漢字の羅列が万葉仮名で書かれた歌。右のカタカナがタミル語、カッコの中がタミル語の単語の意味です。この中で「之」の字をSALまたはSANと読んだのがちょっと苦しいところです。漢字の韓国語音では、たとえば四・死・史・私・使・祠・師・斯など日本語で「シ」と読まれる漢字が「サ」と読まれています。そこで之(シ)を敢えてサと読んでみました。円隣之はエリサとなり、エリッサルに、之射立はサジャリとなり、サンジャリにつながるのではないかと考えたのです。

僕のタミル語はまだまだ初心者レベルで、マドラスとシンガポールで出版された複数のテキストを、マドラスとマレーシアで出版された複数の辞書を使ってやっこらやっこら勉強しています。ですからタミル語の詩を読むようなレベルではありませんが、上の四行詩のようになったタミル語の部分に注目すれば、第二・第三・第四の各行はそれぞれヤム・ガム・バムとAMの脚韻で終ります。タミル語にこういうかたちの詩があるかどうか、今の僕にはわかりません。それにこのタミル語訳だって、実に心もとないものです。

タミル人が倭国に入ったという状況証拠から、一気に万葉集の難訓歌に躍りこんでタミル語の宝剣で斬りつけたつもりですが、ドンキホーテが風車に突っかかったようなものかも知れません。まあ、オタクのお遊びと思ってください。 

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